Field 20

「そのまま目を閉じていて!!」

 

 死を覚悟したその瞬間、誰かが叫んだ。

 

 私は直感で開きそうになった目を固くつむった。


 爆発音とともに閉じた瞼の裏側でも分かるほどの強い光束を感じる。水飛沫を全身に浴びながら、少し暗くなったところでゆっくりと目を開いた。


 辺りにはまるで稲妻が走ったかのように無数の青白いスパークが蛇のようにうねり、水面を迸っている。

 私に刃を振り下ろそうとしていたブラッディドールは、頭上に持ち上げた腕をそのままに、全身にスパークを纏わせながらブルブルと小刻みに震えていた。


「そのまま動かないでください──こんなんじゃヤツは倒せない」


 耳元で誰かが囁いた──先ほどの声の持ち主だろうか。不気味なほど気配がしなかったが、他に気を取られていたせいだと自分に言い聞かせる。


「あなたは……」


 問い掛けに答えは返ってこなかった。

 声の主は座り込む私の隣をすり抜けてブラッディドールの前に立ちはだかった──深々と被ったフードとロングコートの端がスパークに煽られてゆらゆらと揺れている。

 背丈は私と同じくらいか少し小さいだろうか、華奢なシルエットと声からも女性だと思われる。


「キエエエエーーーーーーー!!!!」


 ブラッディドールが奇声を上げた。先ほどの攻撃がどれほどの効果があるのかは分からないが、早々に動けるほど生易しいものではないはずだ。やはりこの目の前の敵を倒すにはブラックホールしか無いのだろうか……。


 ヤツに人間のような目があったらきっと血走っていたに違いない。怒り狂ったようにその腕を力任せに振り下ろした。

 

 切られた──そう思った矢先にブラッディドールの腕が高々と宙を舞った。

 目の前には剣を構えて颯爽と立つ声の主──手に携えているのを剣と呼んでいいのかは分からない。持ち手から先はバーナーの火を限界まで収束させて伸ばしたような、見たこともない性質をしていた。

 宇宙戦争を題材にした映画で観たレーザーソードにそっくりだが、あれだけの高エネルギーを安定させるのは技術的に不可能だと科学の教官は言っていた。

 だとしたら、あれはいったい……。


 ブラッディドールが後方に大きくジャンプした──間合いを取るつもりだろう。

 声の主はその隙を逃さず突進。レーザーソードを巧みに操り、ブラッディドールの着地に合わせて足元を横一閃に払った──切られた両脚が膝から離れて水面に転がる。

 体制を崩したブラッディドールは大きな水飛沫を上げて地面に激突した。


 声の主はブラッディドールの顔を踏みつけると、腰のホルダーから拳銃を引き抜いた。


「核弾モードON」


 声に反応して手元の銃が反応してその形態を変える。ノズルが広がり、一見普通の銃から照明弾を放つ信号拳銃のような形へと変化した。


「コアをスキャン」


 銃身から赤い光線が網目状にブラッディドールの全身を這い回る。


「コアヲトクテイ──ロックオンシマシタ」


 無機質な音声が銃から聞こえた。

 声の主が顔を踏みにじった足に力を込める。銃口から大きな音がしたと同時に爆風による強い衝撃波が襲いかかってきた──水面が大きく波打ち、声の主のコートが激しく翻る。


 銃弾を打ち込まれたブラッディドールの身体はボコボコと膨張を繰り返し、やがて装甲の内側で破裂した。


(倒した、の……?)


 信じがたい光景だった。

 望月隊長が命を賭して倒した相手を、目の前の人物はいとも簡単に葬り去ったのだ。それに加え、見たこともない武器の数々に思考が追いつかない。


「じっとしててください」


 いつの間にか隣に来た声の主が私の首元に手を当てた。チクッとしたので思わず身構えてしまう。


「大丈夫です。医療用ナノバイオマシンを注入したので、すぐに動けるようになります」


 医療用ナノバイオマシンなど聞いたことがなかったが、その言葉通り徐々に身体が軽くなっていく。


「あなたは誰なの?」


「彼は手遅れでした……」


 私がエドモンドを覗き込むと、彼は私の膝に頭を乗せて静かに目を閉じていた。


「エドモンド──そんな……」


 アロマの小瓶を渡してくれたときの彼の優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。トモカ、望月隊長、そしてエドモンド……私の大切なものが次々と奪われていく。


