三章

 村は静かになっていた。

 眠っている――というより、死んでいるようであった。

 それもそのはず、村人がいないのだ。生活している者がいないだけで、建物がこれほど虚無化するとは、タイセイは思いもしなかった。

 時折、松明を灯した異形の集団が道を過ぎていく。

「五匹で一グループか。一気に倒さないと、あっという間に囲まれるね」

 民家の二階にタイセイは潜んでいた。

 濃さがより増している窓の陰から、村道を見下ろす。

 ゆらりゆらり――と、滲む火明かりが去っていく。

 右の肩口で〈リオン〉が不機嫌そうに掴まっている。

「一つずつ潰していくのか?」

「効率悪いよ。――意外と頭良くないね、カルって」

「さっきから何じゃ、その『カル』って?」

「君の名前」

 良い響きでしょ――と、タイセイは笑った。

「私は飼い犬ではないぞ」

「でも『リオン』って種族名だから、ボクにしたら『人間』って呼ばれてることでしょ。気分良くないじゃない」

「だからって勝手に――」

 行くよ――と、タイセイは反論を却下した。

 腰を屈めながら、部屋の隅へ移動した。

 暗紫の中で、陰影のみの部屋には生活感が生きていた。木のベッドでは布団が起き立ての形で乱れ、机とイスは使われたままで放っておかれている。すぐ使える状態であった。

 部屋は静かに主を待ちわびていた。

 タイセイはそこを抜け、廊下へ出た。

 廊下にはもう一つの部屋と一階への階段、そして壁にドアが一つ無造作に付けられていた。

 タイセイはそのドアへ向かった。開けると視界を遮る石の壁があった。それは村を防護する目的で設置された外壁であった。頭上高く圧迫するようにそびえている。

 その壁と家屋との間を、板が何軒先までもずっと続いていた。ひと一人がやっと通れる位の簡素な渡り廊下だ。

 ほう――と、カルが声を上げた。

「ここをうまく渡っていけば大抵の所には行ける」

「どこを目指す?」

「村の人全員をかき集める――確かそう言っていた」

 タイセイは言いながら渡り廊下へ出た。

 きし――と木が軋む音を立てた。

「みんなを一箇所にまとめられるだけの場所って限られるんだ」

「広場か公会堂みたいなとこか」

 タイセイは頷いた。

 その通路は心もとない足場であったが、無駄な戦いを避けられる利点は大きい。

「北東に正門があって、その手前に広場がある。公会堂は同じ敷地内――あと旧公会堂も近い。そのどこかだと思う」

「この通路から行けるのか?」

 タイセイに村の構造を、もう一度、ゆっくり思い出してみた。

 村は防護壁でぐるりと円を描くように覆われている。正門は北東に向かい、裏門にあたるのがクフノセと戦った南西である。北西は畑に通じ、村の主要な施設は北側にまとめられている。

 タイセイは無駄な争いを避けるつつ村へ入るために南側へ廻った。さっきの川の下流へと合流する排水路が目的地だ。そこに隠し扉があるのだ。皆が知っている公然の秘密だ。門は定刻に閉められるが、隠れて村の外へ出入りするために使用する。

