Field 11

 鼻で吸った空気をゆっくりと口から吐き出した。呼吸を整えて闘争心に火を付ける。

 パンチを喰らったみぞおちの痛みをアドレナリンが麻痺させていく。


 目の前で薄ら笑いを浮かべている赤髪の女。なんでこんなことになったのかは考えるまでもなかった。私が相手の挑発に乗ったただそれだけのこと。


(よし──呼吸が整ってきた)


「あれで戦意喪失とならなかったことだけは褒めてやるよ──!」


 彼女は身体を左右に揺らしながら間合いを詰めてきた。ボクシングの動きに似ているが、ステップの運びが独特でリズムを掴みづらい。


 鋭い右ストレートが放たれる──上半身を少し左に逸らしてスレスレで避けると、そのまま左からのフックが間髪をいれずに迫り来る。

 攻撃が当たる寸前で片足を軸に右に回転しつつ身体を沈ませた。左フックが私の頭をかする感触──回転の勢いをつけたまま彼女の足を狙って蹴りを入れる。

 当たったと思ったのも束の間だった。相手はジャンプでそれをかわし、片足を九十度に上げると頭上目がけて踵を振り下ろしてきた。

 かわすか受け止めるか、考える前に身体が反応する──前のめりに両手を床につけてから、全身のバネを使って逆立ちの体勢から天井に向かって右脚を突き上げた。

 手が地面を離れ、身体が宙に浮いた。相手の踵が振り下ろされる前に、放った右脚が槍の如く相手の顎に吸い込まれていく。


「がはっ──!!」


 強烈なカウンターを喰らって、彼女の顔が大きく後ろに逸れた。私がそのままの勢いで回転して床に着地するのと、彼女が倒れ込むタイミングが重なった。


 油断せず、すかさず身構えるも、相手は起き上がって来なかった。脳震とうを起こしているのかもしれない。

 

「おおー!!」


 静まり帰っていた外野から拍手と歓声が上がった。

 私がそれに気を取られていると、ゾクっとした殺気を感じて前を向く。そこには、いつの間にか起き上がった彼女の姿があった。目は血走り、怒りで顔が歪んでいる。


「てめえこのガキ……殺してやる──」


 そう吐き捨てると太ももに装着していたアサルトナイフを引き抜いた。むき身の刃が鈍い光を放つ。


「おい……ヤバくないか?」


 周りの歓声が心配の声に変わる。彼女の気配に怖気付いたのか、この危険な争いを止めに入ろうとする者はいなかった。

 

 相手が身を屈めて地面を蹴った──獲物を狩る野獣がスタートダッシュをする如く、凄まじいスピードで迫って来る。

 

 やられる!!──なんとか交わそうと身を逸らすも、間に合わないと直感でわかった。目を閉じて歯を食いしばる。

 下っ腹にナイフが食い込む感触──がしたかと思ったが痛みはない。カランとナイフが床に落ちる音がした。


 目を開けると、ナイフを握っていた手をさする彼女の姿があった。床に落ちたナイフの隣には係の女性が手にしていたタブレットが転がっている。


「なにをやってるんだアイーシャ!!」


 声の方に目をやると、長身という言葉では言い表し難い巨人のような男が立っていた。

 目隠し棒はしていないが、全身黒ずくめの戦闘服はアイーシャと呼ばれたこの赤毛女と同じものだ。


「隊長……すまねえ」


 赤毛女はバツが悪そうに顔を伏せた。まるで悪さをした子犬のようだ。散々ひとのことを子犬呼ばわりしたくせに呆れたものだ。


 隊長と呼ばれた大男は、大股で近づいてくると私と赤毛女の間に割って入った。

 

「うちの者が済まなかった。お前さんは望月の……」


「部下の火打ユイです」


 そうか──と短く呟くと、赤毛女の耳を掴んで揺さぶった。


「お前は何度言ったら分かるんだ!! あっ?」


「いてて!! 悪かったって隊長!」

 

