一章

 村に〈あやかし〉の一団が向かっている――そんな情報が入ったのは二日前のことだ。

 迎え撃つ準備をするには充分すぎるほどの時間であった。

 進攻の方角も分かっている。

 そのおかげで、自分たちに有利な場所を陣取ることができた。

 村から南西に、両側が切り立った崖で挟まれた街道があった。そこでタイセイたちは〈あやかし〉たちを迎え撃つことにした。

 村から距離もあるため、戦闘の影響が及ばない。遠慮なく戦えるのだ。

 崖の上から弓矢部隊が、重装備部隊が道の両脇を固め、タイセイたち高機動部隊はすぐ飛び出せる真正面に身を潜めた。

 僅かな木々や、転がる岩に隠れながら、〈あやかし〉を待った。

 陽の光は崖に遮られ、岩肌ばかりの硬質な印象の中、タイセイは木の陰に隠れていた。

 春だというのに、その木は葉さえつけていない。

 しかし死んではいない。乾いた青臭さではあるが、ほのかに木の香が鼻をくすぐった。

 僅かな糧のみでか細くながらも力強く生きている――タイセイたちと同じであった。

 耳を澄ませば崖向こうの森の声も聞こえそうだ。

 妙に落ち着いている。緊張感を抱いていないせいではない。逆である。集中力が研ぎ澄まされているのだ。

 だからこそ、その存在にも早くに気が付いた。

 一つの影が街道の向こうから歩いてくる。

 ――それは人の姿をしていた。

 すぐ近くの岩に身を潜めるヤイチも気付いたようだ。ぼそりと声をかけてきた。

「旅人か――?」

「情報通りなら、この道の向こうは〈あやかし〉の一団で埋め尽くされてるはず――ただの旅人がそこを抜けられるとは考えられないよ」

「だけど見た目が人だと攻撃できないぜ」

 答えたのはヤイチの向こうのトールであった。

 ヤイチとトールは同じ高機動部隊の一員である。歳が近いこともあり、仲が良かった。落ち着きのあるヤイチと、引き気味のトールは、暴走気味のタイセイを抑え、バランスの良いトリオになっていた。

 タイセイは周りを見回した。トールの言葉どおりの戸惑いが皆に見て取れた。

 それも道理である。攻撃して間違いでした――なんて言えるものではない。

 指揮を執っているのはランタク寺の住職ホウアンである。街道の入り口側からは緩い勾配で見えない位置だが、タイセイからは剃り上げた頭と表情が窺える。その穏やかな顔には同様の感情が浮かんでいた。