 タイセイはそこから中へと入ったのだ。

 つまり地形的には目標地点とまるっきり逆方向である。

 渡り通路は非常経路であり、隠し扉から外へ脱出するためのもの。ということは――。

「――どこからか下りないとダメみたいだ」

「おぬし、考えてるんだか、考えてないんだかわからんな」

 タイセイが歩みを止めた。

 カルもその理由を訊かない。

 二人の感覚は一致していた。

 敵がいる。

 それもすぐ近く。

 ――上だ。

 カルが屋根へと跳び上がった。握った拳がすれ違いざまの影に直撃した。

 影はくの字のまま、夜空へと飛び上がっていった。

 タイセイはそれを横目に、後方へと右足を振り回した。飛び込んできた影が、右足と外塀の内壁に挟まれた。

 めきめき――という感触が足を伝わる。

 昆虫のような六本足が小刻みに震えている。

 不愉快であった。

 だが、戦いはそんな個人的感傷に浸る時間は与えてくれない。

 渡り廊下にもう一匹が降り立った。

 黄色い目が夜陰に鈍く光る。

 タイセイは足を戻す途中であった。

 全身に棘のあるトカゲに似た〈あやかし〉が爪を振りかざして迫る。

 ぐい――と、タイセイの身体が屋根上へと引き上げられた。

 〈トカゲ〉が足の下を通り過ぎた。

 背中から瓦の上に落ちる。

 カルに助けられたのだ。

 否、ただ彼は敵を追っていただけかもしれない。

 カルは渡り廊下にいた〈トカゲ〉と同タイプの〈あやかし〉を相手していた。手数の多い相手に逆に前に出て、タイセイを引っ張り上げたのだ。

 もう一匹は――と、タイセイは頭を巡らせた。

 同じ屋根の反対斜面に毛むくじゃらの影が見えた。

 〈トカゲ〉だけに時間を取られるわけにはいかない。

 タイセイは起き上がり、すぐに屋根先へ向かった。上ってくるであろう〈トカゲ〉をカウンターで捉えるためだ。

 来た。

 タイミングは合っていた。

 屋根上へ飛び上がってきた頭へ、右足の狙いは定まっていた。

 しかし空振り――またカルに引っ張られたのだ。

 背中の下で瓦が乾いた冷たい音を鳴らした。

 〈トカゲ〉が重心を低くしている。このまま起き上がっては良い的だ。

 引っ張られるなら、引っ張れるはず――。

 タイセイは右腕を力いっぱい回した。

 手ごたえはあった。同時に後ろ回りで起き上がる。

 がちゃがちゃと瓦を騒がせ、カルも後ろ向きに転がってきた。転がりながらすれ違う。

 ちらとカルと目が合う。分かってくれたようだ。

 互いの相手を交換した。

 どちらの〈トカゲ〉も攻撃のために前へ出ていたが、タイミングを外され、立ち往生していた。

 タイセイは左足を蹴り上げた。足先が〈トカゲ〉の腹部に潜り込んだ。そのまま倒れこみながら塀へと投げる。

 〈トカゲ〉は塀の上部を掠めて村の外へと落ちていった。

 目の端で、カルの決着も視界に入った。

 〈トカゲ〉が人形のようにしなりながら崩れ落ちた。

「もう一匹じゃ!」

 その声と同時に二人は動いていた。

 潜んでいた毛むくじゃらの影が身を晒していた。サルのような顔立ちと風貌であった。片手にナイフのようなものを持ち、それを投げようとしていたが、タイセイとカルがが速すぎ、投げるタイミングを逸したようだ。そのままの姿勢でサル顔が驚愕に歪んだ。

