二章

 そこから痛みに目を覚まし、痛みに気を失い――を繰り返していた。

 死――生あるものとして避けられない道に、タイセイは向かっていると思っていた。

 意識が泥に沈むように静かに落ちていく。この間は痛みもない――だからこそ逆に身の果てるような予感に押し潰されるのだ。

 タイセイは考えた。村の人々のことを――父タイガを、弟タイヨウを、同僚のヤイチとトールを、三人のリーダーを、村長と二人の長老を――。

「大事な人が最後で良いのか?」

 声は唐突に響いた。しかも直接頭に話しかけてくる。光の差し込まぬ暗闇の中で姿の見えぬ者同士が話しているようなものだ。

 タイセイはとうとう気がふれたか――と思いつつ、その声に答えた。

「エイミは確かに大事な人だけど――でもみんなも大事だから」

「愚かな――一人なら助けられるんじゃないか? 皆を助けようとするから全てを失う」

「まだ失ったと決まったわけじゃない。助けてみせる、村のみんなも、エイミも」

 生きてたらね――と自嘲気味に付け加えた。

「力もねえくせに」

「力だけでなんとかなるわけでもないでしょ」

「お前は二回負けてるんだぜ。二回目は完膚なきまでに力の差を見せられたのだぞ」

「ボクは負けたとは思ってませんよ。勝てなかっただけ」

「同じじゃねえか」

「違うよ。負けたと思ってしまったら次はない。でも、負けたと思っていない限り、また挑戦できる――」

「またあいつと戦う気か――?」

「いけませんか?」

 間が空いた。返事がなかった。

 タイセイは続けた。

「クフノセを倒すことが、皆を助けることに繋がる気がするんです」

「そうかもしれん。――そうかもしれんが、あいつには手を出すな」

「何故です?」

「勝っても死んだら負けだ。それもお前の信念に付け加えとけ――」

 暗闇がうっすらと霧を帯びたように白くなり、そこに映像が映し出されてきた。

「父上や知っている者がみな己の死を悲しむんだ――そんなの見たくあるまい」

 浅黒い顔の人間がたくさんいる。彫が深く、言葉も聞いたことのない単語が並んでいる。

 風景や建物の感じもタイセイの国とは違う。

 別のどこかなのだろう。

 決して楽な暮らしはしていないようだ。貧しい暮らしぶりが藁作りの建物と開け放った入り口から覗ける。

 集落の者が集まっている。誰かの死を悲しんでいるようだ。

 中心の方で泣き崩れている若い女の人、それを慰めている年配の男の人――。女の人の手には腕輪のような銀細工が見える。それをしっかりと抱きしめ、泣いている。男の人も悲しいのだ。だが、それを押し殺し、女の人に何かを言っている。

 エイミみたいだ――タイセイは胸が痛くなった。彼女の姿がエイミに重なる。

 言語は分からないが、女の人は名前を呼び続けているようだ。

「カル?」

 自分の死を悲しんでいる者を見る事ほどつらいものはない――。

 声が響き、視界が変わった。

 草むらを走り抜ける。視線は低い。草の先が頭ひとつ上の方にある。速度もある。人間の出せるスピードではない。

 まるで四足歩行だ――。

 タイセイがそう感じた時に、草むらが終わった。湖が広がっていた。太陽光が水面を作り物のように光らせている。

 足運びが緩み、水辺へ近付く。

 そこには鋭角的なたてがみを持つ四足獣が映った。

 ――と、タイセイは同じ姿の獣を目にしていた。

 自分の右腕の先にちょこん――と腰を下ろしている。

 太い四脚が力強さを感じさせる。額の辺りから背中を渡り尻尾までたてがみが伸びる。一房一房がバナナほどの太さがあり、それでいてその先は鋭角に細まり、短刀が集まっているようであった。