 タイセイはジェスチャーをホウアンに送った。

 ホウアンはしばし思案すると、困ったような顔で頷いた。

「なんだ?」

「確かめに行って来るよ」

 と、タイセイは木から道へと歩みを出した。

 ヤイチとトールに緊張が走る。

 伝染するように控えた自警団が身構えた。空気が張り詰め、露出した肌が日焼け後のようにぴりぴりした。

 どんなに訓練を積もうが、ほとんどの者が初の実戦であった。緊張感を保つので精一杯なのだ。

 タイセイは旅人を正面に捉えた。これから街道を下って隣町へ行く――そういう雰囲気を装う。そのつもりだったが、木から突然現れたのだ。これほど不自然なことはない。

 それなのに旅人に変化はなかった。気付かないはずはないのに、平然と歩いてくる。

 旅人じゃない――。

 タイセイは、自分も浮き足立っていたことにやっと気が付いた。

 たとえ隣町へ行くにしても一日はかかるのだ。軽装はありえない。

 歩いてくるその人は、何も持っていなかった。

 旅人でなければ、あとは〈あやかし〉の可能性しかないが、明らかに人であった。

 顔が目視できる位置まで近付いた。

 最初に抱いた印象は――真っ白――であった。

 性別よりも先に目に入ってきたのが『白』であった。

 カールした長髪も、ふわりとした柔らかい服も白かった。肌も白いが、透き通る――という表現が一番しっくりくる。

 引き締まった顎や鼻筋の通った顔は男性のそれだが、村一番の美人と言われるヨウリさえ敵わない白さであった。

 細めた目には笑みが常に湛えられていた。

 タイセイはその笑みに嘘を感じた。

 嘘というなら、男性という性別にも、その『白』自体にも真実味がなかった。

 彼の中で唯一感じる色は三筋の黒であった。銀髪に黒いラインが三筋、おでこから上へと走っていた。存在感と威圧感を同時に発している。

 近付くにつれ、腰の剣に手をかけたい衝動が高まる。

 タイセイはそれを何とか抑えていた。力強く握った手の中は汗に満ちている。

 普通の人間ではない――それは確かであった。

 〈あやかし〉――特殊な能力を備えた生物。人語を理解し、人と辛苦を共にする者もいれば、人の生活や生命を脅かす者もいる。獣のような姿もいれば、鋼の肌をした者もいる。

 〈あやかし〉とは、人間と同様に世界を構成する生物なのだ。

 〈あやかし〉は呪印を打つことで、人間の身体に取り込むことが出来る。自らの肉体に封じれば、その特殊能力を利用できるのだ。そんな者たちのことを〈背世者〉と呼び、忌み嫌っていた。本能のみの〈あやかし〉より、人間が使う〈あやかし〉の方が性質が悪かった。彼らは例外なく町や村の平和を脅かすのだから、敵視されるのも仕方がない。偶然、〈背世者〉になる人などいないのだから――。

 タイセイは自分の十メートル手前まで来ている男は〈背世者〉である――そう結論付けていた。

 〈背世者〉なら、〈あやかし〉の特殊能力による攻撃が有りうる。どんな手で仕掛けてくるか、想像にも及ばない。

 タイセイは気付かれないようにそっと手の汗を拭った。緊張感を喪失せずに身をほぐすため、静かに深呼吸した。

 問題は彼が村を脅かす敵かどうか――ということだ。

 タイセイはそれを確かめるために足を止めた。

 ――と、向こうも足を止めた。その位置が巧みであった。タイセイが一歩踏み込んで届くか届かないかの距離なのだ。間合いを読まれている証拠だ。

「こんにちは」

 タイセイより先に男のほうが声をかけてきた。道で知人に会ったような挨拶であった。

 そのくせ、握手が出来る友好的な距離にはいない。

「クフノセと申します。この先のバドウ村に用があって参ります」

 言葉には妙なイントネーションがあった。方言というよりは、古い響きを言葉尻に持っている。

 そう、その男がクフノセであった。タイセイの人生を、良くも悪くも変えた者だ。

「タイセイです。そのバドウ村に住んでます」

 タイセイは先手を取られたことを感づかれないように、自然に挨拶を返した。

 クフノセが顔を歪めた。どうやら笑ったらしい。

 笑顔で挨拶を返す――そんなつもりだろうか。

 クフノセの存在自体に違和感を感じつつ、タイセイは続けた。

「住んでいる自分が言うのも何ですが、観光する所なんかありませんよ。――もし、よろしければ、わざわざ訪ねる理由を訊かせてもらえませんか?」

「バドウ村には武術に秀でたランタク寺があるとお聞きしまして――是非お手合わせを」

「確かにランタク寺はありますけど、希望に添えるかどうか――」

 いえいえ――と、クフノセはさらに目をくいと上に引きつらせた。

 その表情の意味がつかめなかった。

 だが、心の警鐘は高まった。

「噂通り、なかなかお強いと思いますよ。あなたも――隠れている方々も」

 タイセイは一歩飛びのいた。柄に手をかける。後ろの先陣たちが飛び出した――それが気配で分かる。その援護を心強く感じた。

 タイセイは下がった一歩に力を乗せ、一気に間を詰めるつもりであった。

 クフノセが、ふわり――と両手を持ち上げた。

 ごく自然な動作であった。気負いも殺気も感じない。

 それでいながら、背筋を走る悪寒は、今まで感じたことのない危険の知らせであった。

「戻れ!」

 タイセイは叫んだ。

 ヤイチたちに届いたかどうかは分からなかった。

 クフノセの両手が光り、同時にものすごい音をたて始めたからだ。

 タイセイは既に切り込む姿勢になっている。弓を撓ませているようなものだ。後ろへ跳んでは逃げられない。

 ならば――と、タイセイはクフノセの懐へと飛び込んだ。

 クフノセが発光した。

 光は、右の肩口に刺さり、右腕に焼けるような痛みが走った。

 タイセイは堪えながら剣を抜き放った――が、手ごたえはなかった。

 タイセイはそのまま走りぬけた。振り向き、剣を構える。

 視界は眩しさに眩んでいた。右腕の痛みも痺れに変わっていたが、左手を添えてしっかりと剣を持ち、そんな素振りは一切見せない。

「ほう――本当に噂どおりですよ」

 言葉は感嘆しているが、感情のこもっていないクフノセの声が聞こえた。

 クフノセの位置は意外と近い。ぼんやりと戻ってきた視界も白い影が近いことを教えた。

 タイセイはそのまま後ろへ退がった。

 何があったかは分からない。だが先制攻撃が失敗したのは分かる。ならば次は遠距離攻撃を仕掛けたいはず――そう考えると、近くにいるタイセイが障害となっているに違いない。

