第6話

 朝。地平線の向こうから太陽が顔を出して街を照らしていく。シャッとカーテンを開ける音、チンッというパンを焼くオーブンの音、ジュウと卵が焼ける音、コトンとお皿を置く音、手を合わせる音、いただきますの声が聞こえる。

 コンタクトレンズを付けるとぼやけた視界がクリアになり、鏡に映る舞白さんの姿がハッキリ見えた。髪の毛や制服の身だしなみを確認してから玄関に向かう。


「行ってきます」


 家の外へ出ると、やかましいセミの鳴き声が四方八方から響き、頭上から強い日差しが降り注いだ。緩やかなカーブを描く長い道を進めば、遠くの方に白い校舎が見えてくる。

 僕が教室に入ると、クラスメイトが集まって来た。誰かに襲われたって本当? 怪我してない? そんな言葉が矢継ぎ早に飛んでくる。純粋に僕らを心配している人もいるが、中には享楽的な様子の人も見受けられる。僕は適当にあしらいながら、舞白さんの席についた。すると、ある男子生徒が話しかけてきた。


「マジでやばいよね。大丈夫だった?」

「私は大丈夫」


 舞白さんがそう言うと、彼は傍に寄って来て机に片手を置いた。


「話聞いた時、マジで心配したよ。無事でよかった」

「そう。心配してくれてありがとう」


 どうやらこいつは俺の心配はしていなかったらしい。誰かに心配されても事態が良くなるわけではないが、全くされていないのは悲しいというか辛いというか腹が立つというか。


「悠人君とは仲いいの?」


 舞白さんが尋ねると、彼は頭をかきながら言った。


「あー、まあそうね」


 彼の後ろから、彼とよくつるんている男子生徒達が話しかけてきた。


「あいつ入院してるってマジなの? もうすぐ夏休みなのに、アホだろ」

「てか犬に負けるとか弱すぎだよな。俺なら犬くらい蹴り一発で仕留められるし」


 彼らは茶化した発言に爆笑した。普段から陽気な発言をしているのは知っているが、こういうジョークはあまり好きじゃない。それに、事情を知らないお前らに言われる筋合いは――。


「事情も知らんくせに何言ってんだお前ら」


 一人の男子生徒が彼らの横から声をかけた。


「んだよ翔太、冗談だよ」

「冗談を言うなら、もっとセンス磨いた方がいいと思うぞ」


 翔太は静かに、それでいて強い口調で彼らに告げた。翔太が予想以上に怒っていることに恐縮したのか、彼らはそそくさと自分たちの席に戻っていった。翔太は彼らに一瞥いちべつを投げた後、こちらに向き直って言う。


「悠人が入院したって聞いたけど、市民病院にいるのか?」

「多分そうだと思うけど、確証はないから、私も先生に聞こうかと思ってるの」

「それもそうだな。舞白さんもお見舞いに行くの?」

「うん。翔太君も一緒に行く? この後、先生に頼んでみようと思ってるんだけど」

「ああ、じゃあ朝礼が終わったら頼みに行こうか」


 彼はそう言って控えめに微笑んだ。いつもより他人行儀な翔太の様子に面白さを感じつつ、自分のことを想ってくれていることに僕は嬉しく思った。

 朝礼後、担任の先生に事情を説明すると、田村悠人は市民病院に入院していると言い、放課後にお見舞いに同行することを快諾してくれた。

 放課後、僕達は担任の先生の車で市民病院に向かった。四人部屋の病室に入ると、窓際のベッドに僕の体が横たわっている様子が目に入った。そして、その傍には慣れ親しんだ人の姿があった……僕の母だ。母はこちらに気付くと、一礼して口を開いた。


「皆さん、悠人のお見舞いに来てくださったんですね。ありがとうございます」


 母は疲弊しきっているようだった。目は腫れてクマができており、シワは深く刻まれている。愛想笑いはぎこちなく、唇は震えているように見える。そんな悲痛な様子を僕は見ていられなかった。しかし、僕がここにいることは絶対に口にできない。信じてくれるはずはないし、むしろ、余計に心労をかけるだろう。

 担任の先生は僕の母と話をすると言って、病室の外に出て行った。

 僕はベッドに近付き、横たわった僕の体を眺めた。口には酸素マスクが装着されていて、体の随所に包帯やガーゼが施されている。その様子を見た翔太はポツリと言う。


「酷いもんだな」

「そうだね……」


 僕はどうしたものかと悩んだ。元の体に戻るにはどうしたらいいのだろう。魂というものが一体どういうものなのかは知らないが、人の体から人の体へ移動する方法はあるのだろうか。

 僕は手始めに、横たわっている僕の手を握った。そしてそのまま目を閉じてひたすら祈った。僕の体に魂が戻りますように、と。


「え?もしかして、君らってそういう……」


 翔太が後ろで何か言っている。しかし、内容までは聞こえなかった。しばらく手を握っていたものの何か起きそうな気配はない。舞白さんの反応を待ってみたが、彼女は何かアクションを起こす様子はなかった。

 僕は諦めて、ベッドの周辺に視線を向けた。すると、ベッドの横にある机の上に僕のカメラが置いてあることに気が付いた。僕はカメラを手に取って観察した。ボディは傷だらけで、レンズにはひびが入っている。試しに電源を入れてみると、映った映像は縦横に分断されている。


「それ、悠人のカメラか。壊れちゃってるな」


 画面を見た翔太は残念そうに言う。


「いや、レンズが割れてるだけかも」


 僕は机に置かれているバッグの中を探って別のレンズを取り出した。幸いなことにそのレンズは傷がついていないようだ。僕はレンズを交換して再び電源を入れなおした。すると、鮮明な映像が液晶に映った。


「よかった。センサーは無事だったみたい」

「マジか、よかった……舞白さん、カメラ詳しいの?」

「それは……」


 僕は返答に悩んだ。というのは、僕の体に起きていることを翔太に話すべきかということを含んでのことだ。彼に打ち明けても信じてくれるか分からない。しかし、話すなら今このタイミングしかないと思った。


「ちょっと待ってて」


 僕は翔太に背を向けて小さな声で舞白さんに話しかけた。


「翔太に口寄せのこと話していいと思う?」


 舞白さんは少し考えて言った。


「……いいと思う。だって翔太君は悠人君の友達なんでしょ? 私は信用するよ」


 舞白さんはそう言った。その言葉に勇気づけられた僕は翔太の方に振り返った。


「信じてくれるか分からないけど、実は――」


 僕は事の顛末てんまつを翔太に話した。僕達が化け物に襲われたこと、そして、舞白さんの口寄せによって二人で体を共有していること。彼は最初は笑ったような顔をしていたが、最後の方は眉をひそめて腕を組んでいた。


「……それで、悠人の魂が舞白さんの体に入ってる?」

「信じてない?」

「そりゃな」


 僕は悩んだ。どうすれば証明できるだろうか。


「じゃあ、僕と翔太しか知らないことを話したら信じてくれる?」

「……言ってみて」

「翔太が小学二年生のときにお化け屋敷に入ってビビりすぎてお漏らししたとか」


 彼の眉毛がピクリと動く。


「小学四年生のとき音楽の先生に告白したら振られて号泣したとか」

「……ちょっと待て」


 僕は構わず続ける。


「女子にモテそうだからギターを始めたって言ってるけど本当は――」

「待て、信じるから!」

「本当はその先生がギター好きだったから始めたんだよね」


 彼は両手に顔をうずめてうなだれていた。

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