Field 14
間も無くして作戦区域に到着した。
旧新宿跡地歌舞伎町エリア──歴史の資料によると、ホストクラブやキャバクラと呼ばれる、男性や女性がお客を接待するお店が連なる都内屈指の飲み屋街だったらしい。
その一角に四方を建物に囲まれた広場がある。そこが作戦ポイント。狙撃に昔は映画を上映する施設だったらしいが今は廃墟と化している。
「総員! 作戦内容通りに行動を開始しろ!! 気を抜くな!!」
輸送車の後方扉が開かれ、室井班が素早く外に出る。
「ユイ──俺らも行くぞ」
「はい!」
望月隊長に強く頷き返す。いよいよ作戦開始だ。念のため、最後に軽くヘッドギアの動作チェックをしておく。
輸送車の外に出ると、空高く昇った太陽がジリジリとひび割れたアスファルトを照り返していた。遠くのほうにどんよりとした雨雲が見える。
「ユイ──エドモンドについて行け。何かあれば無線で指示を出す」
お前は来るなと言われているようで気持ちが落ち着かない。しかし命令であれば背くわけにもいかない……兵士としての自分と、隊長のバディである自分との間で揺れ動く。
「でも隊長! 自分は隊長の──」
「わかってる。お前は優秀なバディだ。だからこそ……」
隊長はそこで言葉を止めて光学迷彩を纏った。彼の姿が背景に溶け込んでいく。
「ここで死なせたくない──」
消えゆく姿に語尾が重なる。それが最後の挨拶のように聞こえ、これからの運命を暗示しているようだ。
(置いていかれる気持ちにもなってよ……)
それが隊長の優しさだってことはわかっている。それでも最後まで彼の側にいたかった。
「ユイ──行きましょう」
エドモンドさんが狙撃用のロングコートを差し出してきた。お礼を言ってコートを受け取る。
自分の悲しみを覆い隠すように、フードを深々と被った。遠くの空で雷が鳴る音が微かに聞こえてきた。
「ここが私たちの狙撃ポイントのようですね」
エドモンドさんが先に到着していた本隊と連絡を取り、狙撃ポイントへと案内してくれた。
ビルの階段を登り屋上へと出た先には、大きな怪獣がビルの上から頭を覗かせていた。
雨風にさらされ、塗装が所々剥がれ落ちていて見る影もないが、真下から見上げると巨大なモニュメントだけあってなんとも言えない迫力がある。
私とエドモンドはビルの縁にスナイパーライフルを設置する。怪獣の威圧感たっぷりの鉤爪が隣にあるのは落ち着かないが仕方ない。
「室井隊長たちはどこにいるんでしょうか……」
「恐らく広場のどこかに潜んでいるはずです。室井隊長は奇襲に長けていますから」
光学迷彩を纏った隊長たちの姿は目視では確認できない。
ゴロゴロとまたどこかで雷が鳴った──先ほどよりも近くに聞こえる。太陽は依然として燦々と輝いているが雨雲が近づいているのだろうか。
「──こちら司令部。総員に通達。標的を発見したとの報告が入った。総員戦闘態勢に移行せよ。追って指示を出す。オーバー」
(ヤツを発見した──!!)