 だからクフノセから距離をとるように後ろへ退がったのだ。

 視界が回復してくる。

 弓矢部隊が立ち上がって構えていた。

 クフノセの向こうに倒れている人影は先陣部隊だ。ヤイチやトールの姿も見える。

 身動きは取れていないが、致命傷を負っているわけではなさそうだ。

 重装備部隊が前進している。クフノセとヤイチたちの間に入るつもりだ。

 その向こうにホウアン和尚が見えた。禿頭が右腕を高く上げている。タイセイが離れるのを待っていたのだ。

 タイセイは頷いた。

 ホウアンにそれが見えたか――右手を力強く振り下ろした。

 微動だにしないクフノセに、上空から矢が降り注ぐ。

 タイセイにはそれがスローモーションに見えた。そして――。

「止まった――?」

 ホウアンを含め、自警団の皆が驚愕に息を呑んだ。

 全ての矢がクフノセの周り四、五メートルの距離で、ぴた――と静止していた。まるで空気の層が矢を受け止めたようであった。

 否――とタイセイは気付いた。

「電撃だ」

「ご名答」

 クフノセが肩越しに顔を向けて言った。

 さっきタイセイたちに放たれたのは雷光であり、今、矢を受けたのは電磁波だ。

 ただの電磁波であるはずがない。特殊な気を練りこませているのだろう。そう考えると、受け止めることができたのだから――。

 まずい――と、タイセイは地を蹴った。

「お返しします」

 矢が方向転換する。向いた先は放った本人の方だ。

 光が染みるように滲む。弾けるような音を立て、空気の焦げた匂いが鼻を打つ。

 タイセイが剣の切っ先をクフノセに向けたのと、矢が放たれたのが同時であった。

 目の前にクフノセの電撃が迫る。

 後ろから切りつけるタイセイに対しての牽制だ。

 タイセイは電撃に切っ先を合わせた。

 電撃は剣へ吸い込まれた――そのタイミングに合わせてタイセイは剣を手放した。

 剣は電撃に呑まれ、その位置で浮かんだ。

 剣を避雷針の代わりとしたのだ。

 タイセイはそのままクフノセの背中へと走った。

 跳ね上がりながら身体を捻る。全身にまとわりつくちりちりとした電触に構わず、脚を大きく回した。鋭い三日月を描くようにクフノセの側頭部に振り下ろされる。

 手ごたえはなかった。

 何の予備動作もなくクフノセが前方に回転したのだ。

 クフノセが纏っている服がその動きに膨らみ、まるで鞠のように球を描いた。

 タイセイは掠ることなくその上を通り過ぎて、地面へと降りた。

 狙ったわけではない。だが身体がそう反応していた。かわされるや、タイセイは次の攻撃を仕掛けていた。

 振り向きざまに右の掌底を突き出したのだ。左手を右手首に添え、周囲の電磁波に対抗した。

 ふわり――と起き上がったクフノセの胸に右手が吸い込まれた。

 手ごたえはあった――が、岩を叩いた衝撃が手の平を打った。ダメージを与えられた気がしなかった。

 ――はずが、当のクフノセはすごく驚いている。

 ちりちりとした感覚が消失した。

 矢の落ちる乾いた音が響く。

 クフノセが返そうとした矢は達することはなかった。

 短い時間の攻防だったのだ。

 しん――と、谷間を静寂が包む。

「第二次防衛線まで退却!」

 ホウアンの声が引き戻す。

 さっと引く気配を周囲に感じる。

 タイセイもクフノセから徐々に離れる。眼はクフノセから離さない。

 だが追ってくる様子も、攻撃してくる気配もない。動けないほどのダメージを与えたとも思えない。だからこそ不気味であった。

 重装備部隊に追いつく。

 その向こうにヤイチとトールの背中も見える。

「何なんだよ、あれ」

 トールが泣き声のように叫んだ。

「〈背世者〉か?」

「否――人間を相手にしている気はしなかった。〈背世者〉だって人間だろ?」

「じゃあ、何なんだよ!」

 答えられる者はいなかった。

 第二次防衛線は村に近い橋の前に設定していた。

 野原である。村で祭りがあるときはここを使う。充分な広さに加え、視界も良好であった。

 街道は先ほどの谷間へ延びている。崖向こうの森も見える。

 浅いが幅の広い川を背にする。歩いて渡れるくらいだが、背水の陣である。川向こうの森を抜ければ、村はすぐなのだから――。

