第7話

 病院から学校まで送迎してもらった後、僕は翔太と共に帰路についていた。隣を歩く翔太との距離はいつもより少し離れている気がする。

 夕日が街の向こう側に落ちていく。沈む太陽を中心に赤色、紫色、青色の層が半円状に広がっている。建物が成す四角や三角のシルエットが切り絵のように浮かび上がる。カラスが飛び立ち夕方の空に黒色を落とした。僕はカメラを構えてシャッターを切った。それを見た翔太が言う。


「まだ信じられん。けど、信じるしかないよな」


 翔太は続けて言う。


「それで、これからどうするつもりだ?」


 舞白さんが口を開いた。


「私の実家に行こうと思う。うちの神社だったら何か手がかりがあるかもしれない」

「確かに、口寄せが舞白さんの神社の伝統なら何か情報が得られるかもな」

「うん。それで翔太君にお願いしたいことがあるんだけど」


 舞白さんが言うと、翔太は手を胸に当てて答えた。


「何でも言ってくれ」

「翔太君は悠人君の体を見ててほしい」

「見てるだけ?」


 彼は少し拍子抜けしたように言った。


「今、悠人君の体には魂が入ってない。それがどういう影響を及ぼすのか分からない。だから、何か動きがあったら連絡してほしいの」

「そういうことか。了解した」


 ここで、舞白さんに代わって僕が口を開ける。


「あともう一つ。僕達に起こってるこの事は――」

「分かってる。誰にも言わんよ」


 彼は手をヒラヒラさせながら言った。


「ありがとう、翔太」


 僕は感謝すると同時に感心した。僕と舞白さんが交互に話しているにも関わらず、彼は相手によって対応を変えている。


「僕と舞白さんのどっちが話してるかって分かるの?」

「一人称が違うし、喋り方も違うからな」


 彼は自慢気に言う。その物言いが僕のいたずら心に刺激した。僕は両指を組んで、舞白さんの口調を真似て言う。


「翔太君って凄いね」

「……お前、悠人だろ?」

「よく分かったな」

「お前はそういうことする奴だからな」


 彼は笑いながら言う。僕も、そして舞白さんも笑っていた。

 それから数日後、僕達の学校は夏休みに入った。早朝、僕は電車に乗って舞白さんの実家の神社に向かっていた。何度も電車を乗り継いで、神社の最寄り駅まで着いた時には既に昼過ぎになっていた。駅の近くのコンビニで菓子パンを買って腹ごしらえした後、僕は駅前から出ているバスに乗った。しばらくバスに揺られていると、窓から見える景色はどこか懐かしい田舎の建造物群に変わった。


 バスから地面に降り立った僕は、他の乗客の波に流されるように歩き始めた。四角い石で舗装された道の脇に、瓦屋根のお土産屋や和菓子などの観光地ならではの売店が並んでいる。そこは観光客でにぎわっていて、子供連れの観光客も多く見受けられる。そのまま本道を進むと、やがて大きな鳥居が見えてきた。頭を下げて鳥居をくぐると、白の壁に赤い枠組みで構築された建物群が目に入る。

 僕がその光景に圧巻されていると、舞白さんは傍にある建物に向かって歩き出した。お守りや御朱印ごしゅいんを販売している授与所じゅよしょだ。授与所に近付くと、受付をしている年配の巫女がこちらに気付いて声をかけてきた。


「あら、舞白ちゃんおかえりなさい」

「お久しぶりです。お祖母ばあちゃんいます?」

瑠璃子るりこさんは今、拝殿はいでんで厄払いをしていらっしゃいます。多分、しばらく帰ってこられないかと」

「分かりました。ありがとうございます」


 舞白さんは授与所に併設されている社務所しゃむしょの戸を開けて中に入った。中は事務所のようになっており、更に奥の扉を抜けるとそこは一般家庭とそう変わらない居間があった。舞白さんは荷物を置くと、居間を抜けて更に奥へ進んでいく。舞白さんはとある部屋の前までたどり着くと静かに扉を開けて中に入った。そこには大量の本棚が並んでいた。現代的な本というよりも、古書と呼ぶべき年季の入った本が多くある。


