五章

 村を横断する石畳の道は、正門から整備された普通の道に変わるが、そのまま道なりに荒野を抜ければ隣のマジオ村へ達する。

 その途中を分断するように線路が伸びているのだ。都と北方の国を結んでいるが、この近くに駅はない。

 クフノセの話しでは、村人全員を汽車に押し込めて北へ向かうらしい。駅がなくとも、汽車を停めるだけの野駅なら問題はない。

 どこに汽車を停めているのか――。

 そこまでの村人の移動は歩き――移動速度と利便さから考えれば、その野駅はたやすく判断できる。

「汽車を停めるならこの道路の先が一番だ」

「――当たり前じゃろ。理論立てんでも想像つくわい」

「そう――?」

「おぬしは本当に考えてるのか考えてないのか分からんな」

 二人を乗せた自走式三輪車はひたすら真っ直ぐ、煙を引きずるように走った。

 傾いた陽日は、巻き上がる砂塵を橙赤色に染めている。

 右手側にだだっ広い荒野が広がる。申し訳程度の緑がそこかしこにあり、遠く地平線に壁のような岩山が連なる。

 左手側には緩やかな岩丘が広がっている。幾重にも重ねられた岩壁を層ごとにずらして斜めにしたイメージだ。

「停まっているのか動いているのかが分かれば追いかけやすいんだけど」

「これで追いかけるんだろ」

「村の皆をどうやって助けるか――それが最大の問題だったんだ」

「真正面からぶつかるんじゃないのか」

 それも考えた――と、タイセイは笑った。

「でも、それじゃ、村の人を戦いに巻き込んでしまう。守りながら戦えるほど、今のボクは強くない」

「今は――か」

 タイセイは頷いて続けた。

「クフノセは全員を北へ移動する――って言ってたんだ。汽車でまとめて連れて行くつもりだと思うんだ」

「その方が効率的じゃからな」

「汽車は何両あるか知らないけど、ほとんどが村のひとで埋められるはず――。なら、護衛の〈あやかし〉はそれほど多くは乗れないと思うんだ」

「まあ――そうじゃろうな」

「だから汽車を奪う」

 ほう――とカルが声を上げた。

「動き出した汽車に飛び移り、乗っている〈あやかし〉を全て倒して、そのまま北へ向かう」

「あの場所を捨てるってことか?」

「ボクもそこに迷いがあった。あそこは先祖が拓いた大切な土地――ボクが生まれ、ずっと生きてきた場所。大好きな村だよ」

 タイセイは自分にも言い聞かせるようにゆっくりと続けた。

「だけど村というのは、そこに住む人間がいてこそなんだ。ひとの住まない村は荒野より虚しい。村の皆――村長、双子の長老、和尚、仕立て屋のおばさん、鍛冶屋のおじさん、ヤイチとトール、ゴオさん、ユウヤさん、セナ、それに父さん、タイガ、そしてエイミ――みんながいる所――それがバドウ村だ。ボクはそう考えた。だから、このまま北へ行き、そこで新しく村を作れば良い――って」