 先陣を切る高機動部隊、守備と攻撃力の高い重装備部隊、そして遠距離攻撃の弓矢部隊によるコンビネーション戦を仕掛けるのに、この第二次防衛線は最適であった。

「救護班、急いで!」

 第二次防衛線には第一次防衛線での負傷者を治療するための救護班が控えていた。

 まさかの全撤退と負傷者の多さに、場が浮き足立っている。

 膝をついたヤイチやトールに看護服の女性が駆け寄る。

「タイセイ、大丈夫?」

 切れ長の目がタイセイを覗き込んだ。

 エイミだ。

 タイセイの一番古い記憶は、彼女と二人で森の中を迷子になった時のものだ。

 気が付いた時にはタイセイの思い出のほとんどにいる子であった。

「ボクより他の人を――」

「君が一番ひどいじゃない」

 声はしっかりしているが、泣きそうな表情をしていた。

「負傷者は村へ戻って治療を!」

 ホウアンの声が響く。

 救護班の返事より先に、タイセイが異議を申し立てた。

「和尚様、ここでの戦いは高機動部隊あってこそです。その半数が村へ撤退したら成り立ちません」

「かと言って、そのまま戦おうとしても足手まといだろ」

 兜の向こうで押しこもる声で言ったのは、重装備部隊のリーダー――ゴオである。

 ぶっきらぼうだが、その豪胆さは慕われ、彼の周りには必ず誰かがいた。

 弓矢部隊リーダーのユーヤも近づいてきた。

 リーダーが抜けていても他の者たちはきちんと再編成を始めている。

 高機動部隊が翻弄し、重装備部隊が攻撃、そして弓矢部隊が援護してフォローする――それがここでの戦い方であった。

「陽動が少ないと作戦が成り立たないでしょ」

「ぬかせ、お前らが足りないぐらいで揺らぐかよ」

「タイセイ、さっきは助かった」

 ユーヤだ。落ち着いた声が心地いい。

「君があそこで攻撃してくれなかったら、自分たちの矢で返り討ちにあっていた」

「それで自分がぼろぼろじゃ話にならんよ」

 あ――と、ゴオとユーヤが同時に声を上げた。

 タイセイは左肩を掴まれ、振り向きざまに殴られた。小さいが硬い手であった。

「お前、勝手な行動をしやがって――部隊の統率を取れずして何のためのリーダーなんだよ!」

 高機動部隊のリーダーのセナだ。小柄な女の子だが、男勝りは性格や口調のみならず剣と体術にも反映されていた。

 短めの髪の下に、日焼けした顔が悔しそうに顔を歪めていた。

「あの場はタイセイの判断が正しかったぜ」

「おれが言いたいのはそんなことじゃない」

「今はそんなことを言っている暇はないでしょ。残ったメンバーの再編成がリーダーとしての最優先事項でしょ」

 ゴオとユーヤがタイセイをフォローした。

 セナは何も言わずに踵を返した。

 タイセイはそれを呼び止めた。

 何だ――と振り向かずにセナが訊いた。

「ごめん、ちょっと調子に乗りすぎてた」

「分かれば――良いんだよ」

「すぐ戻る。それまで持ち堪えて」

「三十分だ。お前らも戦力として再編しておく」

 言い切ると、セナはそのままホウアンの所へ行った。

「お前ら――って、俺たちも――か?」

 トールが泣きそうな声で言った。

「無理はしないことです」

「三十分もありゃあ終わってるさ」

 ゴオとユーヤがセナに続いた。

 セナがホウアンに文句を付けているところへ合流した。

 タイセイたちはそれを見届けると、救護班に連れられて橋を渡った。

 森の中はひんやりとしていた。

 背中の喧騒と正面の脅えたような静けさが、タイセイの心を乱した。

 大丈夫よ――と、エイミが言った。

「あの人たちは自警団の中でもずば抜けて強いんだから、君が心配するほうが変よ」

「そうだけど――」

 エイミが言うことは正しい。ゴオやユーヤはもちろん、タイセイと同い年のセナも、自警団として盗賊や〈あやかし〉から何度も村を守った猛者なのだ。

 初見の相手でも撃退し、村を守ってきた人たちだ。タイセイとクフノセの手合わせを見ていたのだから、なんらかの対策が立つはず。有利な戦闘を組み立てられるであろう。

 初陣のタイセイが心配するようなことではない。

 ――ないのだが、何かが引っかかってしょうがなかった。

 村は突然の負傷者の帰還にざわめきたった。