 目だけが動いてタイセイを見止めた。

「よう――お目覚めか?」

 低いがよく通る声であった。さっき頭の中で響いていたものに似ているような、全く違うような――判断がつかなかった。

「挨拶されたら返すもんじゃ」

「――こんにちは」

 タイセイは掠れた声で何とか答えた。

「夜じゃがな――。まあ、良しとしておくか」

 言われて初めて、辺りが暗いことに気が付いた。しん――と夜が佇んでいる。

 もう一つ気付いたことがあった。

 頭のすぐ先が川であった。さらさらと流れる音と、澄んだ香りがその存在を教えていた。

 ぎしぎしと身体を鳴らしながら頭を上げる。

 月も隠れ、シルエットのみの世界がそこにあった。遠く街道が続く谷間もその横の森も夜から切り取られたような影であった。

 川に架かっていたはずの橋がない。先ほどの進軍で壊されたのかもしれない。

 皆の様子が気にかかった。

 いつの間に森を抜けてきたのだろう。覚えていないが、村へ戻らなければならない。

 ちら――と、正面の〈あやかし〉を見る。

 見張りかどうかは分からないが、この〈あやかし〉を倒さないことには先へ進めない。

 タイガから預かった短刀はない。

 その〈あやかし〉を素手で倒せる気はしなかった。その背中には隙がない。クフノセほどではないが強い――というより、別の力を感じた。クフノセとは比べる基準が違うのだ。計り知れない〈あやかし〉であった。

「動くな――」

 小さいが、威圧的にその〈あやかし〉が言った。

 見抜かれたわけではないようだ。

 気配がいくつか森を抜けてきた。

 人間ではない。呼吸音や身のこなしで発する音が、タイセイにそれを知らせていた。

「だれだ?」

 訊いたのは、その気配の方であった。

 仲間ではないのか――タイセイは様子をみることにした。

「何の用じゃ」

「質問してるのはオレタチだぜ」

 ひどい擦過音でかろうじて聞き取れるくらいの声だ。

「ま、いいだろう。オレタチは村人を残らず集めるよう言われてるんだ」

「だからそいつも、生きてるなら連れて行こうと思ってな」

 右手の先に座っている〈あやかし〉は答えない。背中がつまらなそうに見える。

 返事をするほどでもない――と。

「答えたのだから、お前も名乗ってくれ」

 焦れて背後の〈あやかし〉が言った。

 姿勢を変えず、背中を向けたまま答えた。

「私は〈リオン〉じゃ」

「〈リオン〉――属名か?」

「聞いたことないな」

 まだ身体の自由が利かない。耳と気配のみで後ろを探る。

 会話をしているのは二匹だが、気配はもっとある。土を踏む音が左側へ移動する。それにじわじわと身をくねらせるような音が続く。

 四――否、五匹いる。

 もう一匹の所在がつかめなかった。

「ま――いいさ。その小僧は生きているのか」

 うむ――と、その〈あやかし〉――〈リオン〉は頷いた。

「では、連れて――」

「それはならん」

 後ろの方で〈あやかし〉たちが返答の意味を解せず、戸惑いの気配を滲ませた。

「ダメだ――とはどういうことだ」

「オレタチに逆らうってことか?」

 ふん――〈リオン〉が鼻を鳴らした。

「何が可笑しい」

「こいつは私の獲物――ただそれだけじゃ」

「なるほどね――」

 と、くすくす笑いながら擦過音が近づいた。

「お前も手柄がほしいんだな。一人でも多く連れて行けば、それだけモンズさまに褒められるからな」

「モンズ――? 誰じゃ、それは」

「モンズさまを知らない――ではお前は誰の配下なんだ」

 じわじわと浸透するような戸惑いが背後に広がっている。それによって掴めずにいたもう一匹の所在が分かった。

 空だ。

「私は私じゃ――誰にも属しておらん」

「それはオレタチと敵対してる――と思っていいのか」

 空気がぴりぴりと音を立てそうに張り詰めてくる。

「雑魚相手にいちいち『敵対』など使うものか。――自惚れるな」

 満ちていた殺気が弾けた。

 〈リオン〉が寝そべっているタイセイの背を乗り越えていった。

 ご――と、肉がひしゃげる音が連続した。

 這いずる気配と力強い気配の二つが消えた。

 タイセイは気力を振り絞り、起き上がった。

 振り向くと、〈リオン〉の背中が見える。蛇のような〈あやかし〉の首を右手に掴み、クワガタムシのような〈あやかし〉を左手で押さえている。

 〈リオン〉のたてがみの向こう――夜空を下降してくる影が見えた。両手を塞がれた〈リオン〉を目指している。

 起き上がったはいいが、タイセイに立ち上がられるほどの体力はなかった。

 これなら――と、左手で石を掴んだ。なぜ利き腕でない方だったのか――その時は考えている暇はなかった。倒れこむ勢いを使って、下降してくるコウモリに似た〈あやかし〉に石を投げつけた。