 カルの右のフックとタイセイの左の蹴りが同時に炸裂――〈サル〉は道路向こうの屋根まで吹っ飛んだ。

 大きな音を立て、屋根を突き破った。

 一番初めにカルが突き上げた〈あやかし〉が、やっと落ちてきた。そのまま家屋の裏側へと消えていった。

 土の上に湿った音が鈍く響く。

「やばいぞ、小僧。ちと派手すぎたかもしれん」

「ここから離れよう」

 うむ――と頷くとカルはタイセイの方へ駆けてくる。

 駆けながら、カルは周りの風景に溶けた――というより身体が半透明になったのだ。瓦を鳴らす足音も消える。

 右肩の上へすうっと乗った。前足をかける姿は、傍目には掴まっているようだが、実際重みは感じない。

 この方が移動時には効率が良い。

 タイセイは通りの方へと飛び降りた。二階建ての屋根からの着地を難なくこなす。地面の感触が靴底に伝わる。

 止まることなく走りだす。

 二、三時間前に死に掛けていたとは思えないほどの動きであった。谷間で戦った時のケガはもちろん、クフノセに与えられたダメージはもうほとんどなかった。

 その反面、自分が人間離れしてきている事実を突きつけられているようでもあった。

 路地裏へ走りこむ。人ひとりが通れるくらいの幅だ。日に当たることのない湿った空気を頬に感じながら走る。

 路地は行き止まった。畳まれた段ボールが幾つも積み重ねられている。

 右側の家屋が薬屋なのに気が付いた。商品を仕入れた後の段ボール置き場なのだ。

 この向こうに大通りがある。そこを渡ることができれば公会堂は近い。

 箱と箱の隙間から様子を窺う。

 静かだったはずの村が騒がしくなっていた。

 遠くで獣のような咆哮と争うような喧騒、破壊で起こる轟音――まるでさっきのタイセイたちの戦いに呼応するように広がっていた。

「もしかしてだけど――あいつら統制がいまいち取れてないんじゃない?」

「私もそれは感じとった。私が何匹倒そうと、それに気付いた様子さえない。仲間意識がないというか――同じグループの中でさえ共闘しているようには見えんかった」

「押さえ込まれていた気持ちが、戦いの気配に爆発したのかも――」

 明らかに戦っているような空気が辺りを支配している。しかも連鎖の速度が早い。

 隠すことのない、本能のままの音があふれ出している。

「今がチャンスかも――」

 タイセイは段ボールを乗り越えた。

 大通りである。石畳が敷き詰められ、正門から裏門へ続いている。街道と街道をつなぐ役目もしており、馬車や荷車が通りやすいようになっている。

 ここを渡った向こうのブロックに、広場も公会堂もあるのだ。

 〈あやかし〉たちの気が散り、野生と化している今が渡る絶好のチャンスであった。

 タイセイが大通りへ飛び出そうとした――その時であった。

 喧騒の一部に混じり、ひとの声が耳を掠めた。

 それは確かに悲鳴であった。

「小僧、このまま行くんじゃ」

「今の声はどっち?」

「おい――」

「今のあいつらは凶暴になっている。ヘタすると殺される」

「この好機をみすみす棒に振る気か!」

「カル、どっち?」

 カルと呼ぶな――と、毒づきながらも下りると、カルは走り出した。

 半透明のままのカルについていく。

 五本先の曲がり角が異様な気配を漂わせていた。明かり落ちた村で、光が溢れていた。大通りまで伸びた影がゆらゆらと踊っている。

 タイセイはそこで曲がった。

 悲鳴の主を見つけた。そして悲鳴の元凶も――。

 背の丈三メートルはある二本足で立つ〈水牛〉であった。頭の両脇で二本の角が太くねじくれ、天をむいていた。身体全てが硬質そうな筋肉に覆われている。

 その足元に小さな男の子と女の子が抱き合うように縮こまっている。

 路地のあちこちで炎が揺らめいていた。軒先も燃え、今にも落ちそうだ。

 脂の焼ける臭いにむせそうになるが、それが何かを確認している暇はなかった。

 〈水牛〉がこちらを見止めた。

 タイセイは〈水牛〉に走り出していた――が、間合いに入る直前で右側に引っ張られた。

 カルであった。

 タイセイはそのまま倒れこんだ。

 その上を火の粉を撒き散らしながら、業火が通り過ぎた。

 見た目に反して〈水牛〉が口から放ったものだ。

「敵を見極めろ」

 カルが言いながら通り過ぎた。

