Field 26

 過去の出来事が走馬灯のように再生される──。


 辛い戦いの日々、トモカと過ごした思い出、血反吐が出るほどの戦闘訓練……。


 魂と肉体が切り離されるような感覚。


 なにかとてもなく強い力で引っ張られる。


 自我を保とうとするも抗えない。


 もういいや──。


 私は十分やったよ。


 全てを投げ出したくなることは誰にだってある。私にとって今がその時というだけ。


 呼ばれた気がして前を向くと、視線の先に望月隊長の姿があった。


 こちらを見る表情は穏やかで、優しい微笑みを浮かべている。


 なにか言いたげに口を動かすと、こちらに背を向けて歩き出した。


 ──待って!!


 その背中に手を伸ばすも、掴めそうで掴めない。どんどん遠ざかる背中に焦りを感じつつ、必死に走って追いつこうとするも、なにかに足を取られて一歩も進まない。

 足元を見るといつの間にか腰まで泥に浸かっている。異臭を放つヘドロが身体にまとわりつき、もがく度にどんどん沈んでいく。


「なんで助けてくれなかったの?」


 顔を上げると目の前にトモカの姿があった──。

 全身から血を垂れ流し、目元は眼窟をくり抜かれ、真っ黒な渦を作り出している。


「トモカ──!!」


「なんで助けてくれなかったの? 痛いよ……痛いよ……」


 両目の穴から血の涙が頬を伝ってボロボロの戦闘服を真っ赤に染め上げていく。


「ごめんトモカ……本当にごめんなさい……」


 ボトっとなにかが隣に落ちてきた。視線を向けると一羽の鳥が泥に囚われてバタバタと必死で羽を動かしている。


 白い頭に黒いクチバシ──ヒメハジロだ。


 助けようと手を差し伸べたくても、肩まで泥につかった私の身体は自由が効かない。


 目の前にもう一羽のヒメハジロが降り立った。つぶらな瞳でじっとこちらを見つめている。ツガイの片割れだろうか。


「お願い……助けてあげて」


 カラカラに干上がった口から出た私の言葉は届かなかったのか、そのヒメハジロは飛び立っていってしまった。

 必死にもがいていたもう一羽のヒメハジロは全身を泥に浸からせて、しばらくジタバタしていたがそのうち動かなくなって沈んでいった。


 泥は既に首元まで達している。

 辛うじて顔を上げて天を仰いだ──煤のような黒雲が広がる空に、ヒメハジロの片割れが翼を広げて風に乗っている。


 私もあんなふうに自由に飛べたらな……。


 泥が口の中に入り込んでくる──呼吸をしようと足掻くほど、ゴボゴボと音を立てながら肺が泥で満たされていく。


 苦しい……。


 死んで楽になりたいと願いつつ、私の身体は泥の中をゆっくりと沈んでいった。


 存在が消える感覚に襲われながら脳が徐々に機能を停止していく。


 全てを諦めかけたその時、閉じた瞼の裏に微かな光を感じた。

 薄く目を開くと、ぼんやりと青い光が胸元で光っている。


 局長から託されたペンダント──。


 ペンダントから漏れた光が全身を包み込んでいく。


 陽だまりの中にいるかのように心地いい暖かさに身を委ねる。


 こんな穏やかな最後を迎えられるなんて、私の人生も捨てたもんじゃなかったのかな……。


 そう思いながら、再びゆっくり瞼を閉じた──。


 はずだった──。


 突然、ドン! と全身が激しく揺さぶられる。


 その衝撃はリズムを刻むように正確なスパンでやってくる。


 なんなの──!?


 やっと穏やかに逝けると思った矢先にこれだ。怒りを覚えつつ目を開けると、真っ白な空間が広がっていた。

 それが目が眩んでいるせいだと気づいたのは、徐々に風景が色を帯びてきたからだ。目の前にぼんやりと顔の輪郭が見え始める。


 風道ミウ──!?