「悲しんでいる時間はありません。行きましょう」


「行くってどこに!? それにあなたは誰!?」


 分からないことに苛立ち、私は思わず声を荒らげる。声の主は動揺した様子もなくじっとこちらを見下ろしている。


「ごめんなさい……詳しくは移動中に話します。時間がないんです。急ぎましょう」


 相手が手を差し伸べてきた。完全に信用したわけではないし、謎が多過ぎる。けれども命を救ってくれたのもまた事実だった。

 私はためらいながらもその手を掴んだ。もう片方の手でエドモンドを支えながらゆっくりと地面に置いてあげる。エドモンドは顔半分が水に浸かり寝ているかのように穏やかな表情を浮かべている。

 彼は争いのない世界に旅立って行けただろうか……。


「火葬します。少し下がっていてください」


 声の主が小さな装置をエドモンドの胸元に置いた。直ぐに装置から炎が立ち上がり瞬く間にエドモンドの身体を焼き尽くす。灰となった彼の肉体は水に浮かびながら散り散りとなって消えていった。


「さあ、こっちです。車両を確保してあります。あなたは暗闇で見え辛いと思うのでしっかり後をついてきてください」


 感情に浸る間も許されないというの? やらせなさで張り裂けそうな胸を堪えて、声の主の後に続く。

 先ほどまで指一本でさえ動かすことが苦痛だった身体は嘘のように回復していた。ブラッディドールから受けた傷も塞がっている。

 医療用ナノバイオマシンと声の主は言っていたが、にわかには信じがたかった。軍の秘密兵器かと疑ったが、出し惜しみする理由も見つからない。

 今回の作戦、それが成功するかどうかは軍にとっても生命線だったはずだ。そうなると、他勢力? いや、こんな技術を持った他勢力など聞いたことがない。


 考えても答えが見つからず無駄に脳が疲れた。移動中に話すと言っていた声の主のことを信じるしかない。


 その声の主はほとんど明かりのない駐車場の地下通路を戸惑いもなく進んでいく──私は目の前の背中を追うのに必死だった。


「ここから外に出られます」


 そう言って声の主はドアノブに手をかけた。

 薄暗い通路を進んだので確証は持てないが、私とエドモンドが来た方向とは逆に位置する出口だ。

 ドアが開かれると、外から差し込んできた光に目が眩む。激しく打ち付ける雨が目に入り、思わず額に手を当ててガードする。


「あの車両を使います。私が運転するのであなたは助手席に──」


 声の主が数歩先に停車している装甲車を指差した。

 雨に打たれながらなんとか車両に乗り込む。

 服についた雨水を払っていると、後ろで物音がしたので身構えつつ振り向いた。


「お前も助かってみたいだな──」


 振り返ると、そこには室井隊長とアリーシャの姿があった。ふたとも戦闘服にべったりと血痕のあとが残っている。


「室井隊長!? アリーシャも! 二人とも無事だったんですね!!」


 あまりの驚きに思わず声が裏返りそうになる。生きていた──それだけで嬉しくてたまらなくなる。


「ああ……正直なところ助からないと思ったんだがな。彼女に救われた」


 ちょうど運転席にその彼女が乗り込んできた。こちらを一瞥して、ハンドルの液晶画面を操作し始める。


「お二人とも瀕死状態でしたが、ユイさんと同じ医療用ナノマシンを使いました」


「ちょっと待って──なんで私の名前を……」


 こちらから名乗った覚えも無いし、私は彼女の名前どころか性別すら分からない。

 十中八九若い女性だと思われるが、背丈からして声変わりしていない男の子の可能性も否定できない。

 軍のファイルには私の名前は載っているだろうから、やはり軍の特殊部隊かなにかに所属する兵士なのだろうか……。


「その理由は道中でお話しします。それより名乗っていなかったですね。失礼しました。私の名前は風道ミユです」


 声の主こと風道ミユは、そう言ってフードを取った──フードの下に隠されていた長く艶やかな髪がパラパラと絹の糸のように肩にかかる。

 想像していたよりもずっと幼い。歳は十二歳前後だろうか。まだ子供のようなあどけなさが残っている。

 そのあどけなさとは裏腹に、長いまつ毛の下から覗かせるその黒い瞳は力強い輝きを放っている。揺るぎない決意と信念を宿したその眼差しは随分と大人びて見えた。


 彼女はそれ以上なにも言わずにエンジンキーを回すも、ハンドルの液晶パネルに警告の二文字が真っ赤に表示された。軍車両は自動的にロックがかかるようになっていて、登録された者にしかエンジンがかからないようになっているのだ。

 

「貸してみろ」


 後ろから室井隊長が身を乗り出してパネルを操作した。暗証コードを打ち込むと画面に承認完了と表示されてエンジンがかかる。

 

「ありがとうございます」


 装甲車が大きな振動と共に動き出す。フロントガラスに激しく叩きつける雨がこの先の未来が決して明るいものではないと暗示しているかのようだった。

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