F ield 17

 落雷のような音でブラッディドールの頭が大きく傾く。


「エドモンドさん──!?」


 音のした方向に視線を向けると、地面に伏せた状態でスライパーライフルを構えるエドモンドの姿があった。銃身からは白い煙が立ち昇っている。


 ブラッディドールは一瞬だけエドモンドのほうを見ると、そのまま駐車場の奥に広がる闇へと身を隠した。


「──ユイ!!」


 望月隊長が駆け寄ってくる。


「傷を見せてみろ」


 隊長が刺された肩の傷を確認する。

 少し揺さぶられただけで、悶絶するような痛みが傷口から全身へと広がる。


「……大したことないです」


「強がるな。かなりの深傷だ……エドモンド!! ユイの手当を頼む!」


 隊長に呼ばれてエドモンドが私の側にしゃがみ込んだ。


 肩から流れ出た血が地面の水と混ざり合い血の川を作り出す。


 徐々に意識が遠のいていくのを感じた。


「見せてください──心臓に近い位置を斬られています。これは早く血を止めないと……」


 彼はナイフで私の服を切り裂くと肩を露わにさせた。

 バックパックから小さなスプレーを取り出して傷口に散布。スプレーから出た泡がジュワジュワとした感触を肌に伝えてくる。


「貫通しています。反対側の傷口も閉じましょう」


「わかった──」


 隊長が後ろから抱え込むように、私の半身を起こしてくれた。身体が氷水に浸かったように冷たくなっていく──全身が小刻みに震え出した。


「ユイ──!! しっかりしろ!」


 もう返事する気力すら無かった。視界が白けて、幕が降ろされるかのように狭まっていく。


「まずいです……傷口は閉じましたが血を失い過ぎています。早く輸血しないとこのままでは……」


「クソ──!! おい! ユイ!! おれを見ろ!!」


 私は僅かに残った意識の欠片を隊長の方に向ける。


「……隊長……私より辛そうな顔……ですね」


 笑ったつもりだったが、口元に力が入らず上手くいかない。


「ダメだユイ──!! くそ! こうなったら……」


 隊長が太腿のポケットからなにか取り出した。視線が定まらず、それがなにか認識できない。


「それは……」


「アクセラレーターだ。こいつをユイに打つ──」


「それはリスクが大き過ぎます!! 今の彼女でら耐え切れるかどうか……下手したら死んでしまいますよ!」


 エドモンドの必死の声が辛うじて聞こえてくる。アクセラレーター……注射器に入った赤色の液体を思い出す。


「こいつは体内のナノバイオマシンを極限まで活性化させる。傷も修復可能なはずだ」


「ですが……」


「このまま彼女を死なせるより、僅かな可能性におれは賭けたい。いいなユイ?」


 私は遠のく意識の中、残る全ての力で瞼を閉じて開いた。やってください──そう隊長に伝えたかった。


 私の意思が伝わったのか、隊長が私の肩を抱き寄せた。腕に針が当たる微かな感触を感じる。肩の激痛で注射されている感覚は一切無い。


「よし──」


 チャポンとなにかが水面に落ちる音──隊長が注射器を捨てたのだろう。


 それは突然だった──まるでガソリンに火を注いだかのように、急激な熱さで体内が焼かれる。皮膚の裏側が熱を帯び、血管の隅々で猛獣が暴れ狂っているかのようだ。


「うああああーーーー!!!!!」

 