 石は〈リオン〉たちを飛び越え、〈コウモリ〉に直撃した。力は込められなかったが、カウンターである。バランスを崩して地に落ちた。

 それを横目にタイセイはまた前のめりに倒れこんでいた。

 〈リオン〉が〈ヘビ〉の首を握りつぶすと、長い身体が崩れ落ちた。空いた右手が間髪を入れず、左の〈クワガタ〉を殴りつける。小気味良いほどの快音を響かせ、〈クワガタ〉が転がった。それを確認することなく〈リオン〉は〈コウモリ〉に走っていた。

 〈コウモリ〉がそれに気付いた。翼を広げるが、時遅く、〈リオン〉の射程圏内であった。

 タイセイの右手がぐい――と引っ張られた。

 〈リオン〉の振りかぶった右手が〈コウモリ〉に吸い込まれた。

 その力の方向へ〈コウモリ〉は弾き飛ばされていった。

 五匹の〈あやかし〉は地に堕ちた。それもあっという間に――。

 〈リオン〉の強さの表れである。

 それよりも、タイセイはある事実に衝撃を受け、呆然としていた。

 夜を切り取ったように〈リオン〉が立っている。良く見ると全身を薄っすらと緑の光が包んでいる。そこから光る紐のようなものが自分の右手に伸びていた。

 ボクの身体から出ているのか――?