「おぬしらしい大胆な発想じゃな。――大胆な発想じゃが、一番確実かもしれん」

「でしょ――」

 タイセイはにい――と笑ったが、すぐ困った表情をしてみせた。

「そのためにはタイミングが大事なんだ」

「なんのタイミングじゃ?」

「汽車が出発の前に到着してもダメ、加速に追いつけなくなってもダメ、もちろん行ってしまった後では話しにならない」

「汽車が停まれるスピードではなく、尚且つ、自走式三輪車が追いつけるスピードのタイミング――ということか」

「それに線路は鉄橋に続いているから、その前に捉まえなければいけないんだ」

 岩丘の向こうには、幅五十メートルを超える川があり、標高差の高さに鉄橋が設置されている。

 鉄橋に入られてしまうと追跡は不可能となる。

 本当に考えてるのか、考えてないんだか――と、カルが深くため息ついた。

 変わらぬ風景が続く。だが、汽車には確実に近づいている。

 砂塵が夕刻の赤みをさらに濃くした。

「ならば、初めから橋の手前に向かった方がいいんじゃないか?」

「本当はね。――でも鉄橋付近の地形は起伏の激しい天然の迷路になってるんだ」

「線路に出る自信がないと? ――おぬし、方向音痴か」

「違うよ。感覚で選んだ道が目的地と違う方角だった――ってことが多いだけだよ」

「それを方向音痴というんじゃよ――」

 肩でカルが苦笑した――が、一瞬で真顔になる。

 タイセイにもその理由が分かっている。

「そんなことも言ってられなくなったね――」

「方角は見誤るなよ」

 カルの言葉尻に合わせ、タイセイは左の悪路へと僅かにずらした。

 正面に四つの影が現われた。

 砂塵の向こうではっきり見えないが、騎馬部隊に違いなかった。接近スピードが思いのほか速い。

「待ち伏せか」

「あれだけ暴れておれば、気付かぬ方がおかしい。これでも少ない方じゃ」

 言えてる――と、タイセイはハンドルをしっかりと握った。

 自動三輪のタイヤは太く、こんなデコボコの地面でも平気だが、コントロールにはかなりの力を必要とした。

 正面の影が、タイセイの動きに合わせてずれた進路を取ってきた。明らかにこちらをを追っている。

 かわすためとはいえ、横へ逸れすぎるわけにはいかない。

 思い描くタイミングで飛び乗れれば最良だが、それに気を取られ、汽車を見送るのは最悪である。

 ましてや、邪魔に気を取られ、時間を逸するのも本意ではない。

「方角を見ててよ!」

「否――それはおぬしに任せる!」

「――もしかして君も方向音痴?」

 肩口から返事はなかった。

「来るぞ」

 荒地の砂塵を突き抜け、四騎が姿を見せた。

 走ってきたのはダチョウのような〈あやかし〉であった。

 嘴があり、後ろ足のみで硬い音を鳴らして岩場へ入ってくる姿はまさしくそれであった。だが、耳は長く、身体中が鱗に覆われているところはダチョウではなく、〈あやかし〉なのだと思いしらされる。

 その脚は平地よりも悪路の方が得意らしい。全くスピードが落ちない。

 〈ダチョウ〉の上でサルとネズミの間のような顔をした〈あやかし〉が、自分の身長以上の長さの槍を持ち、タイセイたちの正面から迫ってくる。

 それが三騎――さらにその先頭を行くものが一騎いた。

 下半身は他の三騎に似ているが、足の数が四本――その分、他の三騎より速い。

 上に乗っている者はおらず、〈ダチョウ〉の頭の代わりに上半身がついている。つまり、それだけで一匹の生物なのだ。嘴もあるが、顔はサルとねずみが混ざって見える。引き締まった腕には盾と剣が持たれていた。

