Field 10
翌朝、起きているのか寝ているのかわからない不安定な眠りから私を起こしたのは腕のアームデバイスだった。
『作戦通達──本日1300にオペレーションヴォルフファングを決行する。この通知を受け取った隊員は1100までに出撃ルームに集合せよ』
液晶の光が休眠室の壁を青白く照らしている。時間は朝の五時──他の隊員の穏やかな寝息があちらこちらから聞こえてくる。
昨日は座学を受けたあと、体調不良という人生で初めての理由をつけて全ての科目をすっぽかしたのだ。
(もう寝れないだろうな……)
二度寝を諦めた私は、アームデバイスの光を頼りに壁に掛かった軍服をもぎ取った。軍服に袖を通すと、心なしか気が引き締まる。
パン!と両手で自分の頬を叩いた。
(気合い入れろ火打ユイ!!)
休眠室を出ようとしたとき、入り口付近のベッドで誰かに手首を掴まれた。反射的に身体がビクッとなる。
「待ってユイ──」
「スズ?」
私を掴んだスズの手首から青白い光が溢れている。
「スズにも来たんだね。そっか、スズはスナイパー成績上位だったね」
私の言葉に彼女はゆっくりと頷いた。
スナイパーは作戦の要でもある。腕の良い隊員はあらかた召集されているに違いない。
「その……大丈夫? 望月隊長のこと……」
彼女にも作戦内容は伝わっているのだろう。隠す必要もなかった。
「大丈夫と言いたいけど、今回ばかりはさすがにちょっとしんどいかな……ありがとう」
私はスズの手を振り切ると、そそくさと休眠室を後にした。
本当は大丈夫なんかでは無かった。隊長の死を考えると今にも心が折れそうだ。
なんなら私が隊長の代わりにあの装置を使ってやる!
などとバカなことを昨日は一日中考えていたほどに……。
味のしない朝食を取ったあと、私は誰にも会わないよう、隊員に解放されている個室のワークスペースに篭ることにした。召集の時間までまだ大分ある。
(……隊長を死なせない方法はないの?)
個室の端末を使って調べようかとも思ったが、なにを検索していいのか分からず壊れた機械のようにフリーズした。
端末のキーボードに顔を伏せて無力な自分を呪う。時間だけがただ無駄に過ぎていった……。
ブルブルと手首に振動が走る。ハッとして顔を上げるとアームデバイスの画面が10時にセットしたアラームを鳴らしていた。
昨晩は睡眠が足りていなかったせいか、寝落ちしてしまったようだ。
(いかないと……)
鉛のように重くなった心をなんとか奮い立たせてワークスペースのドアを開ける。廊下の光がやけに眩しく感じられた。
出撃ルームまではゆっくり歩いても時間には十分間に合う。それでも早めに着いていることに越したことは無いだろう。
途中でトイレに立ち寄り、冷たい水で顔を洗った。鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。
邪魔だからとトモカに短く切ってもらった髪から水がポタポタと滴り落ちる。
元々、地黒な上、日に焼けてさらに黒くなった顔に、目尻の上がったつり目がちな瞳がこちらを見つめ返している。
(今は作戦に集中しろ……)
そう自分に言い聞かせて、ハンカチを手にすると。私は迷いを打ち消すように、乱暴に顔を拭った。
足取り重く出撃ルームにたどり着くと、既に何十人かの兵士が待機していた。
何人かは顔見知りだが、私と同じ階級の兵士は少ない。その殆どが隊長クラスの腕章を腕にしていた。各々が真剣な表情で武器や装備の確認をしている。
「火打ユイ一等兵ですね」
入り口付近にいた女性兵が近づいてきた。軍仕様のスカートにタブレット状のデバイスを手にしている。
「はい」
私は短く敬礼する。
「あなたは特別待機室に通すように命令を受けています。どうぞこちらへ」
彼女に案内されて出撃ルームの脇に設置された部屋に入る。
「失礼します──」
彼女の後に続いて部屋に入った途端、私の足が硬直した。部屋の中は異様な空気で満たされていた。まるで猛獣の檻にでも足を踏み入れたかのような感覚に全身の毛が逆立つ気がした。
中を覗くと、さほど広くないロッカールームにベンチが左右に並べられている。ベンチには、頭から足の先まで全身黒い戦闘服に身を包んだ兵士が四人、それぞれ向かい合わせで座っていた。