 〈リオン〉がこちらを見た。

 鼻先からV字に伸びる額飾りが僅かな夜光を受けて輝いた。

「この距離が限界じゃな」

「君は――ボクの〈あやかし〉――?」

「私は私じゃ。誰のものでもない――そう言ったはずじゃ」

 〈リオン〉は四足で、ゆっくりと戻ってきた。

「今はおぬしの身体を借りているが、おぬしがくたばったら乗っ取ってやろうと狙っておる」

「ボクの身体を――? だから他の〈あやかし〉から守ってくれたってこと?」

「守った覚えはない。今のは仕掛けられた結果論じゃ」

 タイセイはよろよろと身体を起こした。

「じゃあ、他の〈あやかし〉たちはどうして?」

 今倒された五匹の〈あやかし〉の他にも、倒れている影が見える。

 〈リオン〉の仕業としか考えられない。

 同じようなもんじゃ――と、言いながら〈リオン〉は右手側へ腰を下ろした。

「ここまで運んでくれたのも君でしょ」

「あそこは村が近い。戦うなら少し離れた方が良い。相手の戦力が分散するからな。ここにいたのは少し休んでいただけじゃ。川を渡るだけの体力が戻るのを待っておる」

「川を渡る必要はないよ」

「橋はないのじゃ。それしか方法はあるまい」

「体力が回復したら村へ戻るから」

 〈リオン〉が顔だけで振り向いた。信じられない――という表情をしていた。

「村に行かなければ、みんなを助けられないでしょ」

「その身体で何ができる――?」

「徐々に回復してきてる。明日の夕刻までにはなんとかなりそうだよ」

「明日の夕刻――?」

「クフノセが言ってた。村のみんなを北へ送る――と。その刻限だよ」

 あいつか――と、〈リオン〉はまた明後日の方を向いた。

「あいつには勝てんよ。次元を超越している。私でも勝てるかどうか――狙われたことを不運と思って諦めるんじゃな」

「そんなこと認めない」

「そんなこと――って死んだら元も子もないじゃろ」

 〈リオン〉が声を荒げた。

 その余韻が消えると、静けさが降るように二人を包んだ。

 に――と、タイセイは笑って見せた。

 振り向いた〈リオン〉が怪訝な表情を浮かべた。

「死んだほうが都合良いんじゃないの?」

「五体満足じゃないと困るのじゃ」

 と〈リオン〉はぷい――と正面へ向きなおした。

 また静けさが戻ってくる。

 タイセイは身体の状態を確認した。

 火傷が全身を覆っている。クフノセの電撃によるものだが、全身といっても表面の皮膚にその痕跡が残っている程度だ。

 半日で治るものなのか――。

 これが〈あやかし〉を身に宿した者の特性なのか、驚異的な回復力であった。

 バラバラになりそうだった痛みも今はない。

「残るは体力の回復だ」

 どうして――と、〈リオン〉が独り言のように切り出した。

「どうして村人みんなを助けなければならんのじゃ? 今は勝てなくとも一年後、二年後なら勝てるかも知れんのだぞ」

「今は勝てない――は理由にはならない。次にがんばる――で逃げられる状況でもないんだ」

「遊びじゃないんだ。負けたら『次』なんてないんじゃぞ」

「それを言うんなら、捕まった人たちには『明日』さえ見えないんだよ」

 〈リオン〉がこちらをむいた。Vの字の下で目が大きく見開かれている。

「助けるなら今しかないんだ」

「では、百歩譲って大事な人だけならどうじゃ。数人を助け出して離脱――なら可能じゃぞ」

 タイセイは首を横に振った。

「何故じゃ?」

「ボクの大切な人たちの中に、自分たちだけ助かれば良い――なんて思うひとは一人もいない」

 〈リオン〉が困った表情を見せている。本心が意外と表情に出やすい。

「大丈夫。君が力を貸してくれれば出来るよ」

「何で私が――」

「クフノセを倒せば済む。あの電撃はボクが受ける。その間にクフノセを倒して」

 タイセイは立ち上がった。

 先ほどのぐらつきもない。自分の足で歩いていけそうだ。

 ――と、右腕が動かなかった。

 その先に〈リオン〉がいた。

「何度言ったらわかる。死んだら負けなんじゃぞ」

「負け――と認めなければ負けじゃない――? 前にもこんな会話をした気が――」

「しておらんよ」

 記憶の奥から、薄れていた一つの言葉が浮かび上がってきた。

 カル――。

「話を逸らすな。命と引き換えに事をなすなんてのはバカな考えだ。やめるんじゃ」

「クフノセの電撃なら身体にそんなダメージはないし、この回復力なら乗っ取った後でも問題ないでしょ」

「そんなことを言っているんじゃない」

 〈リオン〉は背中を向けて座ったまま微動だにしない。

 右腕から繋がる光が〈リオン〉とタイセイを繋いでいるから動けないのだ。

「あれもだめ、これもだめ――君は何がしたいのさ」

「今は引け――と言っておる。何事も時機というものがあるんじゃ」

「それが今でしょ」

「生命を賭さねばならない――そんな戦いに私は手を貸さんぞ」

 束となった鋼のたてがみは頑なに動こうとしなかった。

 無茶をしなければ手は貸してくれるってことか――タイセイは賭けに出た。

「君はボクの身体が欲しいって言ってたね。あげるよ」

 リオンがちらり――とこちらを向いた。

 タイセイはゆっくりと〈リオン〉を見ながら、移動した。川を背に立つ。

「一つだけ約束して――。身体はあげるから、村のみんなを助けて――」

 そう言って、タイセイは川へと仰向けに倒れこんだ。

 夜の川は冷たかった。

 全ての音が閉ざされた。まだ残る呼吸から溢れる気泡が流れに攫われていく。

 右腕が引っ張られた。強引に起こされる。担がれた――と感じると同時に、河原へと放り出された。

 身体へ入っていた水と、今の衝撃にむせる。

「何をバカな事をしとるのじゃ!」

 全身びしょ濡れの〈リオン〉が怒鳴った。

 呼吸が整わなかったが、タイセイは身体を起こした。

「助けてくれる――と思ってたんだ」

「助け――って――」

「大丈夫。真正面からはぶつからない。それならいくらでも手はあるよ」

 〈リオン〉が深くため息をついた。覚悟を決めてくれたらしい。

「ボクたちなら勝てる――。よろしく、カル」

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