「リーチも速度も向こうの方が有利だ。気をつけて」

「おぬしは黙って方向を見誤らず運転しとれば良い」

 カルが肩から降りてタイセイの後ろ――後部車輪の間に立って実体化した。

 スピードを上げる。わずかにこちらが速い。真正面からぶつかるのは避けられそうだ。

 硬い路面と目に見えない勾配がハンドルに伝わる。勾配は左側に上がっている。

 通り過ぎた後方で〈四歩足〉が交差した。

 横になぎった剣が頭の上を過ぎる。

 〈四本足〉が大きくカーブして追ってくる。スピードは落ちない。こちらと並走している。

 残りの三騎も後ろから追走している。

 速度としては三輪車の方が上だが、平地ではない分、最高速度が保証されるはずもなく、追いつかれない自信はなかった。

 砂塵の中に戻るか――タイセイは考えた。

 あの巻き上がる砂と平地なら撒くことも油断を誘うことも出来る。

「おぬしの考えていることは分かるが――あれを見ろ」

 カルの指差す方に黒い汽車が見えた。

 広大な台地に伸びる線路の上に、重厚な黒い汽車が煙を上げている。

 空気を打ち鳴らす笛の音が遅れて響いた。

「発車する――?」

「ここから降りては間に合わん」

「この場で撒くしかないってことか」

 タイセイは掌サイズの汽車を見て、その進行方向へと視線を移した。

 今走っている岩盤地帯は風雨で浸食された溝がアリの巣のように巡っている。起伏も激しいが、この先で汽車の進行方向には交差する。

 この先はすぐ鉄橋――乗り移るなら、ここしかない。

「カル、行くよ」

「勝手な名前で呼ぶでない」

 タイセイは溝の一本に進入した。タイヤギリギリの幅だ。

 自然が作り出した迷路がうねるように続く。どう侵食すればこうなるのか――トンネルのようにくりぬかれている。

 右に傾いた――と思うとそのまま左へカーブしたり、急に下に向かったりする。この溝がいつ行き止まりになるかも分からない。

 上を影が通り過ぎた。

 溝に入り損ねた〈四本足〉が飛び越えたのだ。

 後ろからは残りの三騎が付いてきている。この幅なら一騎ずつでなければ通れないはずである。

 ちら――と覗き見た後方は、タイセイの想像を超えていた。

 溝の弧を充分に生かし、右に左に〈ダチョウ〉を揺らし、時には二騎で両側から、時には上から突き下ろすように、時には三騎で迫る――そんな多種多様な攻めを見せていた。

 それに加え、間合いの長い槍である。カルも苦戦している。突き出る穂先を弾いてかわすので精一杯なのだ。

 ヒヤリ――とした殺意にタイセイは首を前へ動かした。後頭部があった辺りを白刃が通り過ぎる。

 溝を飛び越えた〈四本足〉が振り下ろした剣であった。

「一筋縄ではいかないってことね」

「向こうに合わせてやる必要はないじゃろう」

 言えてる――と、タイセイは溝の進行方向を見た。

 夕刻の濃い光がコントラストを強くしている。溝の状態が見えづらい。

 勘の勝負である。

 カルは溝の壁を叩いた。砕け散った破片が後ろへと流れていく。叩く数を増やし、破片を撒き散らす。

 石の欠片をものともせずに、三騎はスピードも緩めない。

 二股の道――一方は上へ向かい、もう片方は下へ向かう。

 タイセイは一瞬の判断でハンドルを右へ切った。選んだのは下への道であった。

 石つぶては確かにダメージを与えるほどではなかった。だが、急な方向転換の余裕も与えなかった。

 三騎のうちの先頭がそのまま真っ直ぐ進んでいった。

 上への道はすぐ行き止まりだったようだ。肉を打つ不愉快な音が短く聞こえた。

 残った二騎を従えて溝を進む。勾配は上昇している。この先の上りきった所で、地上に出られる。

 並走する影が紅色に染まる溝壁に映る。四足の影絵が速度を合わせていた。地上を〈四本足〉が併走しているのだ。

 Cの字状に削れた筒が夕空へ延びている。

 このままでは、その出口で〈四本足〉と交差する。間合いでは向こうに有利だ。そんな状況に飛び込み、それがひっくり返る奇蹟を望むくらいなら、自分の手で何とかしたほうが良い。