 ケガのひどい者から荷車に乗せられ、村の診療所へと搬送されていった。

 タイセイはまた出るからと、搬送を拒否した。

「こうなると絶対言っていることを曲げないから――」

 とエイミが皆をなだめ、門に近い所で治療を始めた。

「ありがとう、エイミ」

「なんの。君のことなら分かってるつもりよ」

「本当に頑固だし――」

「それでも行くんでしょ――」

 エイミの言葉を受け、タイセイを評価したのはヤイチとトールだ。横で治療している。

「出動はしないって言ってたでしょ?」

 タイセイがからかい口調で訊いた。

 二人は笑顔で返すだけであった。

 タイセイにとってこれほど心強い味方はいなかった。

 俯き気味に治療していたエイミが顔を上げた。

「でも無理はしないでね」

「大丈夫」

 タイセイは頷いたが、エイミの顔に漂う憂色が不安にさせた。

 お兄ちゃん――と、人だかりの向こうから声がする。泣きながら駆けてきたのはタイセイの弟タイヨウだ。

 涙で顔を濡らしてエイミの横をすり抜け、そのままの勢いでタイセイのわき腹へと頭ごとぶつかってきた。

 悶絶するタイセイ、泣きながら何かをわめくタイヨウと、構わず右手に包帯を巻くエイミ――タイセイにとっての日常がそこにあった。

 無茶をしケガをして、タイヨウに泣かれ、エイミに治療してもらう。

 他愛もないことであったが、タイセイはそれを守りたい――そう感じていた。

 人垣を掻き分け、遅れて到着したのはタイセイとタイヨウの父タイガであった。

 精悍な顔が心配に歪んでいる。

「無事か?」

「とはいえない――かな」

 タイガは傍らに膝をついた。

「ほとんど全身に火傷を――特に右手がひどいです」

 エイミがタイガに説明する。

 タイガはタイセイを見て、ヤイチとトールに視線を移した。

 二人も治療中だが、軽くタイガに会釈した。

「三人とも同じような負傷か――」

「三人だけではありません。さっき搬送された者みんなが同じ火傷でした。まるで雷に打たれたような――」

「ということは敵は一人――だな?」

 タイセイは頷いた。

 驚いたのはエイミだけではなく、その場にいた者全員であった。驚愕の波は広がった。

「どういうことなの」

 声をかけてきた初老の女性は、村長のスウである。両脇には双子の長老が付き添っている。

 タイセイたちは事の成り行きを説明した。

 驚愕は、恐怖と不安へと変わっていった。

「そんなことってあるの?」

「聞いたことがあるぞよ」

「町村を襲っている〈あやかし〉の中には人間の姿をしている者がおると――」

「めったに姿は見せないが、現れた時には襲われた町や村は必ず壊滅すると聞く」

「その者は村を襲う時に、なにやら怪しい実験までもするという噂もあるぞな」

 長老が交互に答えた。

「実験――?」

「うむ――生存者が皆無に近いでな、情報が少ないのじゃ」

「この噂もどこからどこまでが本当か――」

 タイセイは、ありえる話だ――と感じた。

 あの雰囲気、強さ――その噂の〈あやかし〉がクフノセだとしたら――。

「この村は壊滅する――」

「え――?」

 エイミが顔を上げた。

 厚めの唇から洩れた問いは、見張りの者たちの叫喚にかき消された。

 タイセイは門へと走った。

 森を抜けてきたのは〈あやかし〉の一団であった。

 四足歩行、二足歩行、角だらけ、毛だらけ、翼を持つもの、手足なく地を這うもの、筋肉隆々のもの、細身のもの――ただ一様にただならぬ能力を有していることだけは分かる。

 あれが〈あやかし〉なのだ――。

 その先頭をクフノセが歩いている。

「みんなはどうしたんだよ――」

 トールの悲痛な声が後ろで滲むように響く。

 隣でエイミが口を押さえて悲鳴を飲み込んだ。

 なんてこと――村長が嘆声を漏らした。

 クフノセの後に続く〈あやかし〉が荷物のように抱えているのは第二防衛線に陣取っていた自警団であった。

 重装備部隊でさえ鎧ごと抱えられ、四、五人まとめて担いでいる〈あやかし〉もいる。。

 森が吐き出すように〈あやかし〉たちの群れは続いていた。

 その数は百は下るまい。

 タイセイの周りから覇気が消えていくのが手に取るように分かる。

