芋虫絵画はお嬢の一言

糖園 理違

【壱】卵生

 大正の時。

 伊糸いいと家の末弟として、『伊糸里余いいと りよ』は生まれた。

 家の跡継ぎは既に長男の兄様に決まっており、他の兄様達も伊糸家の為に尽くしていて、もう彼に残っている居場所など無いに等しく、趣味に勤しむか勉学に励むかの毎日に、自分の存在意義という物がわからなくなってきていた。


 十三の誕生日から三日後の事──朝食をいただいている時に、父上が突然僕に許嫁の話を持ち出して来たのだ。

 僕は『この際、家の役に立てるなら何でも良い』と思ってしまい、相手の家も女性も何も聞かぬまま、それを了承してしまった。


 次の休み、許嫁のいる『甲斐田かいだ家』の所へ、父上と共に向かった。

 屋敷を訪れると使用人の方に歓迎され、すぐさま親方様と奥様が待っているという部屋に案内され、娘さんが来るまで小話をした。

 お二人とも笑顔を絶やさずに話す方々で、心の底から安堵する。

 すると襖が開き、女中さんが苦しそうな表情をしながらゆっくりと部屋の中へと入って来た。

 何かを背負っている様子だったが、それが直ぐに人間だと解り、眼を大きく見開いた。


 背負われている方は父上が趣味で持っていたどの絵画よりも美しく、背を覆い隠す長髪は墨汁で書いて間もなくの墨跡ぼくせきの様にきめ細やかで艶やかに煌めいており──この方の人形を作ってほしいと、どれ程優れた人形師に頼んでも完璧に再現するのは不可能な、そんな表現を連想させる顔立ちをしていた。

 されど、眸を奪ったのは彼女の美貌ではなかった。

 彼女には人にあるはずの『もの』が見当たらない。

 袖からは『手』が出ず、褄下つましたからは『足』も出てこず、手品なのか? とすら思うほど引っ込まれている。

 背から降ろし、座布団から倒れないように支えながら座らせると、女中さんは部屋を後にした。

 親方様は横目で一瞥すると咳払いをし、話しを再開する。


「こちらがうちの長女、甲斐田柚荷かいだ ゆかでございます」


 代わりに自己紹介をされても、とうの甲斐田柚荷はこちらに視線を合わせず、黙ったまま緑先にある庭園を眺めていた。

 親方様はその様子に溜息をつきながらも、叱りはしない。


「えぇ……見ての通り、柚荷は生まれつき手足が無く、その為、二〇になっても婚約相手も決まらず仕舞いで……

 ですから、ようやく相手が決まってほんっとうに安心しました」


 そう言って親方様は僕の手を握り「里余君、よろしく頼んだよ」と笑みを浮かべ、上下に強く振った。

 僕は相槌を打つように頷くと尻目で彼女を追いかけ、その後姿を不思議そうに見据えた。

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