「カル――掴まって!」

 タイセイはアクセルを回しこんだ。

 ぐん――と加速がかかる。重心がぶれそうになるのを力で抑えた。

 筒状の溝へ入った。

 壁のうなりが耳元を過ぎる。

 Cの字の切れ目から差し込む影が〈四本足〉がついてきていることを教えた。

 後ろの〈二本足〉も必死に喰らいついてきている。

 タイセイは車体を右に振り、戻る勢いに乗せて筒の内径を回った。

 一騎めを回転してやり過ごす。頭の真下を頭が通り過ぎた。

 勢いに乗って切れ目を飛び越えた先に、続く二騎めがいた。

 意表をつかれた驚愕の表情が〈ネズミザル〉の顔に張り付いた。

 自走式三輪車の横腹でぶつかっていく。

 〈ダチョウ〉は岩壁に激突し、乱れた力のベクトルにひっくり返った。〈ネズミサル〉も巻き込まれ、短い悲鳴を残して後方へと流れていった。

 残るは前方の一騎のみだ。

 振り向きながら必死に突いてきた槍先を、背中越しからカルが掴み取った。

 タイセイは三輪車の速度を上げた。

 カルが吠えた。槍ごと〈ネズミサル〉と〈ダチョウ〉を持ち上げる。

 かつてない重みと急勾配に、三輪車が悲鳴をもらす。

 タイセイは構わずアクセルを回しこんだ。

 〈ネズミサル〉の表情が驚愕のまま出口を突き抜ける。

 視界が開けた。

 タイセイは飛び出す車体を抑えた。浮き上がりそうな前輪をすぐ地へと下ろした。身を低く、さらに右へ傾けた。

 カルも同じ姿勢で、右方向へと体重を掛ける。

 ――その手に槍先はなかった。

 持ち上げられていた〈ネズミサル〉は〈ダチョウ〉ごと宙へ舞っていた。

 カルがC字の溝を抜ける時に投げ捨てたのだ。

 三つの影が交差するタイミングを、一番先に抜けたのは自走式三輪車であった。

 実際交差したのは〈二本足〉と〈四本足〉だけであった。

 それはタイセイたちの仕掛けた、絶妙な激突必然のタイミングであった。

 だが、〈四本足〉は宙の〈二本足〉を前足で蹴り飛ばすことでそれを回避した。

 めきめき――という肉と骨がひしゃげる音が後方に遠ざかる。

 自走式三輪車は咳き込むような音を立てながら岩場を激走した。

 石の地面は生きている。一つとして同じ所は無く、自由に隆起している。

 太いタイヤはそのデコボコに負けず、力強く前進した。

 しかし機動力では〈四本足〉の方が優れている。それでもタイセイは溝を利用せず、迷わず上の道を選んだ。

 その理由にカルは気付いてくれたようだ。

「あのキシャというやつとのタイミングは合っておる。じゃがこのスピードじゃ。それにあやつ――どうする?」

 カルの言葉通り、狙いは汽車に飛び乗ることであり、煙の位置から考えるとタイミングは合っている。

 溝ではなく、上側を選んだのも、線路とこの荒地との高低差がちょうど汽車の屋根までの高さと同じになっているからだ。飛び移るには丁度良い。

 問題はこのスピードと〈四本足〉――カルの言うとおりである。

 クレパスのような溝の反対側を〈四本足〉が併走している。

 蹄の音が小気味良く左耳についてきている。

 跳躍力でなんとか出来る幅ではないが、スピードでは向こうに分がある。

 この先で溝は繋がり、橋のようにこちら側へ渡れるのだ。幅は狭そうだが、〈四本足〉の技量なら問題あるまい。

 つまり、先回りで前方を塞がれてしまう――ということだ。

 ならば――と、タイセイはさらにスピードを上げた。

 煙のみが近付くのが見える。間もなく正面にかかる。

 蹄の音が追い抜いていく。予想通り、先回りする気だ。

 視界に汽車の煙と、追い抜いていった〈四本足〉の背中が入ってくる。

 タイセイは進行方向を少し左寄りへ向けた。溝の方である。

 煙が汽笛と共に正面を過ぎた。

「おい、小僧――」

「行ける!」

 タイセイは溝の途中から三輪車ごとジャンプした。

 その先にちょうど〈橋〉を渡る〈四本足〉がいた。タイセイの思い切りは、まさかの行動だったらしく、その表情は驚愕のまま、剣を振るうことさえできなかった。

 三輪車のタイヤが〈四本足〉を捉える。

 押し出すように崖端から宙へと飛び出した。

 汽車が黒い鉄の蛇のように真下でうねっている。

 タイセイは三輪車を蹴り飛ばした。

 〈四本足〉は三輪車と共にそのまま対岸の岩壁まで飛んでいった。

 そのおかげで飛び出した勢いは失くなり、タイセイは走る汽車の屋根へと落ちた。

 死にきれなかった力を転がることで殺す。

 車両の後部の方でやっと止まった。

 車輪が線路を噛む連続音に今始めて気付く。まるで世界が動き始めたみたいであった。

 走り過ぎた後方で、〈四本足〉が三輪車ともつれながら線路へと転がり落ちた。