「火打ユイ一等兵をお連れしました。では、私はこれで」
係の女性は逃げるよう私を置いて部屋を出て行ってしまった。ずっとドアの前に立ち竦んでるわけにもいかず、私は一歩前に出て敬礼する。
「火打ユイ一等兵です! よろしくお願いします!」
私の言葉に誰も反応しない。四人は静かに座ったままだ。黒い目隠帽を被っているせいで表情どころか性別すらも不明。殺気だけがロッカールームに充満している。
どうしたらいいのか分からずに立ったままでいると、左のベンチ、一番手前に座っていた兵士がスッと立ち上がった。
「あんたが望月カガリの子犬か」
「子犬?」
声からして女性だと分かった。それにしても子犬とは舐められたものである。
「子犬かどうかは分かりませんが、彼のバディです」
ハッハッハ──バカにしたような笑い声。わざとらしく腹を抱えて笑うと、彼女は突然グイッと顔を近づけてきた。長いまつ毛の下で燃えるような赤い瞳がこちらを睨みつける。
「ヒヨッ子がいっぱしの口利くじゃんか。じゃあ見せてみろよ。あんたが望月カガリのバディに足り得るかどうか」
分かりやすい挑発。彼女は隊長と知り合いなのだろうか。どっちにしても、売られた喧嘩を買わないほど私は大人ではない。
「それはあなたが決めることじゃないと思いますが、望むのであればお見せします」
彼女は目を丸くしてまたケラケラと笑った。
「いいねぇ! 気に入ったよ。じゃあ、見せてみろよ子犬の実力とやらを」
付いてこい──と言うと彼女は私の隣をすり抜けてロッカールームのドアを開いた。
他の三人は依然として無言でベンチに座っている。こちらのやり取りに全く興味がないようだ。
(面倒くさいことになったかな……)
今更後悔しても遅かった。私も彼女の後に続いてロッカールームを出た。
「さあ! あんたら場所を開けておくれ』
何事かと周りがざわめき出す。彼女はお構いなしに出撃ルームの中央に移動するとこちらを振り向いた。
「私とタイマンで一本でも入れられたら認めてやるよ子犬ちゃん」
いちいち気に触る女だった。階級も年齢も恐らく私より上だと推測するが、向こうがその気なら構わない。
「べつにあなたに認められなくていいです」
この手の安い挑発に乗って頭に血を上らせるのは愚かだ。私はゆっくりとホールの中央に移動して彼女と対峙する。
「そのすまし顔が涙でぐしゃぐしゃになるのが楽しみだ」
彼女はそう言って戦闘服の上着と目隠し棒を脱ぎ捨てた。瞳と同じ、燃えるように真っ赤な長髪がバサっと肩に掛かる。
私は冷静に相手を観察した。身長は自分より少しだけ高い。程よく筋肉がついた身体は引き締まっていて無駄がなかった。それでも体格に大きな差はなさそうだ。
「脱がないのか?」
彼女は腕を上げながら伸びをし、小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。ポキポキと首の骨を鳴らしていかにも余裕たっぷりだ。
「このままで大丈夫です。とっとと始めましょう」
「そうかい──」
気に食わなそうにアゴを上げたと思った刹那、彼女の身体が視界から消えた。
(えっ!?)
次の瞬間、スピードを纏った強烈なパンチが私のみぞおちに食い込んだ。
横隔膜がダメージを受けて呼吸が止まり、痛みの反射で身体がくの字に曲がる。カハカハと乾いた咳と共に、ヨダレがダラリと口から漏れた。
朝食を少なめにしておいたのは正解だった。でなければ盛大に戻していたところだ。
(見えなかった……)
油断していたのもあったがとてつもなく早い動きだった。屈んでから膝のバネを利用して一気に間合いを詰められたのだ。
痛みに耐えながら私は苦痛で歪んだ顔を上げた。相手はこちらを見下ろしながら薄ら笑いを浮かべている。
「そうそう! その顔だよ!! 子犬らしくダラダラヨダレ垂らしちゃってさ」
(ムカつく……)
冷静でいようかと思ったがやめた。ただでさえやり場のない感情を抱えているのだ。私は込み上げる怒りに身を任せることにした。
「こっからだ」
口のヨダレを袖で拭い取り、姿勢を戻して右手を前にゆっくり構えた。
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