Field 8

 技術局を訪れてから数日が過ぎた。あれから上層部からはなんの指令も降りてこず、私は望月隊長と日々の哨戒任務をこなしていた。


 イドラは相変わらず毎日遭遇するものの、は鳴りを潜めている。

 他の班からも報告が上がってこないということはどこかに隠れて機会を待っているのだろうか。

 

 この静けさが逆に嫌な予兆の前触れのような気がしてならない。


「現れませんね……」


 私はスナイパーライフルを構えながら、隣でじっと双眼鏡を覗く望月隊長の横顔をチラっと見る。

 今日は曇りということもあり光学迷彩は切っている。太陽光エネルギーの供給が見込めないため、出来るだけバッテリーを温存しておくためだ。


「現れて欲しいのか?」


 隊長は双眼鏡を除いたまま少し意地悪そうに答える。


「いえ! そういうわけじゃ……ただ、気になるんです。静か過ぎて。もしかしたら、なにかの欠陥が生じて機能が停止したとか……」


 そうだったらどんなにいいだろう。隊長も死ななくて済むのだ。僅かな可能性にもすがりたい自分がそこにはいた。


「それはないだろうな……細切れにされても再生する遺伝子を持つやつだ。まあ、現れたところで今は対抗しようがない。上層部からも発見したら退避の命令が出ているしな。まあ、あらかた例の装置を使った対策でも練っているんだろ」


 隊長の言葉に私の心臓がキュッと縮こまる。小型ブラックホールを発生させる装置──対象はもちろん使用者も巻き込む呪いの仕掛け。


「隊長は怖くないんですか? その……」


「死ぬのがか?」


 まるで自分の好きな食べ物を聞かれたかのような軽やかな返事。彼は双眼鏡から目を離すと遠くを自分の目で見つめた。

 彼のグレーの瞳に映る景色も灰色なのだろうか。そんなバカなことを考えてしまう。


 おっ!──隊長は慌ただしく手元の双眼鏡を覗き込んだ。


「あれは……ヒメハジロだ! ユイ! あれはかなり珍しい鳥だぞ! お前も見てみろ!!」


 子供のようにはしゃぐ隊長がぐいっと双眼鏡を渡してくる。

 ヒメハジロと言われてもピンとこない私は戸惑いながらも双眼鏡を覗いた。

 元は美しい庭園だったと言われている池で、二羽の鳥が気持ちよさそうな水浴びをしている。丸い頭は白くクチバシにかけて黒のツートーン。あどけないつぶらな瞳がなんとも愛らしい。


「可愛いらしい鳥……つがいですか?」


「ああ、夫婦だな。ヒメハジロは北アメリカの鳥でごく稀に冬になると日本に飛来する。俺も見るのは初めてだ」


「隊長はほんとに鳥が好きですよね」


 私は笑いながら双眼鏡を隊長に返した。

 普段は掴みどころのない隊長がたまに私だけに見せる無邪気な姿。私はそう言う彼のところが好きだった。もちろん恋愛感情的な意味は無いと、そう自分に言い聞かせる。


「鳥は自由にどこにでも空を飛んでいける。あいつらを見ていると、自分も自由になった気持ちでいられるんだ」


 そう言うと隊長は立ち上がった。

 冬の冷気を帯びた風が吹き抜ける。双眼鏡を手に持ち、その風に身を任せて立つ姿は、まるで今から羽ばたく鳥のように自由で気高く感じられた。


「任務終了だユイ──そろそろ行くぞ」


「あ、はい!」


 私は慌ててスナイパーライフルのスコープカバーを閉じた。まださっきの答えの続きを聞けていない。


「隊長……さっきの質問ですが」


 隊長は私を見下ろすと静かに見つめてきた。どこか憂いを帯びた灰色の瞳に吸い込まれそうになる。


「そうだな。怖くないと言ったら嘘になる。誰でもそうだろ? 死ぬのが怖くないなんてそれは生きてるとは言えない。ひとつ言えるのは……」


 私はその言葉を聞き逃さないように黙って見つめ返す。時間が永遠に感じられた。身体の芯を冷やすような木枯らしが私の前髪をなびかせる。


「守りたいんだ。全人類とは言わない。せめて俺のこの手が届くその人たちだけでも。あの敵を野放しにしたらこの先、俺の大切な存在が消えてしまうかもしれない。本間やトモカのようにな。俺は死ぬのが怖くてそれを黙って見ているような人間にはなりたくない。ただそれだけだ」


