【弐】孵化

 数日が経ち、柚荷さんと共に甲斐田家の提供してくれた小さな屋敷で暮らし始めたが──それはもう静寂で、不気味に思えるほどだった。

 柚荷さんは特に何も語らず、何か用がある時以外は話もしない。

 毎日柚荷さんのお世話をし、料理を朝、昼、晩に持って来てくれる以外は時折しか誰も手伝ってはくれない、二人だけの同棲。

 自分の家の為とはいえ、これは本来、男のする仕事ではない。

 掃除や洗濯や旦那の世話をするのが女性であり、これでは立場が逆だ。

 しかし、そんなことを言ったところで、何も変わらないという事実を受け止めねばならない。


 庭園を眺め続ける柚荷さんを横眼で睨みつけながら、そんな事ばかり考える僕の日々。

 綺麗な着物姿で見つめるその手前には座卓ざたくが置かれて、少し奥のたたみの上に敷布団が敷かれている。

 そんな部屋の光景が、僕がいつも見る日常風景だ。

 本当に微動だにしないものだから絵に納めても綺麗に映るだろう。

 この方が生まれつき手足も無く、不自由な生活を送ってきたことは理解できる。しかし、あの人ならざる姿はいつ見ても気持ち悪く感じてしまう。

 自分が貰い手にならなければ、最終的には見世物小屋にでも売られていたのだろうか?


 五歳の頃に縁日で兄様たちに面白半分で連れて行かれた見世物小屋で、色々な奇々怪々なものを見せられた。

 力持ちの男、関節が曲がりくねる女、口から火を吐く男、蛇を食いちぎり客席に血や内臓を吐き散らかす女。

 何よりも気持ち悪かったのが四肢のない女。『芋虫女』と名付けられたその女性は体をうねらせながら兎を追いかけて、口で捕まえた兎を口で食べていくというものだった。

 それを見て、「もっとやれ」とせがむ兄様たち、想像以上の光景に顔を隠しながら泣き始める姉様たち。

 その時──僕はたった一人、芋虫女と目を合わせていた。

 芋虫女の双眸はとても虚ろに見え、慄きと共に顔を逸らした。

 それ以降、見世物小屋は行ってないが、柚荷さんを見ているとあの時に見た彼女を思い出しまうのだ。

 すると、


「……あっ」


 柚荷さんが突如一言を発し、ゆっくりと此方こちらに視線を向けてきた。

 僕はそれに驚き、体を震わせた。ただでさえ無口な人だから猶更。

 こうやってちゃんと顔を合わせるのは初めての事で、焦り、あの時の芋虫女の双眸を思い出しながらも、小刻みに震える躰を必死に抑えた。


「里余さん、……疑問に思っていた事なのですが、『見世物小屋』とはなんなのですか?」

「……は、はい?」


 心臓が、一瞬止まったかと思った。

 考えが読まれたのだろうか、思い出したことを突然質問として投げかけてきたのだから、困惑するのも必然と言えよう。


「な、何故そのようなご質問を……?」


 少々俯きつつも、僕は聞き返した。


「いやね、女中さん方の小話をうっすらと聞いてしまったのですが、『あんな手足のない娘、早く見世物小屋にでも売り飛ばせばいい』とお話していたのです。

 ──私はこの身です故、一応勉学はそれなりにしてきたのですが、その様な聞きなれないものへの知識は乏しくて」


 なるほど、そういうことか。

 しかし、女中さんたちも本人が聞こえない所で陰口をすればいい物を──いや、わざとそうしたのか。

 教えてあげること自体は構わない。

 柚荷さんがそれで嫌な気分にならないかが少々不安だが、ここは変に濁すよりも嘘偽りなく言うのが正しい、と判断に至る。


「あぁ……見世物小屋は、主にお祭り、縁日などで見る事ができるのですが、

 男の人や女の人が芸などを披露する場で、火を拭いたり、四人を一人で一気に持ち上げる人、蛇を食べたりする女性、等がおりまして、その……」


 アレが頭をよぎり、口元を絞めかける。

 が、ここは……。


「手足のない女性が兎を追いかけて食い殺したりする……芋虫女、など……その様な人々を見物できる所です」


 自分の知っている全てを話し終え彼女の顔色を伺うと、柚荷さんは目を丸くしながら黙ってこちらを見つめていた。

 何を考えているのか見当もつかない沈黙の眸に視線が吸い込まれ、僕が三呼吸をしたあと一言ひとこと言った。


「まぁ……女中さん方は私に芋虫女になって、兎を食い殺して欲しいと思っていましたのね。私、兎はお好きなんですけど」


 表情に出ない驚きを見せながら呑気そうに言う様は、まるで何一つ気にしてないかのようなだった。

 それどころか、小さな笑顔を振りまいている。


「でも……何もできないのであれば、芋虫女として生きて行くのも悪くありませんね」


 突然、その言葉で背中を刺される感覚に襲われた。

 芋虫が背中に何匹も這いつくばり、氷柱に変貌して後ろから襲う様な幻覚。


 僕は立ち上がり──


「ちょっと外に」


 何の考えも無しに柚荷さんを放ったらかし、玄関へと足取りを急がせる。

 ごめんなさい、もう限界です、気持ち悪いです。

 五歳の頃に見た芋虫女が僕の目の前にいた。もう見たくもなかった人が再度、僕の目の前に出て、許嫁となって現れたんだ。家の為とは言え、こんな事を押し付けられるなんてあんまりだ。

 最初に見た彼女の笑顔が、あんなに恐ろしい物だったとは。

 あゝ、僕は意気地なしです。弱虫で構わない。

 怖い思いはもう沢山だ。

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