第4話

 僕が意識を取り戻した時、すぐに自分が土手の下にいることが分かった。頭にきりがかかったように思考はよどみ、目の焦点は定まらずぼやけている。不明瞭な視界の中で、地面に倒れている人の姿が見えた。


「舞白……さん? ああ、そんな!」


 僕はポケットからスマホを取り出して119と打ち込んだ。数回のコールの後、女性の声が聞こえてくる。


「こちら消防署です。火事ですか?救急ですか?」

「救急です!」

「住所はどこですか?」


 僕は返答に困った。今日は偶然ここに来ただけだから、詳しい住所は分からない。なら、道順で示すのが良いだろうか? ここにはあの道を通って、あそこを曲がって……いや、方角で示すのがいいだろうか? 学校があっちだから、方角的には……。


大竹おおたけ神社の近くです。神社の北側の細めの道です」


 考えがまとまらないうちに、口から言葉がこぼれた。僕は戸惑ったが、その間にも電話の向こうから質問が飛んでくる。それに対し、僕の口は反射的に答えていった。


「どういう状況ですか?」

「友達が崖から落ちて、意識を失ってます」

「呼吸はありますか?」

「息はしてます」

「友達は何歳ですか?」

「多分、十三歳か十四歳です。中学二年生です」


そこまで言うと、電話の相手は少し間を置いてからこう言った。


「分かりました。救急車を送るので、友達は無理に動かさず、安静にしていてください」


 僕は目を手でこすった。先ほどから視界のぼやけが収まらない。ピントを出鱈目でたらめに合わせたレンズを覗いているようだった。

 僕は地面に膝をつき、近くで容体を確かめようとした。すると、スマホから再び声が聞こえてきた。


「あなたの名前を教えてください」

「鈴鹿舞白です」

「鈴鹿さんですね? 救急車の音が聞こえたら、近くまで誘導をお願いします」

「はい、分かりま……した」


 僕は自分の口から出た言葉に唖然あぜんとした。


 (今、僕は何と言った? 自分の名前が……鈴鹿舞白?)


 地面に倒れた人は制服を着ている。うちの学校の男子の制服だ。僕の視線は下半身から上半身へと移動した。首にカメラがかかっている。カメラの紐は外れかかっていて、少し引っ張ればスルリと抜けた。僕はカメラを至近距離で確かめた。傷だらけになっているが、僕が使っているカメラと同じ機種だ。僕はカメラから視線を外し、倒れている人の顔を見た。そこに倒れていたのは紛れもない悠人自身であった。


「どういう……こと……?」


 僕の口から発せられたその声は、透き通るような少女の声だった。サワサワと木々が風になびいて音を立てる。遠くの方から救急車のサイレンが聞こえてくる。

 救急隊員が到着した後、僕の体は救急車で病院に運ばれていった。狐に化かされたような状況に混乱していた僕は頭の整理が終わらぬまま、警察官から事情聴取を受けることになった。


「犬のような動物に襲われた……と。大きさや色は覚えてますか?」

「大きさは僕の腰くらいだったと思います。色は灰色っぽかった気がします」

「……ああ、なるほど」


 僕は警察官の反応が少々鈍いことに気付いた。もしかして証言を怪しまれているのだろうか? 確かに証言については隠している部分がある。しかし、犬が化け物だったなんて言えば、余計に怪しまれるだろう。

 いくつか質問に答えた後、警察官はメモ帳をとじて言った。


「今日はもう遅いですし、家まで送迎しますね。家はどのあたりにあるの?」


 僕の口が勝手に開いて全く知らない住所を告げる。パトカーに乗っている間、僕は窓から夜の街を眺めていた。何が起こっているのか分からないまま事は先へ先へと進んで行く。例の犬の化け物も、僕の体に起きた異変も、何一つとして理解が及ばない。

 ふと、車の窓に映る自分の姿が見えた。長いまつ毛、こじんまりとした鼻、耳に被る長い髪、不安そうな顔をした少女の顔が映っている。


「ここで大丈夫です。すぐそこなので」


 僕の口が開いてそう言った。


「家の玄関まで送りますね。親御さんにも事情を説明しないといけないので」


 パトカーから降車した僕はある家の前に辿り着いた。インターホンを鳴らして数秒後、扉が開いて中からお爺さんが出てきた。


「おかえり、舞白……うん?」

「こんばんは。この子のおじい様でしょうか?」


 警察官は警察手帳を見せながら言った。お爺さんは困惑しながらも答える。


「ええ、そうですが……舞白が何か?」

「この子がちょっとした事件に巻き込まれまして、もしよろしければ私の方から少し説明をさせていただきたいのですが」

「分かりました。舞白、中に入ってなさい」


 お爺さんは優しく僕の背中を押して家の中へ招いた。

 家の中へ入ると眼鏡をかけたお婆さんが台所で作業していた。お婆さんは僕に気付くと笑顔で話しかけてきた。


「おかえり、今日は遅かったね」

「ただいま。うん、ちょっとね」


 僕の口がそう言って足は階段に向かった。階段の一段目に足をかけた所でお婆さんは心配そうに言う。


「何かあったの?大丈夫?」


 僕の口は勝手に微笑んでそれに答えた。


「私は大丈夫。心配しないで」


 二階へ上がった僕はとある部屋の前に着いた。

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