 咆哮の如く叫んだ。


 電気ショックを与えられたかのように身体が上下に揺さぶられる。


 抗えない──。


 まるで悪魔が私の身体を乗っ取り、好き勝手に動かしているかのようだ。


「ユイ──!! 大丈夫か!! 気をしっかり持つんだ!!」


 隊長が力強く私を抱きしめる。


 状況が状況なら恥ずかしさで顔から火が吹いていただろう。


 今はそんな余裕は無かった──。


 激しく痙攣する私の身体を隊長が力強く支える。


 暫くして、身体の震えが徐々に治まってきた。


 同時に混濁していた意識に光が差す──。


 靄がかっていま視界が澄み渡り、今なら暗闇のさらにその先まで見通せそうだ。


「隊長……」


「──ユイ!!」


 私を心配そうに覗き込む望月隊長の顔が今ははっきりと見えた。グレー色の瞳が真っ直ぐこちらを見つめてくる。


 ポツリと頬に水が当たる。


 穴の空いた天井からは、煤のように真っ黒な雨雲が空を覆い尽くしていた。

 このままだと土砂降りになりそうだ……それよりも、天候に気が回るほど回復したのが信じられない。

 手を握りしめれば自分の骨が折れそうなほどだ。私の身体は想像以上の力に満ち溢れていた。


「大丈夫ですか?」


「──大丈夫です。むしろ大丈夫過ぎるくらい……」


 望月隊長の肩を借りて立ち上がる。まだ少しふらつくのは血が足りてないせいだろうか。


「無理はするな。お前は今、アクセラレーターによって強制的に生体機能が向上しているだけだ。傷は塞がるだろうが、失った血は直ぐには戻らない。副作用も激しいだろう……あと数分だ。今すぐにここを離脱しろ」


「隊長は──!?」


「おれはこいつをヤツにぶち込んで全てを終わらせる──」


 隊長の手には例の装置が握られていた。鋭利だった尖端がへし曲がってしまっている。


「隊長──それは……」


「ああ、ヤツに取り付けようとしたら装甲に耐え切れず折れてしまった。直接ヤツの体内に埋め込むしかないだろうな……」


「私も一緒に戦います!!」


 今ならヤツが何人相手だろうが負ける気がしない。むしろこのみなぎるパワーを全力で解放してみたい気分だった。


「ダメだ──お前は数分後に動けなくなる。ヤツを倒せる保証なんてないんだ。危険過ぎる」


「危険は承知です。それに──」


 会話の途中で背後から気配を感じた──。


 瞬時に腰のホルダーからナイフを引き抜いて頭上に構える。


 甲高い金属音と共に火花が飛び散った。


 突然、私の背後からブラッディドールが襲いかかってきたのだ。闇に紛れて奇襲の機会を窺っていたのだろう。


 攻撃が防がれるとは思っていなかったのか、相手の動きが一瞬止まる。

 その隙を突くかたちで素早く身を翻す──左足を軸に槍の如くしなった脚が水飛沫を上げながら標的の顔へと吸い込まれていく。

 強烈な回し蹴りを顔に喰らったブラッディドールは数メートル先の闇に飛ばされ再び姿を消した。


「凄い力ですね……」


 エドモンドが眼鏡を正しながら、珍獣でも見るかのようにまじまじとこちらを見つめてくる。

 感知能力、反射神経、筋力、全てが桁違いに向上しているのを肌で感じる。凄まじい効果だが、その分の副作用は覚悟しておく必要がありそうだ。


「気をつけろ──また来るぞ!!」


「ぐあ──!!」


 エドモンドが激しく前に倒れ込んだ。背中のバックパックは大きく切り裂かれ、戦闘服から血が滲み出している。


「エドモンドさん──!!」


 ブラッディドールは「キッキッキ」と不気味な笑い声を発しながら再び闇へと姿をくらました。


「うう……」


 エドモンドが苦しそうに唸る。バックパックを外して傷を確認すると、斜めに深い傷を負っている。

 私は周りに散らばった荷物からスプレー缶を手にしてエドモンドの傷口をなぞった──さっき彼が私にそうしてくれたように。

 シュワシュワした泡が固まっていく。血は止まったが、激しく動くのは難しそうだ。


「ありがとうございます……私のことは……いえ、なんでもありません」


 きっと自分のことは置いていけと言いたかったのだろう。それが最善策では無くなったことを彼は悟ったに違いない。

 この状況は絶望的だった。私だっていつ動けなくなるかわからない。エドモンドを背負って離脱するには時間が足りなかった。だったら……。


「ユイ! エドモンドを挟んでバックトゥバックだ──!!」


「了解です!」


 隊長と私はうつ伏せになったエドモンドを挟むようにしてお互いの背中を合わせた。左手にナイフ、右手に拳銃を構える。


 バックトゥバック。背中合わせ。


 敵に囲まれたときや、闇の中で襲ってくる敵の位置がわからないときに使用する戦法だ。


 どちらかがやられた場合、背を向けている方は敵に対して完全に無防備なため、信じた相手にしか背中を任せられない。


 退路を絶たれたときの最終手段。

 

やるかやられるかのシンプルな二択。


今の私達にはおあつらえ向きだ──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る