第8話

 舞白さんは数人の巫女と共に神社の裏手にある森の中へ向かった。木々の根が地上に剥き出て凸凹でこぼこになった細い道を抜けると、そこには滝が流れていた。舞白さんは近くの小屋で服を脱ぐと滝壷の中へ足を踏み入れた。夏とはいえ滝から滴る水はとても冷たい。そんな中、舞白さんは大きく息を吸い込むと、膝を曲げて水の中に沈み込んだ。冷たい水が全身を覆い、長い髪が水流になびく。どこか遠くの方で滝の水が落ちる重々しい音が響いている。


 滝壷の中から出ると御守の巫女達がタオルを持って待っていた。僕はされるがままに全身を拭かれた後、巫女装束しょうぞくに着替えた。その後、神社に戻ってとある社殿しゃでんに入った。そこは参拝者は立ち入り出来ない場所のようだった。左右に巫女さんが控える中、僕は長い廊下を進んだ。

 やがて、僕はとある部屋に辿り着いた。正面には祭壇があり、供えられたお酒やほのかに光る雪洞ぼんぼりが目に入った。壁や床は木造で、左右の障子しょうじから陽の光が漏れ出している。少し高めの天井は格子状になっている。


 舞白さんは部屋の真ん中でそっと座り込んだ。すると、後ろから宮司ぐうじがやって来て祭壇の前に座った。恐らく彼は舞白さんの父だろう。彼は何か文言を唱えた後、大量の紙垂しでが付いた棒を僕の両肩に添えて何度か振った。後から聞いた話だが、この棒は大麻おおぬさというらしい。それが終わると、控えていた巫女が、祭壇に供えられていた瓶子へいしを持ってきた。舞白さんがお猪口ちょこを受け取ると、そこにお酒が注がれる。

 僕達、未成年なんですが?と思っていると、自分の手が勝手にお猪口を口元まで運んだ。くちびるにお猪口が触れると、米の香りとアルコールの香りがツンと鼻を突いた。しかし、そのまま酒を口に入れることはせず、飲む真似だけしてお猪口を返した。僕はホッと安心しつつも少しだけ残念に思った。


 その後、舞白さんは庭が見える大きな座敷に移った。その座敷では舞白のお祖母さんが一人していた。宮司や巫女はどこかへ行ってしまい、僕達とお祖母さんだけが部屋に残っている。舞白さんはお婆さんの正面に座った。

 お祖母さんは座ったまま何も言葉を発さない。あまりにも微動だにしないため、僕はお祖母さんが寝ているのではないかと思った。僕はまじまじとお祖母さんの顔を見た。そのまぶたは閉じられている。


「これ、そう人の目を見るものじゃない」


 不意にお祖母さんが言葉を発したときにはとても驚いた。


「目を合わせるんは、心をさらけ出すと同義。止めときんさい」

「……はい」


 お祖母さんは少し間を置いて、先ほどより柔らかい口調で話し始めた。


「舞白、向こうの暮らしはどうや?楽しくやれそうかい?」

「うん、それなりには」

「ここにいるよりもええか?」

「……どうだろうね」


 舞白さんはそう答えた。それに対してお祖母さんは言う。


「それでもやらにゃならん。才があるものの責務や」


 お祖母さんはため息をついた。


「最近はあおい斎行さいこうおこたるようになってしもうた」

「葵はまだ九歳だし……」

「負担が大きいことは承知の上、しかし、この神社を継ぐのは葵や」


 お祖母さんは立ち上がりながら言う。


「明日からは色々と手伝ってもらう。しばらくはこの部屋で過ごしんさい」

「あの……」


 僕は恐る恐るお祖母さんに話しかける。口寄せについて聞くならこのタイミングしかないと思った。しかし、僕はそれ以上言葉をつむげなかった。


「なんや?何か問題かい?」

「あ、いえ、何でもないです……」

「今日ははよ寝んさい」


 お祖母さんはそう言って座敷を出ていった。結局、僕は自分達に起こっていることを打ち明けることは出来なかった。

 日が落ちると、巫女さんが食事を運んで来た。その巫女は昼間にお祖母さんと会った時に話しかけてき大学生くらいのお姉さんだった。お姉さんはこちらの顔を見て少し微笑むと、「おかえり」とだけ言って部屋を出て行った。


「あの人って、もしかして舞白さんのお姉さん?」

「うん。あかねっていうの」

「確かに顔が似てたような……じゃあ、さっきお婆さんの話に出てた葵って人は舞白さんの弟?」

「うん、そうだよ」

「家族全員で家業を手伝ってるんだね」

「うん。葵はちょっと反抗気味みたいだけど」

「葵君は九歳なんだよね?……九歳って小学三年生とかだよね」


 舞白さんは頷く。僕は同情の気持ちを込めて言った。


「弟君も苦労してるみたいだね……」


 山菜中心の食事で味付けは薄目だった。食事の後、年配の巫女さんが布団を持ってきて寝床を準備してくれた。何から何まで準備してくれるので、まるで旅館に泊まったかのような気分だった。

 夜も更け、辺りはしんと静まり返っている。雪洞の仄かな光だけが灯る薄暗い部屋で、格子状の天井を眺めていた僕は大きく欠伸をした。徐々に眠気がこみ上げてくる。そっと瞳を閉じると、僕は心地の良い闇の中へ落ちていった。

 気が付けば、僕は夜の屋外に寝転んでいた。驚いた僕は急いで上半身を起こして辺りを見渡した。この場所は見覚えがある。ここは数日前、化け物に襲われて落ちた土手だ。よろよろと立ち上がると、傍に誰かが倒れていることが分かった。倒れているのは……悠人だ。


「悠人君?!」


 自分の口から女性の声が響く。舞白さんの声だ。僕は急いで悠人の体に走り寄った。悠人の顔には細かい切り傷が出来ていて血がにじんでいる。意識を失っているようだが、よく見れば胸が僅かに上下している……呼吸はあるようだ。

 その時、悠人の体から白いもやのようなものが立ち昇り始めた。それは煙のように上へ上へと登っていく。


「そんな……だめ!」


 僕は祈るように指を組んだ。すると、白い靄は引き寄せられるように僕の体を取り巻き、やがて体の中へ入っていった。すると、僕は酷く気分が悪くなった。頭が痛くなり、胸が強く締め付けられた。少しずつ痛みが弱まっていくと、僕の口が勝手に開いて言葉を発した。


「舞白……さん? ああ、そんな!」


 そして、ポケットからスマホを取り出して119と番号を押す。電話からの声に必死に返答する。

 そこで僕は目を覚ました。朝日が部屋の障子を通して差し込んでいる。チュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえてくる。僕は夢の内容を思い出そうとしたが、夢の記憶はポロポロ崩れていき、断片的にしか思い出せなくなっていた。


「変な夢を見たような……」


 結局、そんな感想だけが残った。

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