Field 2

 焼却班と別れたあと、私は望月隊長と基地に帰還するためビルの合間を進んでいた。


 私たちが現在いるのはかつて新宿と呼ばれていた場所だ。今では都市としての機能は無く、人も住んでいない。まあ、一部例外を除いてだが。

 建物は比較的原型を留めている。かつて大規模な戦闘があったが、イドラとの仮想空間での戦闘は現実の建造物を破壊しない。壁や窓が劣化しているのは単にメンテナンスする人間が居なくなったからだろう。


「ユイ──スカベンジャーにも注意しろ」


「ラジャー──」


 スカベンジャーは私たちと同じ人間だ。軍に所属していない民間人や軍から離反した軍人崩れで構成されたアウトロー集団。略奪が彼らの主な生業であり、その為なら同じ人間でも躊躇なく殺すハイエナのような連中だ。

 こちらは光学迷彩で身を隠してるとはいえ、サーモスコープでは見破られてしまう。ツーマンセルが基本の私たちにとって、集団で来られたら最も厄介な敵だった。


 大通りを二本抜けて、狭い路地に入る。レーダーに敵影の反応はない。

 先頭を切っていた望月隊長が光学迷彩を解いて片手を開いてこちらに向けた。待ての合図だ。

 隊長は古い雑居ビルの扉の前に立つと、横に設置された小さいパネルに数字を打ち込んだ。

 ピーっという機械音と共に施錠が外れる音がした。


 隊長が扉の横に移動し壁に背をつける。私は銃を片手に錆びついた扉を押して中に入った。同時に自分の光学迷彩もオフにする。

 等間隔に設置されたオレンジ色の非常灯が薄暗く辺りを照らし、下へと降りる階段が続いている。

 私は安全を確認して、二回ほど短めに壁を叩いた。それを合図に、隊長も素早く中に入り扉を閉める。再び機械音が鳴り扉が施錠された。

 隊長が再び先頭に立ち、私たちは無言で階段を降り進んだ。


 階段を降りると、トラックが通れそうなくらい広いトンネルへと出る。足元には車両用のレールが敷かれている。

 かつては地下鉄と呼ばれ、電車が走っていたらしいが今ではそんな便利なものは存在しない。扉を抜けて、いつくかのトンネルを経由すると、途中で白い蛍光灯が目に入った。隊長が先ほどと同じようにパネルに数字を打ち込んで扉を開く。

 扉の先は薄暗いトンネルとは一変して、天井のライトに煌々と照らされている。目を眩ませながら、白一色の壁に覆われた通路をゆっくりと進んでいく。

 通路の先までたどり着くと、隊長が銃を下ろして警戒を解いた。私も銃を下ろし一息つく。ここまで来れば敵の心配も早々無いだろう。

 

「──ユイ。お前は例の作戦にアサインするのか?」


 前を歩く望月隊長がおもむろに聞いてきた。緊張が解けたせいかリラックスした優しい口調だ。


「どうでしょう……」


 私は曖昧な返事を返した。隊長の言う例の作戦とは『タイムリンク作戦』のことだろう。作戦の概要は個人端末に送られてきた極秘と書かれたファイルに記載されていた。

 現代の人間を過去に飛ばして過去を書き換える作戦……正確には過去に飛ばすのは肉体ではなく精神であること。そして、その精神の受け皿となるのは過去の人間。

 技術的なことはさっぱり不明だが、まるで夢物語のようなこの作戦を本部は本気で決行するつもりでいるらしい。

 

「まあ、困惑するのが当然だろう。あんな得体の知れない作戦にアサインするやつは、よほどの無鉄砲か大バカ者だ……」


 隊長はやるせない気持ちを吐き出すように首を横に振る。藁にも縋りたいこの状況下において、得体の知れない作戦にさえ希望を抱くしかない。 

 天井のライトがいつもに増してやけに眩しく感じる。私は思わず目を細めた。


「……ですが、あの作戦でもし仮に過去が変えられるなら、私たちが経験しているこの世界も変えられるということでしょうか……」


 胸の奥につっかえたモヤモヤが渦を巻き込み上げてくる。隊長は歩みを止めてこちらを振り返った。


「そうかもしれないし、そうならないかもしれない。過去を大きく変えるということは、それだけ未来への影響も大きくなる。下手したら、おれたちの存在ごと無くなる──その可能性も否定はできない」


