Field 7
「あの得体の知れないやつについてじゃったな」
どこから見ても幼女にしか見えない霧ヶ谷局長は天井から垂れ下がってきた巨大スクリーンの前に立っている。スクリーンがやけに大きく見えるのは彼女との遠近感によるものだろうかとつい考えてしまう。
技術局には部屋や家具という概念が存在しないようで、天井や地面から様々なものが出現する。今座っている丸椅子も床から突然上がってきたのだ。
こんなところにかける予算があるならもっと他に回して欲しいと、私を含めた下級兵の不満が聞こえてきそうだ。
「こやつじゃが……」
スクリーンに3Dモデリングされたやつの姿が映し出される。全身が血の色に染められた忌々しい悪魔。私は胸の奥から沸々と湧き上がる憎悪と怒りを必死に堪えた。
(許せない……あいつだけは絶対この手で葬ってやる)
「落ち着けユイ。気持ちは分かるが、今は冷静に敵を分析することが重要だ」
「はい……」
望月隊長の言う通りだった。頭に血が上ったままでは敵の思う壺だ。
「本間班での戦闘で回収した破片を分析したところ、複合金属発泡体のボディに加えて、高度な遺伝子工学技術が使われていることがわかった」
遺伝子工学技術? いったいなんのことだかさっぱりだ。
局長が手元のデバイスを操作して画面を切り替えた。スクリーンには一見ナメクジのような生物が映し出される。
ナメクジと違うのは、頭が三角形をしていて全体が平べったい。なによりもこの姿にはそぐわない可愛らしい目が頭の左右にちょこんと付いている。
「こいつはプラナリアという淡水に生息する数ミリほどの小さな生物じゃ。こやつの特徴として……」
局長の言葉に連動するように、プラナリアにメスが入り、細かい破片に切り裂かれていく。十等分されたところでメスが画面からフレームアウトした。
なにかの実験だろうか?
私は頭を傾げる。なんにしても、野菜のようにスライスされたこの生物はもう生きていないだろう。
驚愕だったのはその先だった。映像が早送りされ、画面の上に表示されていた『Day 1』の文字が『Day 2』、『Day 3』と日にちを刻む。日にちが進むごとに、細切れになっていたプラナリアの肉片から歪な三角形が形成され、『Day7』にはサイズはそれぞれ小さいものの、しっかり元のプラナリアの姿と認識できた。
(切られて再生した……そんなのあり?)
私はいつの間にか映像に釘付けになっていた。切り刻まれて再生する生物がこの世に存在すること自体が不思議でならない。
そもそも心臓は? 脳は? 生き物なのかすら疑問に思えてくる。
「このように、プラナリアは何度切られても再生するのじゃ」
「興味深い生物だな」
隊長はいたって冷静だが、私の頭は数千匹のプラナリアで埋め尽くされパンク寸前だ。
「うむ。こやつは全能性幹細胞という特殊な細胞を持っておってじゃな……まあ、詳しいことはたぶんお主らに話してもわからんじゃろ」
「有難い。要点だけ話してもらえると助かる」
隊長の言う通り、このまま遺伝子工学の授業が始まるのは避けたい。私たちが知りたいのはどうやったらヤツを倒せるかだけだ。
「端的に言うとじゃな……」
そこで局長はまたスクリーンの映像を元に戻した。モデリングされたヤツの姿が水平に回り始める。
「こやつには、複合金属発泡体の身体に加えてプラナリアの遺伝子が組み込まれておる」
「ただのロボットでは無いと?」
「うむ。恐らくじゃが、硬いボディの裏側は生物に近い構造をしておる。しかも、再生可能な遺伝子を組み込まれた生物じゃ」
「そんなことが可能なのか?」
局長はじっと隊長を見つめると、深いため息を吐いた。
「理論上は可能じゃ。じゃが、それには人体実験……要は人間を使う必要がある」
「まて。ということは、こいつの本体は人間だとでも?」
「そういうことになるのう。恐らくは兵士。もしくはスカベンジャーでも使っておるのじゃろ」
話が飛躍し過ぎてて、私の脳は思考停止寸前だった。だが、イデアが人間を捕獲することは容易い。
軍に所属する兵士ならともかく、それ以外の無法者であるスカベンジャーや軍の保護下に無い一般人を捕らえて実験体にするのには困らないはず。
「イデアが人間を捕縛した例は過去に監視カメラでも確認しておる。無論、警戒はしておったが、まさかこんなカタチで利用してくるとはのう」
「実体がある敵となると軍にとっては脅威になるぞ」
「対イデア用のハイパージャミングが効かないという点においては脅威そのものじゃな。一体ならともかく、こんなものが量産されたら軍など直ぐに壊滅じゃ」