 一蹴りで間合いへ入り込んで、力強い右の突きが〈水牛〉の胸へ――しかし弾かれたのはカルの方であった。

 〈水牛〉が大きく息を吸い込んだ。その顔先には宙でバランスを崩したカルがいる。

 炎がくる――その瞬間にタイセイが割り込んだ。

「君もね!」

 と、タイセイは下側から顎めがけて蹴り上げた。

 〈水牛〉の口が閉じられ、行き場の無くなった炎が溢れかえった。

 その爆風に、タイセイとカルは吹き飛ばされた。

 しかしすぐに起き上がると、再び〈水牛〉の間合いの中へ――。

 遠慮のないタイセイの蹴りとカルのストレートがその肉厚の腹にめりこんだ。

 〈水牛〉は大きく後方へ飛ばされ、壁を壊して倒れこんだ。

 かなり大きな音を立てたが、どこかで雄たけびが聞こえただけであった。

 瓦礫と化した壁は崩壊の余韻を繋げ、巻き起こった塵ぼこりが炎の明かりを映した。その向こうの〈水牛〉は、起き上がる気配がなかった。

 大きく息を吐いて、タイセイは腰を下ろした。

 カルもその横に倣う。

 揺れる路地の炎に目を移す。

「カル、あれ――」

「仲間割れじゃ」

 燃えているのは〈あやかし〉であった。

 五匹一グループで動いているはずなのに、〈水牛〉が一匹であった理由がそこにあった。

 炎は確かに四つ――道端に転がっている。脂の焼ける臭いはそこから出ているのだ。

「仲間――なんて意識もないんだろうな」

 行くぞ、小僧――と、カルがまず腰を上げた。

 タイセイは立ち上がると大通りではなく、抱き合うように震える二人へ近付いた。

 よく見るとそれほど幼くはなかった。〈水牛〉との対比でそう見えたのかもしれない。

 女の子はタイヨウと同じくらいの年齢――男の子は彼女の兄のようだ。話したことはないが、道で何度かすれ違ったことはある。

 柳眉と薄いまぶたの雅顔で、利発そうな少年であった。

「大丈夫?」

 返事はなかった。

 脅えた目がカルとタイセイに向けられているだけであった。

「話しにならん。先を急ぐぞ」

「放っておけないでしょ」

「村の者を解放すれば問題ないじゃろ」

 危険なのは今――その後のタイセイの声は獣の咆哮にかき消された。

 姿勢低く、タイセイとカルは後方へ向き直った。

 〈水牛〉が吼えながら立ち上がっていた。

 女の子の悲鳴が咆哮に重なる。

「なんて頑丈な奴じゃ!」

 再び襲い来る――と思いきや、〈水牛〉は大通りへと走り出した。

「いかん――あやつを止めんと私らの存在がばれるぞ」

「逃げたのを追ってまで倒すのは気が引けるけどね」

 タイセイは走り出した。

「そんなことを言っている場合か」

 カルがまた半透明になり右肩に掴まる。

 大通りの手前でタイセイは足を止めた。

 嫌な空気を感じた――。

 〈水牛〉はもう大通り半ばを過ぎている。

 小僧、何を――今度かき消されたのはカルの声であった。

 雷鳴であった。

 轟――と音を立てて石畳へ数条の光が天から降った。稲光は立ち消えることなく、絡み合いながら正門方向から走ってくる。

 タイセイは大きく跳んで元の小道へと戻った。

 〈水牛〉が蛇に巻かれるように雷光に呑まれた。

 やばい――タイセイは直感した。

 脅えて縮こまった兄妹を両脇に抱えると、〈水牛〉が壊した壁から家の中へと飛び込んだ。

 その足先を電光が掠めた。

 〈水牛〉が浴びた雷が飽和状態になり、周囲へ放電したらしい。

 目をやられないように硬くつぶった。

 音は南へと遠ざかっていく。時折強い光が瞼の向こうを白くした。

 恐らくあの稲光は柱のように放電しながら通りを進んで行ったに違いない。大通りへ飛び出した他の〈あやかし〉を呑み込みながら――。

 収まったようだが、目と耳に強く余韻が残っていた。

「何なのじゃ、あれは――」

「――クフノセだ。それしか考えられない」

 崩れた瓦礫から立ち上がった。

 それを待っていたかのように男の子がすり抜けた。妹の手を引き、反対側の壁へと走っていった。

 その眼には明らかに敵意が見えた。

「かわいくないな」

 というカルに応えず、タイセイは入ってきた壁へ近付いた。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように引いていた。