 何も返す言葉がみつからなかった。隊長の覚悟は揺るぎない。私が何を言ったところで、きっと彼の心は変わらないだろう。

 そう思うと自分の無力さに嫌気がさしてくる。


 隊長はライフルを背中に回すと歩き出した。

 背中越しになにか言われた気がする。風の音でその言葉はかき消されてしまう……。


 振り返ると、池のヒメハジロが飛び立った。灰色の大空にむかって羽ばたく二羽の姿は、私たちがきっと手にすることが叶わない自由を謳歌しているように見えた。



 作戦が伝えられたのはそれから数日経ってのことだった。いつも通り食堂でひとり朝食を取っていると手首に振動が走った。デバイスの画面に本部からの通達が表示される。


『緊急招集──本通知を受けた隊員は0800にB1作戦室に集合せよ』


 以前にも全く同じ召集を受けたことを思い出す。

 嫌な予感しかしない。

 私は残りのコーヒーを飲み干すと足早に食堂を後にした。


 会議室に入るとそこには誰もいなかった。

 一瞬部屋を間違えたのかと思ったが、デバイスのメッセージには間違いなくB1会議室と書いてある。

 仕方なく最前列の真ん中で座って待っていると、会議室のドアが開き、望月隊長が入ってきた。その後に続き、小山大佐が部下を引き連れて姿を現す。


 隊長はこちらに視線を向けると、いつも通りの飄々とした足取りで私の隣に座る。


「おはようユイ──朝食はちゃんと食べたか?」


「おはようございます。ええ、食べました。オムレツとコーヒー」


「そうか」


 心なしか隊長の雰囲気が少し硬い気がした。今回の召集があの装置を使った作戦に関係することは間違いない。

 私だったらと思ってしまう。もし私が隊長の立場だったらこんなにも冷静でいられるのだろうか。死ぬと分かってて作戦を遂行できる覚悟が自分にはあるのか……。

 あると信じたいが、いざそうなったときに自分が正気でいられる自信は無かった。


「さて、霧ヶ谷技術局長からとある装置について我々は報告を受けたわけだが……」


 小山大佐は私たちの目の前に立つと、歯切れが悪そうに切り出した。いつも威張り散らしている大佐にしては珍しい。


「遠慮はない。彼女は全て知っている」


「そ、そうか。では、作戦内容を伝える」


 隊長の言葉に大佐は私に一瞬視線を向けて逸らした。

 もしかして、気を使われてる? デリカシーとは程遠く見えて、意外に繊細なのかもしれない。


「昨日、例の敵──えー、これについてはコードネームが決まった。コードネームは『ブラッディドール』。まあ見た目そのままだ」


 血塗られた人形──たしかに分かりやすい。本間隊長のヘッドカム越しに見たヤツの姿が脳裏に焼き付いている。


「昨日、ブラッディドールを旧新宿跡地、歌舞伎町近辺にて目撃したとの情報が偵察班より入った。監視カメラの映像からもやつはまだその近辺に潜伏していると考えられる……」


 大佐が伝えた作戦内容は至ってシンプルなものだった。

 歌舞伎町の広場を中心に四方からスナイパーを配置。斥候部隊がブラッディドールを広場に誘き出し、それを一斉に狙う。動きが止まったところで、望月隊長が小型ブラックホール装置をやつの身体に取り付けるという作戦だ。


「ヘッドカムの映像からも、スナイパーライフルの射撃はやつの動きを十分に止める効果があるとされる。そこからは接近戦になるが──まあ、望月隊長なら敵の攻撃を交わしつつあの装置を取り付けることは簡単であろう」


 簡単? 私はその言葉に怒りを覚えた。

 確かに隊長は接近戦において右に出る者がいないほどの実力を持っている。私もかなり隊長に叩き込まれたけど、未だに訓練用ナイフが彼の身体に触れたことがない。


 隊長が相手の身体に装置を取り付けるくらい造作もないことは私でも分かる。でも、問題はそこから先だ。装置は使用者を巻き込む欠陥品。任務完了は同時に隊長の死を意味する。簡単などという言葉で片付けるな──!!


「落ち着けユイ──」


 今にも大佐に食ってかかりそうな私に、隊長がポンと肩に手を置いた。

 爆破寸前だった怒りが行き場を失う。同時に悔しさが込み上げてくる。大佐に噛み付いたところで作戦内容が変わるわけではない。そんなことは分かっていた。でも……隊長が死ぬことだけはどうしても心が受け入れようとしなかった。


「ま、まあ……詳細はアームデバイスにも送っておくから確認するように。また作戦の決行日時については明朝になるので、今日中に必要なことは準備しておくようにしろ。以上だ──」


 大佐は吐き捨てるようにそう命令すると、足早に会議室を去って行った。

 私は固く拳を握りしめたまま、デスクに顔を伏せていた。

 ふざけるな! クソ──!! 隊長の命をなんだと思ってるんだ!!

 隊長の前にも関わらず、私は思いっきり拳をデスクに叩きつけた。

 ドン!と鈍い音が静まり返った会議室にこだまする。


「そうカッカするな。まあ、大差もああも見えて気を遣ってるんだ。ここに他の隊員がいないのもそういうことだ」


 隊長の言う通り、作戦内容を伝えるのに他の隊員がいないことが気になっていた。要は私に配慮してのことだったのだ。

 余計なお世話だ。私だって解放軍の兵士だ──覚悟くらいは……。

 私がなにか言おうとしたとき、隊長が私の手を取り手の平を開いた。


「ユイ──明日はおれの最終任務になる。これはお前が持っておいてくれ」

 

 そう言って渡されたのは隊長が大切にしてた懐中時計だった。


「──ダメです!! 受け取れません!!」


 咄嗟に出た言葉がそれだった。これを受け取るということは隊長の死を受け入れるということだ。


「まあ、そう言うな。天国にそいつは連れていけない。お前が持っていてくれ」


 隊長はそう言うと席を立った。そして私の頭にそっと手を添える。


「おれが臆することなく戦場に赴けるのはお前のおかげだユイ──大切なものができたとき、ひとは本当に強くなれるんだな」


 私は返す言葉が見つからなかった。

 隊長、あなたにとって私は何? いつもそうだ。あなたはいつも私の先を歩いている。その背中がどんなに頼もしかったことか隊長は想像したこともないよね?


「明日は長い一日になりそうだ。お前は今日はこのあと座学だったな。そのあとは適当に休め。準備はおれがしておく」


 ポンと私の頭を優しく叩いて離れる手。去っていく背中。


 行かないで! 私を置いて行かないでよ──!


 言葉にならない声が、叫びが、頭の中で虚しくエコーする。

 目から溢れ出るその涙に抗う術を知らず、私は霞んでいく隊長の背中をただ見つめることしかできなかった。

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