 

 一緒そう思えただけで、目の前でこちらを覗き込む顔は全く違う女性だった。


「先生──!! 目を開きました!!」


 ドタバタと周囲が慌ただしい。先生と聞こえたが、ここは軍内部の医療室だろうか。


「水無月さん!! 聞こえますか!?」


 ミナヅキ……誰だろう。私は火打だ。


 相手は色々と話しかけてくるが、ジンジンと耳鳴りが酷くてよく聞き取れない。

 脳が情報を処理できず、頭痛がしてきた。


 よくわからないけど助かったのかな……。


 意識が遠のいていく──朦朧としながら私は再び瞼を閉じた。



 開け放たれた窓から、チュンチュンと鳥のような鳴き声が聞こえる。


「寒いから窓閉めちゃいますね」


 白衣姿の女性が窓を閉めて、空になったコップに水を注いでくれる。


「水無月さん、調子はどうですか?」


 だからそれは誰だ──。


「私は火打です。ここはどこですか?」


「ここは新宿の共和病院ですよ。あとで先生が来ますから、ゆっくり休んでいてください」


 女性は誤魔化すようににっこり笑うと、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 廊下でヒソヒソと話し声が聞こえてくる。


『水無月さん、まだ意識が混濁してるみたい……』


『可哀想よね。誰もお見舞いに来ないんでしょ?』


『親御さんには連絡したんだけど、仕事が忙しいから無理だって。なんか、会社のAIを寄越すから、それまで預かっていてくれですって』


『AIって最近発売された例のあれ? てか、酷すぎない? それはあんなこともしたくなるわよ……』


『しっ! 聞こえたらマズいって』


「あなたたち──! お喋りしてないで仕事しなさい!」


 大きな声とそれに続いて、「失礼しました」という声が二つ。パタパタと足音を立てて遠ざかっていく。


 どうでもいい会話だった──。


 まだ微かに痛む頭を必死に叩き起こして情報を整理してみる。

 

 一つ目、私は火打ではなく水無月という名前らしい。それは何回も確認して否定されたから、なにかしらのIDで確認済みなのだろう。


 二つ目、ここは新宿の病院らしいが、共和病院など聞いたこともないし、そもそも新宿エリアで日本解放軍以外の施設は存在しない。


 三つ目、ここがもし本当に新宿だとしたら、窓の外から見えるビル群は私の知っている新宿の風景ではない。


 上記の情報から推測すると……。


「タイムリンクが成功した──」


 ふと口にすると急に現実味を帯びてきた。あの状況で成功したのだ。ほんと奇跡としか言いようがない。


「失礼します」


 今度は男性が部屋に入ってきた。彼も白衣を着ているので病院の関係者か医師だろうか。


「水無月さん、体調はどうですか?」


 優しい口調で側に来た男性は「心臓の音を聴かせてくださいね」と断ると、私の胸に聴診器を当てて真剣な表情で音を聴いている。


「うん。大丈夫そうだね」


 彼は頷くと、ベッドのサイドテーブルに立て掛けてあったタブレット状のデバイスを手に取り、タップし始めた。


「うーん、数値的には問題なさそうだけど、死んでいてもおかしくなかったくらい血を失ったんです。暫くは様子見て、無理な運動とかは絶対に控えてください。あと、少し痩せすぎかな……ちゃんとご飯は食べるようにしてくださいね。なにか気になる症状とかあったりしますか?」