「そうなったら最悪ですね……」


「ああ。だからこそ過去は変えてはならない。まあ、なんの確証もないから理論上は──だがな。もちろんそんなことは上層部も十分承知しているだろう」


 隊長は会話を切り上げるように歩き出した。

 答えの見えない話しだった──過去を変えるなど誰もやったことがない。どんな影響があるかなんて分からないのだ。分かっていることは、上層部もこのクソみたいな世界を何としてでも変えたいということ。

 私だって気持ちは同じだ。だが、もし過去を変えて自分の存在、今を生きている人たちが消えてしまうとしたら……それは意味のあることなのだろうか。

 私は暫くその場に立ち尽くし、白い通路に溶け込んでいく隊長の背中をじっと見つめていた。


「今日はゆっくり休むんだユイ」


 任務の報告があるのだろう、望月隊長はそう告げると司令部がある方へと去っていった。

 私はひとり、配線や排水管が剥き出しになった通路を辿って休眠室へと歩みを進める。

 ここは新宿の地下深くに築かれた日本解放軍の本部──元々は新宿駅をそのまま地下に移設するために建設されていたが、それを解放軍が基地として使っている。


 幸いにも休眠室まで誰とも会わなかった。今は正直誰とも話したくない気分だ。

 二段ベットが引き詰められた休眠室に入ると、私は戦闘装備のまま、奥に設置されたベットに顔からダイブした──。


 いつもなら、トモカが天然丸出しのアホみたいな声で、「ユイちーどしたん?」とか聞いてくるが、もうその声を聞くことは一生ないだろう……。

 そのまま寝てしまいたかったが、こんな姿でベッドにいたら室長の斎藤スズにどやされるだろう。あいつは面倒くさいほどまでに真面目なやつだから。

 私は銃を壁のラックに立て掛けると、戦闘服を脱いでタンクトップになった。ホコリ臭い汗の匂いが鼻をつく。


(シャワーを浴びて今日はもう寝よう)


 そう思って立ち上がる。その拍子になにかがベッドから落ちた──ため息を吐きながら、床にあった小さな包みを拾い上げる。

 包みは可愛らしい黄色のリボンで閉じてある……なんとなく中身の想像がついてしまった。震える手でリボンを解き、包みを開く。中から小指の先ほどの小ぶりなピアスがひとつ。三日月の形をしており、先端には青い宝石がはめ込まれている。


 ピアスと一緒に手紙も同封されていた。軍から支給されたメモ用紙にトモカの丸みを帯びた字でメッセージが添えてあった。


『Happy Barsday Yui!! 一日早いけど、お誕生日おめでとう〜!! 迷ったんだけど、ピアスにしてみました!! ほら、ユイちー映画を観て欲しそうにしてたから。これ岩爺に無理言って作ってもらった逸品なんだからね! 大切に使えよこのヤロー!!

            愛しのトモカより♡』


 涙で目が霞んで最後のほうはよく読めなかった。全身の力が抜け、私は膝から床に崩れ落ちた。


(色々と間違えてるんだよバカ……)


 英語のスペルミスはさておき、トモカとレクリエーションルームで観た恋愛映画で、主人公が恋人からプレゼントされたのがピアスだった。私はそれが何なのか分からずにトモカに聞いただけなのに、あいつは何を勘違いしたのか、私がピアスを欲しがっていると思ったようだ。


 早とちりで、バカで、おっちょこちょいで、ひとをイラっとさせる天才だったが、私はそんなトモカが大好きだった。


「もう一緒に笑えないんだよな……」


 私はピアスを握りしめ、悲しみを抱きしめるように泣いた。


 タイムパラドックス──。

 リンゴの木を植えなかったことにしたら、リンゴは実らない。ニュートンは万有引力の法則に気づかなかったかもしれない。

 過去を変えることによって未来は変わってしまう。

 例え小さな変化だとしても、それは小さな石を水に投げ入れて生じた波紋が広がるように、やがて大きな影響となって返ってくる。


 私にはその責任を背負うだけの覚悟と自信がない。


 でも、トモカが、トモカが生きている未来が、その未来を勝ち取れるとしたら、そのチャンスが少しでもあるとしたら私はどうすのだろう。

 トモカの無邪気な笑顔が私に笑いかけてくる。


「ユイちーの好きなようにすればいいよ!!」


 トモカがそう私に言ってくれた気がした……。

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