第5話
部屋に入って照明をつける。視界に入ったのは教科書が並べられたアンティーク調の机、背もたれが長い木製の椅子、シンプルなデザインのベッド。壁際には高い本棚が二つあり、どちらもぎっしりと本が詰まっている。その横にあるタンスの上には木彫りの熊が飾られている。僕はベットの上に座り長く息を吐いた。すると、口が勝手に話し始めた。
「悠人君、私の声、聞こえる?」
僕は驚きながらその声に答えた。
「舞白さん!?」
「やっぱり、そうだよね」
僕は……いや、舞白さんは
「やっぱりって、どういうこと?」
「……あの時、悠人君が崖から落ちた時、悠人君の魂を私の体に移したの」
「え?」
「口寄せをしたの」
口寄せ。死者の魂を憑依させる術のはずだ。それを僕にした?
「ちょっと待って。ということは、僕はもう死んでるってこと?」
舞白さんは首を横に振った。
「ううん、違うと思う。あの時の悠人君は息をしてた」
「なら何で……」
「分からない。でもあの時、確かに悠人君の魂は悠人君の体から抜け出していた」
「抜け出してた……」
「そう。それで咄嗟に口寄せをしたの」
到底信じがたいことが起きている。しかし、現に僕は舞白さんの体で動き回り、ものを言っている。混乱が渦巻く
「あの化け物は?あの後どうなったの?」
「崖に落ちた後は見てない。でも、もしかしたらあれが原因なのかも」
「あれ何なの?原因ってどういうこと?」
「……ごめんなさい。私もよく分からなくて」
舞白さんは指を組んでギュッと強く握りしめた。僕はハッとなった。彼女もきっとこの状況に混乱しているのだ。それなのに、この場で疑問を投げつけるというのは見当違いだ。それよりもっと先に言うべき言葉があるはずだろう。
「こっちこそ、ごめんなさい……いや、ありがとう舞白さん」
「……え?」
「要は助けてくれたってことだよね?」
組んでいた指から力が抜ける。
「状況はよく分からないけど、少なくとも僕は生きてるみたいだし、何とかなるよ」
「……うん」
僕は出来るだけ平然を装って言う。そして、少し話題を変えようと別の話を振った。
「あの人達は祖父母さんなの?」
「うん、母方のね。こっちに転校するにあたって、泊まらせてもらってるの」
「なるほどね。神社の子って聞いたから、案外普通の家だなと思ったんだ」
「父方の家は神社の境内にあるよ。でも、私は普通の家の方が好き」
舞白さんは部屋を見渡しながら言う。黒や茶色を基調とした部屋の雰囲気はどこか懐かしい気持ちにさせてくれる。そうして部屋全体を見渡す中、僕は改めて自分の体に違和感を覚えた。部屋の家具一つ一つがぼやけて見えている。
「話は変わるんだけど、舞白さんって目悪いの?」
「え?ああ、普段はコンタクトしてるんだけど、土手に落ちた時にどこか行っちゃったみたい。やっぱり違和感ある?」
「ちょっとね。でも慣れてきたよ」
その時、部屋の扉が開き、お婆さんが顔を覗かせた。
「舞白、大丈夫かい? 色々あったみたいだけど」
「え、あ、僕は大丈夫です」
すると、お婆さんは怪訝そうな顔をする。
「僕?」
「あ、いや、私は大丈夫だよ」
僕は慌てて言い直した。お婆さんは優しい声で言う。
「そうかい。夕ご飯できたけど、もう食べるかい?」
その問いに舞白さんが答える。
「うん、いただきます」
「なら、すぐよそうからね」
そう言ってお婆さんは部屋から出て行った。
「悠人君、お腹すいてる?」
「お腹は……すいてる。これって感覚とか共有されてるのかな」
「多分、ね」
舞白さんは立ち上がって下へ降りた。舞白の祖父母は既に食事の席についていた。食卓には白米、みそ汁、焼鮭、筑前煮、ほうれん草のおひたしが並んでいる。手を合わせて筑前煮を一口。
「ん!これめっちゃ美味い」
「ん?ああ、そう言ってもらえて何よりだよ」
お婆さんは驚いたように言った。僕はしまったと思った。舞白さんの体だというのに、自分の言動が前に出てしまっているようだ。下手な行動をすれば変に思われるだろう。それ以降、僕は出来るだけ自我を抑えていた。そんな中、お婆さんに声をかけられた。
「舞白、お風呂湧いてるから、いつでも入っていいからね」
その言葉を聞いて、僕は事態の深刻さを改めて実感した。夕食後、僕はお風呂場の前で立ち尽くしていた。僕は男性、舞白さんは女性で、今は一つの体に入っている。この場合はどうすればいいんだ? 僕らは思春期真っ盛りの中学二年生。純粋無垢だった小学生から次第に知識をつけ始めた頃合いである。かくいう僕も全く興味がないという訳ではない。むしろ興味津し――。
「目、つむってて」
「……はい」
心なしか彼女の声は少し冷たかったような気がした。お風呂に入っている最中は、目をつむっているためか、体を伝うお湯の温かさや長い髪の毛の間を滑る指の感触を強く感じ取った。お風呂から出て服に着替え終えた時、久しぶりに僕の視界が開けた。目に入ったのは鏡に映る櫛で髪の毛を梳かす舞白さんの姿だった。再び部屋に戻ると、僕と舞白さんは改めて現状と今後について話し合った。
「僕の体に戻る方法は分かる?」
彼女は少し考えた後、首を横に振った。
「私も生きた人の魂を呼んだのは初めてで……まずは、悠人君の体がどうなってるか確かめたい」
「多分、僕の体は市民病院に搬送された思う。明日、行ってみようか……と、思ったけど」
僕は手を顎に当てて考えた。僕の魂は舞白さんの体に入っている。ということは、僕の体は間違いなく意識不明の状態だ。そんな患者に対して果たして面会できるのだろうか。
「面会の許可って下りるのかな」
舞白さんは少し考えてから言った。
「……もしかしたら、学校の先生に頼めば行けるかも。多分、担任の先生はお見舞いに行くんじゃないかな」
「確かに。明日学校に行って、一緒に行けるよう頼んでみようか」
「そうだね。それがいいと思う」
舞白さんはそう言うと、ベッドの傍にある時計を見た。時計の針は十時過ぎを指している。普段はまだ起きている時間帯だったが、今日は妙に眠気を感じていた。大きなあくびが出る。
「今日はもう寝よっか」
「うん」
僕は部屋の電気を消してベッドの中へ入った。
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