「乱れていた統制が戻ったようじゃ。隙を突いて――というわけにはいかなくなったな」

「大丈夫。無駄な戦いを避ければいいだけ。やることは変わらないさ」

「別な言い方をすれば、遭遇した戦いは全てするってことじゃな」

 隠し門から中へ入った時より、村には緊張感が増していた。圧倒的な力に屈服した獣たちの集中力は先程の比ではない。言うほど楽ではないことはタイセイも分かっていた。

「さっきの雷がクフノセの仕業だとしたら、その力は量り知れん。――やはり手を出さん方が利口じゃろう」

 右肩でカルが、通りに倒れる〈水牛〉の成れの果てを指した。

 炎に巻かれているというより、炎そのもののように燃えていた。

 タフな〈あやかし〉だった。戦ったタイセイだからよく分かる。

 それが一撃で沈んだのだ。カルの言う通り、クフノセの力は他を凌駕している。

 だがこの雷自体はクフノセの仕業だが、本人のプレッシャーは全く感じられない。それが意味することは――。

「ここにクフノセはいない」

「あんな強い技じゃぞ」

「あれはクフノセが仕掛けていった一種のトラップだと思う」

「ははあ――大通りに出ることにより発動するようなものか」

 タイセイは頷いた。

「確かにクフノセは強い――でも彼が〈あやかし〉という生き物である以上、さっきのような力を瞬時に発動できるはずがない――と思うよ」

「頼りにならん理論じゃな。なんにせよ、目的を達したかったら関わらん方が良いぞ」

 わかってるよ――とタイセイは答えた。

 答えはしたが、カルの言っていることには矛盾があった。クフノセは、みんなを救うためには必ずぶつかる相手なのだ。

「おぬし――」

 カルが何か言いかけた時、後ろから震える声が上がった。

 振り向くと壁際まで寄っていた兄の声であった。

 相変わらず妹は顔を向けることなく兄にしがみついていたが、兄が声を掛けてきたのだ。

「ありがとう。助かりました」

「ケガはない?」

 兄が頷いた。

「何度か村で――」

「会ったことがあるね」

「――〈背世者〉だったんですか?」

 兄の目がちらりとカルを見た。

「というか――なったんだ、ついさっき」

 タイセイへと戻ってきた少年の視線は、カルを見るそれと同質のものになっていた。

 〈背世者〉か――。

 人並みはずれた力を持つ者――〈背世者〉は恐怖の対象としては〈あやかし〉たちと同じ存在ということだ。

「とにかく息を潜めて隠れてるんだ。明日までの我慢だから」

「なぜ明日までなんです?」

 震える声が訊いた。

「明日には村のみんなをどこかへ連れて行くと言っていた。その前に君たちのお父さんとお母さんも助ける――だから待ってて」

 タイセイは踵を返した。

 急いで助けに行く――そんな風に見せたつもりであった。

 だが本心は、早くこの目から離れたい――であった。

 タイセイ自身は少年と町で会った時と何も変わらないと思っている。ただ自分の中にカルという〈あやかし〉が宿り、一緒に行動するようになっただけだ。

 だが、周囲の人間は自分をどう見るのか。

 この兄妹の態度がそれを代弁しているのではないか――そう不安になったのだ。

 皆を助けた後、自分は今まで通り村で暮らせるのか。この視線と共に生きていけるのだろうか――。

「迷っておるのか、小僧」

 カルが小さく訊いた。

「迷いが少しでもあるなら止めることじゃ。勝てる可能性をも摘み取ってしまうぞ」

「否――無いよ。行こう」

 タイセイは嘘をついた。

 カルに――というより自分に。そう思うことで断ち切ろうとした。

 村は不気味に静まり返っていた。

「助けに――って戦いに行くってことですよね」

 少年が訊いてきた。

 そうじゃが――答えたのはカルであった。

 臆せず少年は続けた。

「この隣が僕たちの家なんです。食べ物もありますし、ケガの治療も出来ます。少し休んでいってはいかがですか?」

「せっかくだけど――」

「受けさせてもらおうかの」

「カル?」

 カルは右肩から実体化して床へと降り立った。板切れなどが散乱する床でもほとんど音が立たない。

 その姿に少年は顔を引きつらせたが、何も言わなかった。動揺を隠さずに、壁際を遠回りに外へと出た。

 カルは背中でタイセイの脚を押した。

 何を考えているのか分からなかったが、タイセイは少年の後に続いた。

 前を行く少年が妹に何かを小声で話している。

 火はほとんど消えていたが、脂が焦げた臭いはまだ残っていた。

 いつもは澄むような夜気が、すすけた臭いに打ち消されている。

 少年がドアを開けると、飛び込むように少女は中へ入っていった。

「こちらです」

 誘われ、タイセイも家へ入った。

 部屋は生活臭が残っているにもかかわらず、主不在の空気に支配されていた。

 夜光のみで蒼白く染まる室内に少女の姿はなかった。

 気配は二階へ移動していた。

「すみません、妹が恐がるもので――」

「構わんさ」

 答えたのはやはりカルであった。

「食事は――」

「好きにさせてもらう」

「君は妹さんの所へ」

 少年は頷いた。ためらいもなく背を向けた。

「何かあったら呼んで」

 タイセイはその背に声を掛けた。

 少年は階段の途中で振り向き、軽く頭を下げると上階へと消えていった。

 しん――と降るような静けさがタイセイを包んだ。

「カル、どういうつもり?」

「体力を戻すんじゃ」

 またカルがタイセイを押した。台所の方にである。

「おぬし、河原で目覚めてから何も食べておらん。あの時点でかなり体力を消耗していたから――今、立っているのが精一杯じゃろう」

 階段横を通り過ぎ、奥の部屋へ――暖簾だけで仕切られている。

 くぐると、手狭だが台所があった。

「だったら自分の家で――」

「近いのか?」

 反対ブロック――とタイセイは言いよどんだ。

 タイセイの家はここから大通りを渡った反対側――畑寄りにタイセイたちの家はあった。そっちへ行けるくらいなら先へ進んだ方がよい。

「空き家を勝手に漁るわけじゃない。住んでいる者の了承を得ている。思いっきり食っておけ」

「思いっきり?」

「おぬしは〈あやかし〉を宿したことで、人より多くの体力を消耗することになったのじゃ。多く食べ、多く眠る――そうでなくては力が出んぞ」

 テーブルの上には干し肉の塊が無造作に置いてある。〈あやかし〉との戦いがあることを想定して、すぐ食べられる物――もしくはすぐ持ち出せる物を兄妹の両親は用意していたに違いない。