 赤毛女は涙目で必死に抵抗している。大男との身長差がありすぎてこのまま耳ごと持ち上げられそうな勢いだ。


「とにかく、待機室に来い!」


 耳を掴まれたまま赤毛女が引きずられていく。

 私はこのまま放置されるかと思ったが、大男がドアに手を掛けて振り返った。


「すまない、あんたもだ」


 乗り気ではなかったが、そもそもあの待機室で待っているように言われている。私は頷き返して、仕方なく彼らの後に続いた。


「わ、私のタブレット〜〜〜」


 後ろで係の女性が涙声で叫んだ。可哀想だけど、あのタブレットが無ければ私は刺されていたに違いない。

 それよりも、突進していた相手の手に、タイミングを合わせてタブレットをピンポイントで当てるなんて……。


「おい! お前らも見ててなぜ止めない!!」


 待機室に入った途端、大男が怒鳴り散らした。

 残りの三人は最初のときと変わらない姿勢でベンチに座っている。


「止めても無駄ですよ。隊長だってわかってるでしょ」


 手前にいたひとりがボソッと言葉を吐き出した。残りのふたりは依然として沈黙を保っている。


「ちっ────。お前ら全員起立しろ!!」


 大男の声に座っていた三人が同時に起立してビシッとこちらを向いた。愛想が無くても彼らは訓練された兵士だった。


「よし。全員、目隠し帽をとって彼女に挨拶しろ」


 大男がチラッと私に視線を向ける。三人は言われたままに目隠し棒を取った。


「マイケル水野だ。この隊では索敵を主に担当している」


 私とそこまで背が変わらない、一番小柄な男が先陣を切って挨拶した。クルクルした栗色の髪が可愛らしいが、目つきは鋭い。


「おれはトラップ担当のサイモン白石。よろしくなお嬢ちゃん」


 いかにも優男風な男は、肩まである金髪を無造作にかきあげた。


「メディック兼スナイパーのエドモンド倉木です。よろしくお願いします」


 男はそう言ってクイっと眼鏡を正した。サイドを短く刈り込んだいかにも真面目そうな雰囲気をしている。少なくともこの隊の中では一番まともに見えた。


「お前もだアリーシャ」


 大男にせつかれて、赤毛女が渋々挨拶をする。


「アリーシャ砂鳥……」


「こいつは主に戦闘担当だ」


 大男がポンとアリーシャと名乗った赤毛女の頭を叩く。


「そしておれがこいつらのまとめ役で隊長の室井シンジだ」

 

 大男こと室井隊長が人懐っこい笑顔でニコッと笑う。日に焼けた肌に白い歯がよく映える。


「望月隊の火打ユイです」


 どうせ任務を共にするだけなのだ、別に仲良くする必要もないだろう。私は素っ気なく挨拶を済ませる。


「お前さんがあの望月が大事にしてるっていう秘蔵っ子か」


 まるで珍獣でも見るかのように、室井隊長がグッと顔を近づけてきた。山のような威圧感に思わず後退りしてしまう。


「おっと! すまんすまん! 怖がらせるつもりはなかったんだ!」


 室井隊長の笑い声が待機室に鳴り響く。ひとりだけメガフォンを持って話しているような声量だ。


「それよりお前さん強いな。このアイーシャにカウンターを喰らわすやつは解放軍の中でもそうはいない。さすがは望月に叩き込まれただけのことはある」


「あ、いえ……」


 褒められると気恥ずかしくなってつい俯いてしまう。望月隊長に叩き込まれたのは事実だが、未だに私は隊長に模擬戦で勝ったことが無かった。勝つどころか、気がついたら床に転がっている始末だ。


「ユイ──!! 大丈夫か!?」


 待機室のドアがバンッと音を立てて勢いよく開いて、慌てた表情の望月隊長が室内に駆け込んできた。


「隊長──!?」


「ユイ……話は聞いたぞ。なにがあった?」


 隊長が私の肩をガッシリ掴むように両手を掛ける。

(こんなに心配してくれるんだ……)

 いつも飄々として冷静な隊長が自分のために取り乱すなんて。なんだか悪いようで、でも少しだけ嬉しかった。


「あ、えっと、大丈夫です!」


 私の言葉に納得していないのだろう。隊長は怪訝な表情を浮かべている。


「望月──」


 室井隊長に肩を叩かれて望月隊長が振り返る。


「室井……」


「いや、うちのヤツが喧嘩をふっかけたんだ。悪かった。ほら、お前も謝れ」


 室井隊長がムスッとしていたアイーシャの後頭部を掴んで一緒に頭を下げた。


「本当なのか? 怪我はしていないんだな?」


 望月隊長が確かめるように私を見てきたので、そっと頷いた。パンチを喰らったみぞおちが未だ少し痛むけど、大したことはなさそうだ。


「室井──大事な作戦前だぞ。わかってるのか?」


 隊長に問い詰められて、室井隊長はポリポリと頭を掻いている。

 

「ああ、もちろんだ。血の気の多い連中でな、ほんとすまない」


「隊長……おれらまでアイーシャと一緒にしないでください」


 小柄なマイケルが眉をひそめてため息をつく。


「おい! チビ!! てめぇ、それどーいう意味だ!!」


 アイーシャが猛犬の形相でマイケルに向かって吠え立てる。


「やめろお前ら!!」


 室井隊長がアイーシャの襟を後ろから掴んでグイッと引っ張る。


「大丈夫なのかこいつら……」


 私は望月隊長と呆れ果てたように目を見合わせた。

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