 荒い息を数度の深呼吸で整え、タイセイはゆっくりと起き上がった。

 下の車内がざわついている。

 車両は全部で十両、先頭に機関部、客車が二両、残りは全部貨物車である。

 タイセイたちは貨物車の一番目に落ちたようだ。

「本当に考えてるんだか考えてないんだか、分からん奴じゃな」

 カルが右肩で呆れた。

「でも大丈夫だったでしょ」

「さ――来るぞ。ここからが本番じゃ」

 一番手はタイセイの乗っている車両から現れた。

 にゅ――と棒のような頭が横から出てきた。手も足も棒のように細く長い。ナナフシという昆虫に似ている。それが屋根へ登ろうとしていた。

 タイセイは登りきる前にその細い胴体を蹴り飛ばした。

 細長い体躯は岩壁にぶつかり、打ちつけられ、車両から離れた。踊るように遠ざかっていく。

 がくん――と右腕が引っ張られた。

 同じ〈あやかし〉がもう一匹いたのだ。

 カルが相手をして汽車から落としたようだが、長い腕に掴まったらしい。

 タイセイはカルを引っ張り上げ、ついてきた細長い腕を蹴り払った。

 枝のような身体が屋根で一度バウンドし、車両と崖の隙間に落ちていった。

「油断した?」

「ぬかせ――これからじゃ」

 ひょっこりと犬顔をした〈あやかし〉が登ろうとしているのが見えた。

 タイセイは跳ね、その〈イヌ〉の頭を両足で挟み、身体をひねって放り投げた。

 〈イヌ〉は回転しながら後ろの車両にぶつかり下へ落ちた。

 背後で殴りつけた音に続き、悲鳴のような声が遠ざかっていくのが聞こえた。

 ざわめく感覚はより高くなっていた。

 離れた車両からも上へ登ってくる〈あやかし〉の姿が見える。

「上にいるのはタイセイか?」

 下から声がした。

 タイセイは頭だけを降ろして下を覗き込んだ。

 貨物車両のドアが開け広げになっている。向こう側も開いているので、過ぎていく岩壁が見える。

 車内はその逆光のせいでよく把握できなかった。

 人が何人もいるのだけは気配で分かる。

 向こうからもタイセイは逆光らしく、呼んだはいいが確証を持てずに黙り込んでしまった。

「――タイセイです。どなたがいるんですか?」

「本当にタイセイですか」

 この声は村長のスウだ。

「村長――他のみんなは無事ですか?」

「タイセイですよ、本物の」

 自警団のリーダーの一人ユーヤだ。

 ふわ――と緊張感がほぐれた。

「ここには村長を始め、リーダー扱いの者が集められてます。残りの者は分断されて後ろの車両に――」

 君は大丈夫なのですか――和尚のホウアンだ。

 気絶している間のことはスウたちから聞いたのだろう。心配そうな声が震えていた。

「大丈夫だから助けにきたんだろう」

「助けに――? おれはお前になんか助けられたくねえな」

 ゴウとセナだ。最初に声を掛けてきたのもゴウであろう。同じ響きがあった。

「小僧――来るぞ」

 カルが声を掛けた。それほど切迫した口調ではないが、恐らくかなり近い所へ来ている気がする。

「誰か一緒なの?」

 スウが心配そうに訊いてきた。

「ボクの〈あやかし〉です」

 ざわ――と、影となっている人たちが落ち着きを無くした。

「誰がお前のじゃ――私は私じゃ」

 カルが、跳ぶように迫ったサルのような〈あやかし〉を殴り飛ばして言った。

「あの状況で生きてたんだろ。そのくらい有り得るわな」

 ざわつきの中、一喝するような響きが暗闇から聞こえた。

 セナだ。

 同意する声――ゴウとユーヤだ。

 タイセイの胸に熱くこみ上げるものがあった。

「そうですね――生きてて良かったです。タイセイ」

 スウが微笑むような声で言った。

 緊張と警戒が薄れていくのが、容易に感じ取れる。

 思いもよらない言葉たちであった。これほど嬉しいことはない。

 だが、喜んでいる場合でもなかった。

「時間がないので、要点を伝えます」

「全くだ――急げよ」

 カルが迫る〈あやかし〉をあしらいながら後ろで毒づいた。

 タイセイはこの列車を奪い、このまま別の土地へ移動することを提案した。

「そんなことできないぞな」

「あそこは先祖代代受け継がれた大事な土地ぞな」

 真っ先に反対したのは双子の長老であった。

 予測がついていた答えではあった。予測はついていたが、それに対する上手い説得方法は浮かばずじまいであった。

 逡巡していると、助け舟は村長から出てきた。

「確かに今はそれしかありませんね」

「スウ――?」

「何を言い出すぞな」

「希望が潰えたわけではありません。私たちが死んではあの土地だって死ぬのです。生きていれば、いつか戻れもしましょう」

「わしらは先も短いぞな」

「いつか――なんて辛いぞな」