 タイセイはナイフを持って干し肉を大きく切り取った。干し肉独特の匂いが食欲に直結した。

 手に持った肉を三口で頬張る。

 すると食欲が目を覚ましたようだ。急にお腹がすいてきた。

 咀嚼している間に次を切り取る。飲み込むより早くそれを口に放り込んだ。

 目はテーブル横の樽に行っていた。手近なカップを手にすると、コックを捻って中の液体を注ぎこむ。甘酸っぱい香りは食欲をさらに増進させた。光の弱いここでは濃い影の飲み物にしか見えないが、香りからワインと分かった。

 喉を鳴らしながら二杯続けざまに飲み、再び干し肉を食べる。

 大人の頭ぐらいあった干し肉を片付けると、今度は袋詰めにされたパンに手を出した。

「食べながらでいい。聞くのじゃ」

 タイセイは足元に腰を下ろしているカルを見た。

 夜目に映る台所の景色をそこだけカルの形に切り取ったようであった。

「気付いておるか――おぬしの身体の異変」

 〈あやかし〉がいる――と、口に頬張ったパンの隙間から言った。

「そうじゃが、おぬしの中にいるのは私だけではない。他に四匹――〈あやかし〉が宿っておる」

 タイセイは口を動かすのを止めた。

 四匹――カルを入れて五匹――クフノセに埋められた玉の数である。

「何があったかを説明するのじゃ」

 タイセイは、谷間での戦いから村の前での出来事をカルに説明した。

「おぬしの記憶の断片からおおよそは分かっておったが、クフノセはやはりただの〈あやかし〉ではないな」

「そんなの初めから知ってるよ」

 カルが黙った。Vの字が苦悩に揺れた。

「私は玉に閉じ込められておったのか――。おぬしの言葉通りなら、私はもう既に一度死んだ身――ということか」

 クフノセは呪印と同じ効果を持つ玉に、一度死んだ〈あやかし〉を閉じ込める――と言っていた。

 封じられた時、カルに肉体はあったのか、魂だけだったのか――それは想像の域にも達しない。

 ただ、カルが生きていた時代も確かにあったはずなのだ。親兄弟友達もいたはずである。

 さっき河原での〈あやかし〉たちの態度から判断すると、〈リオン〉という種族はこの国にはいないのかもしれない。

 カルは、遠い異国の地で生を全うした者なのだ。

 他の四匹も含め、共通しているのはタイセイの身体に宿ったことで第二の生を得た――ということだ。

 タイセイはその生を大事にしたい――と考え始めていた。

 そのためにはタイセイが生きなければならない。生きていかなければならないのだ。

 さっきまではクフノセを倒し、村の人を救い出せれば自分はどうなってもいい――そう思っていた。生を大事にする――ということは、生き残る――ということでもある。

 拒絶ではなく、受け入れることで見えてくるものを、タイセイは信じることにした。

「カル――君はボクの中で生きればいい。他の〈あやかし〉も皆、ボクが面倒見るよ」

 カルの影が見上げた。目が僅かな光に反射して輝いている。その向こうの知性が驚いて見える。

「――そんな簡単なことではないぞ。身体に宿した〈あやかし〉はおぬしの生体エネルギーを喰らって生きておる。少しでも隙を見せれば乗っ取られかねん。そういうもんじゃぞ、〈あやかし〉とは――」

「大丈夫」

「一匹でも大変なものを五匹もいるのじゃぞ」

「大丈夫」

「平気だという根拠はあるまい。心してかかれといっておる。私だってお前の身体を狙っておるのじゃぞ」

「大丈夫――一緒に生きていけるよ」

「小僧――」

「ということで、今はエネルギーを補給させてもらおう」

 タイセイは再びパンを口に頬張った。硬いパンが音を立てて咀嚼され、あっという間に喉を過ぎていった。

「考えてるんだか、考えてないんだか――」

 に――と、タイセイは呆れるカルに笑いかけた。

 袋のパンを食べつくすと、タイセイは目に付く食べ物を片っ端から食べていった。

 生卵をあるだけ、バナナ二房、とうきび五本、チーズ一塊――。

 その後の記憶は起きた時にはなかった。

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