「勝手に触ったら怒られるんだけど、今ならちょうどいいや」

「いいの?」

「お婆ちゃん達が帰ってくるまではね」


 舞白さんは本棚から本棚へ目をやりながら何かを探しているようだった。やがて、彼女はとある本を手に取った。とても薄く古い書物だ。一ページ目を開くと、形の崩れた古い日本語が目に入った。僕にはさっぱり読めないが、自分の視線は素早く文字を追っている。舞白さんは眉をひそめたり、指を顎に当てたり、壁に寄りかかったりしながら、何冊か本を読んだところで、舞白さんは本を閉じて言う。


「ここに助けになりそうなものはなさそう」

「……どうしよう」


 しばらく沈黙が流れる。僕は色々考えて案をひねり出そうとした。


「舞白さんの家族に聞くっていうのはどう?それこそ、さっき言ってたお祖母ちゃんに」

「お祖母ちゃんは……」


 舞白さんは乗り気ではなさそうだった。


「悠人君、一度お祖母ちゃんに会ってみて。聞くかどうかはそれから決めていい?」

「いいけど、そんなヤバいの?」

「ヤバいというか、まあ、会ってみて」


 舞白さんの回答に僕は不安感を覚えた。確かに、この状況を家族に打ち明けるのは勇気がいるし、家族側への配慮も必要だろう。ただ、彼女の言い方はそれ以外の何かを含んでいる気がする。

 舞白さんはスマホで時刻を確認しながら言った。


「とりあえず、お祖母ちゃん達が帰ってくるまで、うちの神社でも見て回る?」

「行きたい! ここって撮影オーケーだっけ?」

「禁止の張り紙がある場所以外は大丈夫」


 僕はカメラを首にかけ、社務所の外へ出た。神社の敷地は僕が思っている以上に広いようで、赤と白を基調とした建物の他、色褪せた木造の建物なども見受けられた。手水舎には横になった竹の棒に柄杓ひしゃくがかけられており、龍の頭を模した吐水口が置かれている。水が零れ出る龍の頭にトンボが止まっているのが見えた。

 神社の奥に進むと、左右に杉が並ぶ木陰道を見つけた。少し細くなったその道の先には長く続く坂道があった。また、その傍に看板が設置されている。そこにはカメラのイラストにバツマークが付けられている。すると、舞白さんが口を開いた。


「この先に奥宮があるの」

「なるほど。ここから撮影禁止か……」


 僕が坂の上を見上げていると、急に後ろから声をかけられた。


「舞白?」


 僕が振り返ると、そこには巫女装束を着た大学生くらいのお姉さんがいた。その後ろにも何人か巫女の姿が見える。


「ああ、やっぱり。もう着いてたんだね。お祖母ちゃん、ほら、舞白だよ」


 巫女達の間をうように出てきたのは、八十は超えているであろう白髪のお婆さんだった。僕は直感的に、この人は舞白さんの祖母であることが分かった。お祖母さんは僕の姿をじっと見ると、視線を下に落として言った。


「お前さん、それはなんや?」


 お祖母さんの視線は僕が首からかけているカメラに向いていた。すると、巫女のお姉さんが不思議そうに言った。


「あれ?舞白、カメラなんて持ってたっけ?」

「え、ああ、ちょっと……友達が貸してくれて……」


 僕がそう言っている間に、お祖母さんが近付いて来て、おもむろに僕のカメラを手に取った。お祖母さんはしばらくカメラを観察していたが、ふいに手を放し、こちらに背を向けた。巫女の群衆の中へ戻りながら、お祖母さんは言った。


「舞白、はよ斎戒さいかいなさい。もうすぐ夏の祭儀さいぎがあるでな。準備せんといかん」

「もう、お祖母ちゃん。今日は舞白も疲れてるだろうし」


 お姉さんはお祖母さんをたしなめるように言った。しかし、お祖母さんはがんとして言葉を続ける。


「先に沐浴もくよくしてんさい。御守おもりを付ける」


 お祖母さんはそう言って、傍にいる巫女達に何かささやいた。僕がぽかんとしていると、お祖母さんはこちらに顔を向けた。お祖母さんのまぶたはほとんど閉じられているが、僅かに見える眼光はとても鋭く、並々ならぬ雰囲気が漂っていた。

 僕はぞっとして思わず目を背けた。舞白さんがあのように言った理由が分かった気がした。

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