仮想空間でしか存在を保てないイデアは軍が開発したハイパージャミング内に侵入することは不可能とされていた。
だけど、実体がありなおかつ不死身に近い敵となると話は別だ。局長の言葉通り、対イデア戦に特化してきた軍はあっという間に駆逐されるのは目に見えている。
「向こうもハイパージャミング用の対抗策を打ち出してきたというわけか……それでやつに弱点はあるのか?」
局長は小さな手を顎に当てて黙り込んだ。話すことを躊躇しているように感じられる。
なにか対策があるのだろうか……。
「弱点は無い。全能性幹細胞の性質は放射線で無効化できるのじゃが、その前に複合金属発泡体のアーマーをなんとかしなければ難しいじゃろう。こいつが一番厄介じゃが……」
「お前のことだ。なにかあるんだろ?」
隊長が口の端を少しだけ上げて挑発的な視線を局長に送った。
局長は少しだけ気まずそうに俯く。
成熟した口調とは裏腹に、その仕草はまるでバツが悪そうにする女の子のようだ。このふたりは一体どんな関係なのかと気になってしまう。
「一番使いたくない手じゃが……」
彼女はそう言って手元のデバイスを操作した。隊長と私が座っている場所の数歩手前の床に正円の亀裂が入り、そこから筒状のガラスケースがゆっくり上がってくる。
ケースの中には見たこともない、手のひらサイズほどの物体──先端が針のように尖った円盤型のドリルみたいな形状をしている。
武器かなにかだろうか。私は思わず前のめり気味に椅子から少し身体を起こして覗き込む。
「こいつは小型のブラックホールを発生させる装置じゃ」
私は局長の言葉に耳を疑った。
(このひと、今ブラックホールって言った?)
「どういうことだ?」
「言葉通りじゃ。お主らにもわかるように簡単に説明すると、こいつは対象の周りにバリアを発生させ、その中で粒子を超高速でぶつけることによってブラックホールを作り出す。ブラックホールに飲み込まれた対象は説明するまでもなく消滅するじゃろ」
この小さなドリルにそんな恐ろしい機能があるとは到底思えない。
だけど、この装置を使えばやつを倒すことは可能なのでは?
なぜ局長はこれを使うことを躊躇うのだろう。
「そんな都合のいいものがあってなぜ出し惜しみした? 理由があるんだろ?」
隊長も同じことを思ったようだ。
局長の表情は変わらないが、その小さな身体は気のせいか少しだけ震えているように見える。
「それはじゃな……こいつは対象に刺して押さえている必要がある欠陥品だからじゃ……」
「ちょっと待ってください! それって……」
私は思わず叫んでしまった。その先は想像したくも無かった。
「使用者は対象もろともブラックホールに吸い込まれるわけか」
「そういうことじゃ……じゃが、この装置については上には報告しておらん。使わないという選択もある」
局長は弱々しくそう呟いた。さっきまでの堂々とした彼女はそこにはなく、今にも消えてしまいそうだ。
「使わなければ勝てない。だったら使うしか選択肢はないはずだ。シレン──お前のことだ。候補者の選定はもう済んでいるのだろ?」
隊長がじっと局長を見つめる。その表情は険しくもあり、でもどこか、暖かい優しさを感じさせる目をしている。
「お主には全てお見通しというわけじゃな……戦術AIに解放軍全兵士のデータを検証させたところ、任務の成功率が最も高い兵士は──お前じゃ望月カガリ」
まるで雷に打たれたかのように、私は局長の言葉に体が硬直した。
隊長がブラックホールに飲み込まれていく姿が頭をよぎる。
(そんなのは絶対に嫌だ……)
「そうか」
隊長はそう呟くと、椅子から立ち上がった。
「シレン──この装置を使った作戦を立案し、上層部に上げてくれ。おれが志願することも付け加えてな」
任務の報告を伝えるかのように、淡々とした口調で述べられる言葉。
その結末を知っている者にとって、それがなにを意味するのか……。
痛いほどに心が締めつけられる。
「カガリ!! お主はそれでよいのか!? わかっておるのか!! この任務を受けるということはお主は……」
俯いた局長の胸元に光るペンダント──その綺麗な青色が今はくすんで見えた。
「わかってる。でも誰かがやらなければならないだろ? それが俺だというだけの話だ」
隊長はそう言って局長に微笑んだ。
悲しいまでに清々しい笑顔。
その笑顔を次に最後に見るのが私になることをその時は知る由もなかった。
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