「だったら尚更です。私どものわがままで無理やり戻ることは、若者に死んでくれと言うも同じ――若い芽を摘み取るようなマネはできないのではないでしょうか?」

 長老二人が黙った。

 タイセイはいたたまれなかった。

 長老の気持ちも分かる。あそこで骨を埋めたかったのであろう。村長でさえもあの土地から離れたくないに違いない――。

「タイセイ、まかせます。ただ――気をつけて」

 スウが代表して結論付けた。

「すまねえな、タイセイ」

「手伝えなくて――」

 口々に上がる言葉に、力が湧き上がるようであった。

「大丈夫、何とかしてみます」

 タイセイは頭を起こした。

「やっと来たかい」

「待たせてゴメン」

 カルと背中合わせになるように立つ。

 前車両から八匹、後部車両から十匹以上の〈あやかし〉が迫っていた。

 ただ、線路はカーブ続きで、うまく歩けず、接近するスピードは遅い。一気に囲まれることはない。

 そんな中で、トカゲに似た〈あやかし〉が四つんばいで群を抜いた速度で迫る。手足に吸盤があるようで、ぺたぺた鳴らしながら近付いてきた。

 こいつとの戦いが始まりだ――と、タイセイは構えた。

 が、〈トカゲ〉はタイセイたちのいる前の車両でぴたり――と止まった。表情が驚愕の形になっている。

 狼狽する気配と有無を言わせぬ悲鳴が背後に聞こえた。

「小僧、伏せろ!」

 慌てるようにカルが覆いかぶさってきた。

 タイセイはカルと共に倒れこんだ。

 その上を大きな鉄の玉が通り過ぎた。

 玉はその円周上の〈あやかし〉をなぎ倒していった。

 〈あやかし〉たちは踊るようにタイセイたちの横を過ぎ、列車から落ちていった。

 鉄の玉は持ち主の元へと戻った。

 身体を起こしながら、タイセイはその持ち主を見た。

 背丈はタイセイほどだが、体躯も腕も脚も全てが太かった。

 鉄の玉は小手に収まっていた。両の手に一つずつ、鋭くはないが突起も見える。

 力はありそうに見えるが、金属系の肌に筋肉質なイメージはない。

 首が見えず、身体の上に直接頭が乗っているようだ。顔の中心の豚鼻、その両脇の牙はイノシシを思わせた。

 その〈イノシシ〉以外、前の車両から来ていた〈あやかし〉はいなくなっていた。

 タイセイは、その〈イノシシ〉の情報に思い当たるものがあった。

「あなたがモンズですね」

「いかにも! そういうお前らが昨晩からワシの軍団にちょっかいを出しとったやつらか」

 タイセイとカルは立ち上がった。

「昨晩からの私らの動きを知っていた――割には防御が手薄じゃったな」

「ん――?」

 〈イノシシ〉――モンズの動きが止まった。

「何でだ?」

「知るか!」

 と、カルが吐き捨てるように言った。

「ワシがお前らを倒せば済む話だ」

 両腕の鉄の玉を外した。鎖が伸び、鉄玉はその重みで車両の屋根をへこませた。

「いくぞ」

 モンズは鎖を持って鉄玉を振り回し始めた。

 汽車の走行音にも負けない風切音が、モンズの両側で踊った。

 時折、旋回範囲を越えた玉が岩壁にぶつかり、岩を削った。

 その大雑把な動きに、タイセイの頭にはあるアイディアが浮かんでいた。

「カル――」

「何じゃ?」

 走って――と、タイセイは後ろの車両へ走り出した。

「何じゃと?」

 カルは引きずられるようにタイセイについていった。

「逃げる気か!」

 汽車の屋根を鳴らしてモンズも追いかけてきた。器用に鉄玉を回したまま――。

 タイセイとカルは、モンズの登場で金縛りのように身動きとれずにいた〈あやかし〉たちの隙間を縫っていく。

 タイセイたちの動きに呪縛が解けた者もいたが、二人はあえて相手をせず、素早く駆け抜けた。

 最後部の車両でようやく足を止めて振り返る。

 横にカルが並ぶ。その顔には呆れた表情が浮かんでいた。それはタイセイだけに向けられたものではない。

 一つ手前の車両でモンズが足を止めた。

 息を切らしているが、鉄玉は変わらず風切音を絶やしていなかった。

 その向こう――汽車の屋根上には〈あやかし〉がいなくなっていた。

 モンズもそれに気がついたようだ。

「ワシの精鋭部隊はどこへ行ったのだ?」

「おぬしが弾き飛ばしたんじゃろが」

 モンズは心当たりがないという表情をした。

「――ワシがお前らを倒せば済む話だ」

 バカの一つ覚えじゃな――とカルが前に飛び出していった。

 タイセイも続こうとした時、足元から声がした。

「タイセイ――?」

 聞き慣れた声――はきはきしながらも優しさを内包した響きは、エイミの声だった。

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