 気になる症状と言えば時々ある頭痛くらいだろうか。


「頭がたまに痛みます」


「頭痛かな? うーん……カルテを見る限りだと大丈夫そうだけど、偏頭痛持ちだったりしますか?」


 そう言われても、私が今入っているこの人物が頭痛持ちだったかは分からない。


「分からないです……」


「そうですか。まあ、後遺症も考えられなくはないから暫く様子見て、酷くなったりしたらすぐ診察を受けてください」


 担当医は愛想の良い笑みを浮かべてタブレットを元の位置に戻した。


「担当医としてはもう少し入院してもらったほうが安心だけど、お迎えも来てるみたいだから、もし体調が良ければ退院しても大丈夫としましょう」


「お迎え?」


「ええ、廊下で待ってるので、呼んできますね。じゃあ、自分はこれで。お大事にしてください」


 最後にニッコリと笑うと、そのまま医師は出て行ってしまった。

 お迎えとは看護師たちが廊下で話していたAIとやらだろうか。


「失礼いたします」


 声が聞こえたので入り口のほうを見るも、そこに人影らしきものは見当たらない。


「こちらです」


 声がした方向を辿って視線を下げると、ベッドの足元で小動物のようなロボットがちょこんと立っていた。


 これはたしかウサギだったかな? 実物は初めてだが資料で見た記憶がある。まあ、実物と言っても目の前のロボットに毛は生えておらず、形だけウサギと言った方が正しい。

 ただ、裸というわけでもなく、丈の長い黒いジャケットに襟のある白いシャツを着ている。軍服とは違うようだけど、なにかの正装だろうか。


 それよりも、首から下げてる銀色のペンダントが気になった──丸い形と大きさからしても、望月隊長の懐中時計にそっくりなのだ。

 ただ、隊長の時計には狼のような浮き彫りがしてあったが、このペンダントはなんの装飾もされておらず、ツルツルしている。やはり違うもののようだ。


「どうかされましたか?」


 どうかされまくりである。タイムリンクが成功したのはいいが、起きたら病院で、飛んだ先の人物が誰なのか、どうして病院にいるのかすらも分かっていない。


「意識が混乱しているの。とりあえずここから連れ出してくれる?」


 このロボットに色々と聞こうか迷ったが、タイムリンクの概要に、未来のことに関して話すことは重大なパラドックスの起因となるため他言無用と書かれていた。ここは慎重に行動するべきだろう。

 まあ、未来から来たから何も分からないと言ったところで恐らく信じてもらえないだろうが。


「左様でしたか。それもそのはず。私めの配慮が足りず大変失礼いたしました。ここは深くお詫び申し上げると共に、必要でしたら今から工場へ出向き、初期化して参ります」


 言っている意味がよく分からないが、目の前のロボットは深々と頭を下げている。


「いや、いいから。それより、なにか着る服を持ってきて」


「畏まりました。今すぐにお持ちいたします」


 そう言ってロボットは四足歩行でピョンピョンと入り口近くの棚へと向かう。

 棚の前で立ち止まると、グッと後ろ脚に力を入れてジャンプした──想像以上のジャンプ力に少し驚いた。実物のウサギもあんなにジャンプするのだろうか。

 そして、自分の何倍もある高さの棚からケースを手に取るとこちらに戻ってきた。


「こちらですね。さあ、お着替えください」


 ありがとう、とケースを受け取り、ベッドから降りる。患者用だと思われるペラペラの服を脱ぎ捨てて下着姿になるも、想像以上に痩せこけた身体にびっくりする。

 いったいこの身体の人物はどんな生活をしていたのだろう。それに、立ってみて分かったが、思いのほか背が小さいようだ。正確には分からないが、いつもの目線よりも十センチ以上低いように感じられる。

 ケースに入っていた洋服は一枚しか無かった。スカートみたいだが、たしかこれはワンピースだったはず。映画で観たことがあった。

 初めてのワンピースに少しだけワクワク感を感じつつ、頭からスポッと被る。


「よくお似合いです」


 世辞を言う機能がロボットに必要だろうかと思いつつ、ありがとうと返事を返す。ベッドから離れようとして、ケースの中でキラッとなにかが光った。手に取ってみると、それは小ぶりなブレスレットだった。金色の細いプレート裏にローマ字でAKARIと彫られている。

 どうやら、この身体の持ち主はアカリという名前らしい。ブレスレットは大切なものかもしれないので、無くさないように手首に付ける。


「他に持ち物は無いの?」


「無さそうですね。担当医によると貴方はご自宅で倒れたところをそのまま緊急搬送されたと聞きました。恐らく何も持たずに搬送されたものかと」


「そう……」


 このロボットをどこまで信用していいのか分からない。ショックで記憶が曖昧ということにしてもいいが、何があったかもう少し情報が欲しかった。


「とりあえず家に帰りたいのだけど、輸送車両の用意はある?」


 私の問い掛けにロボットはクリクリな目を見開いてキョトンとする。しまった──輸送車両ではなく車と言うべきだった。


「輸送車両とはお車のことでしょうか?」


「あ、そう! 車、車のこと」


「お車でしたらご用意してございます。では、こちらへ」


 ウサギ型ロボットはピョンピョンと跳ねながら部屋を出て行った。それにしても、ロボットがここまで感情を感じられる表情ができるとは思っていなかった。

 私がいた時代のロボットは主に基地内部で活動するアンドロイドが主だった。イドラのハッキングを想定して高機能なアンドロイドやAIは全て破棄されたからだ。

 そう言う意味では、この時代のAI技術は私がいた未来よりも進んでいるのかもしれない。


 私は着慣れないワンピースをヒラヒラさせながらウサギの後を追った。

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