心臓が微弱な電流を流したかのようにドキッとする。エドモンドさんの方に目をやると彼はまだ誰かと通信しているようだった。
「わかりました。気をつけてください──」
通信が終わったようだ。彼は緊迫した表情で眼鏡のフレームをクイっと持ち上げる。
「サイモンからでした。マイケルがブラッディ・ドールを発見したようです。サイモンのトラップで標的をこちらに誘導しているとのことです」
「いよいよですね……」
私は固唾を飲み込んだ。ごくりと唾が鉛のように食道を通過する。
トリガーに触れた人差し指が緊張で強張っている。
(らしくないな……)
「ユイ──良ければこれを嗅いでください。リラックスできますよ」
そう言って小指ほどの小さな瓶を差し出してきた。手に取ると、濃い青色をした半透明のガラス越しに液体が透けて見える。
「これは?」
「アロマオイルです。希釈してあるのでそんなに香りは強くないですが、直接嗅ぐにはちょうどいいですよ」
エドモンドさんに勧められて、蓋をしているコルクをキュッと外す。
瓶の口に鼻を近づけて軽く嗅いでみる──自然でフレッシュな香りが鼻腔を通じて私の脳に届く。
「良い香り……」
思わず何度も嗅いでしまう。なにかの花だろうか、ほのかに少し苦味のある柑橘系の香りもする。複雑ながらどこか懐かしく、優しくて穏やかな香り。
「ラベンダーとベルガモット、アクセントにフランキンセンスを加えたアロマです」
エドモンドさんの口から次々と聞いたことのない固有名詞が飛び出す。
恐らく植物の名前だろうが、その辺に咲いている花の名前すらろくに覚えていない私にとっては難易度が高すぎる。
「初めて嗅ぎました。とても良い香りで安心します」
「天然の植物から採取したオイルです。室井班は各地の支部を回っているので、その間に採取しました。リラックスできましたか?」
「はい! エドモンドさん、ありがとうございます。おかげでだいぶ落ち着きました」
「それはよかったです。あ、さん付けはいりませんよ。エドモンドで大丈夫です」
エドモンドさんが眼鏡の奥で目を細めて微笑んだ。優しい笑顔だった。こんな時代でなければ、彼はきっと兵士になどなっていなかったはずだ。
「では、そうさせていただきます。エドモンド──」
私が小瓶を返そうとすると、彼は片手をこちらに向けた。
「持っていてください。私からのプレゼントです」
「いいんですか? ありがとうございます!」
私の口から思わず笑顔が溢れる。先ほどの緊張が嘘のようにほぐれて、強張っていた筋肉が緩んだ。小瓶を腰にしている軍用ポーチにしまい、ゆっくりと深呼吸をした。
(集中するんだ──)
「ターゲットが来ました──2時の方角です」
エドモンドの言葉に私はハッとしてスナイパーライフルのスコープを覗き込んだ。
広場の奥、ビルとビルの狭い路地からそいつは現れた。ゆらりゆらりとまるで浮遊霊のように広場中央に向かって歩いてくる。真紅のボディが日差しを浴びて生々しい血色を生み出している。
「──こちら司令部。ターゲットが広場に現れた。繰り返す。ターゲットが広場に出現。狙撃班はターゲットが広場中央に来るまで待機。合図と同時に一斉射撃を開始せよ」
司令部からの無線で広場の空気が一気に変わる。私はトリガーに触れている人差し指を少しだけ引き寄せた。
ブラッディ・ドールが広場の中央に移動するまでだいぶ時間が経った気がする。あと少しで中央に到達するというのにやけに長く感じられる。
のろのろとした動きに焦らされているようで、苛立ちが募る。もしかしてヤツには全てお見通しで、わざとこちらを苛立たせているのでは……そんなことは無いはずだと自分に言い聞かせる。
どんなに無敵とはいえ、所詮はロボットだ。感情もなければ、人間のような知性などないはず。
「──司令部より狙撃班各自に繰り返し告ぐ。こちらの合図で一斉射撃を開始せよ」
トリガーを握る手に力が入る。同時に全神経を標的へと持っていく。のろのろと歩く姿はまるで実体のない陽炎のように不安定だ。
一定のリズムで呼吸を整えて風向きを読み、風の抵抗を予測して弾道をシミュレーションする──実弾は電子パルスと違って物理的法則の制限を受けやすい。
標的との距離は200メートル。これくらいの近距離なら余程のことがない限り弾が外れることはないだろう。
一斉射撃なので自分の弾が当たらなくてもさほど影響は無いかもしれないが、それでも任された任務をきちんとこなすのが兵士の務めであり、望月班としてのプライドだ。
「ユイ──そろそろです」
エドモンドの声はいたって冷静だった。室井班の経歴からして、きっと私が想像している以上に過酷な状況下で生き残ってきたんだろう。
私は短く返事を返して、最後に深く息を吸って止めた。
「──総員! 射撃開始!!」
無線の合図が耳に伝わって脳に到達すると同時に私の指がトリガーを引いた。
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