「生きてる――? みんな、まだ生きてるよ」

 エイミが言った。

 確かに担がれている村の戦士たちは生きている。身動きが取れないほどのダメージを受けたのだ。

 それが出来るのは一人しかいない――。

 集団は足を止め、一つの影が村に近付いてきた。

 クフノセだ。

 制する者は誰一人いなかった。

「バドウ村の村長はどなたかな?」

 クフノセは門の手前から声をかけた。

 私です――と、スウが躊躇いもなく門から一歩出た。

「村長のスウです」

「クフノセです。見た所、抵抗の意思は失せた――と思って良いでしょうか?」

 細い目が村を見回した。

 視線が通り過ぎた時、エイミがタイセイの肩口をぎゅ――と掴んだ。

「ええ、私たちは全面降伏いたします」

 スウの震える背中がやっと絞り出すように言った。

「賢明です。無駄な血を流さずに済みました。彼らもお返ししましょう――ただ――」

「ただ――なんです?」

「チャンスを上げましょうか――と思いましてね」

 刺すような視線がタイセイを見た。

「一人――このクフノセと戦い、勝てたら見逃そうか――と。良い条件でしょ」

「それは受けかねます」

 なぜ――という表情でクフノセがスウを見た。

「先に戻った者から聞いております。あなたの強さを。それに彼らを倒したのもあなたでしょう。勝てる者などこの村にはいません」

「ふむ。――なら条件を変えましょう。一人、クフノセに差し出してください。その代わりに他の者には手を出さない――というのはどうです?」

「一人を犠牲に――そんなの――」

「やる気なのがいますよ」

 クフノセの顎がくいと正面を指し、スウが振り向いた。

 タイセイは門の外に出た。

 後ろで皆がタイセイの名を呼んだ。タイヨウの「お兄ちゃん」という声も聞こえる。

 スウが戻ってきた。

「タイセイ、あなたは一度敗れたのでしょ。無理よ」

「クフノセは、ボクを要求しています」

 クフノセの口元が嬉しそうに微かに歪んだ。

「行くしかありませんよ」

 タイセイがスウの横を過ぎた。

 ぐ――と肩が掴まれた。

「父さん?」

 タイガの眉間の皺がいつもより硬く結ばれていた。

「何もしてやれん」

「やってみます」

「すまん。――任せた」

 タイガが差し出したのは幅広の短刀であった。

 タイセイはそれを受け取った。ずし――と重みが伝わる。

「私の短刀だ。持って行け」

 タイセイは頷いた。

 タイガの肩越しにエイミたちの顔が見える。

 にこ――と笑ってみせたが、自信はなかった。

 エイミも同じような表情を見せた。

 タイセイはエイミを目の奥に焼き付けるようにまぶたを閉じた。再び目を開けた時、身体はクフノセへと向けていた。

「村長――もしボクに何があっても手を出さないでください」

「でも――」

「生き延びることです。必ず道はひら開けます。諦めないで――」

 タイセイは再び歩き出した。手渡された短刀を腰のベルトへぶら下げる。

 クフノセは待っていた。

「もう良いんですか?」

 クフノセが訊いた。

 タイセイは答える代わりに抜刀した。短剣なのでさっきのように避雷針代わりには使えない。――ならば電撃はかわして、短刀は攻撃に使った方がいい。

 逆手に剣を構える。

「いまだかつて、クフノセは戦いで触れられたことはありません。あなたは二度、奇跡を起こしました」

「二度――?」

 ゆっくりと横を向いたその背にタイセイの剣が突き刺さっていた。

 狙ってたんでしょ――と、クフノセはぐ――と顔を歪めた。笑ったらしい。

 そこまで頭は回っていなかった。剣に電撃を集中させ、その間に攻撃――そこまでであった。それが宙に浮いていて、掌底の攻撃で退がったその背に刺さるとは――。

 ただ、そのダメージは皆無に見える。

「不死身ですか――」

 クフノセは首を振った。電撃が身体を包み、背中の剣がすう――と抜ける。パチパチと空気が焼ける音がする。抜けた剣が宙に浮かんでクフノセの正面へと回ってきた。

「剣先が無い?」

 剣の刀身が半分以上なくなっていた。

「クフノセが電撃を使っている時、体内はそれ以上の熱量が発生しています。致命傷を与える前に表層で溶けてしまうのです」

「じゃあ、あなたを倒そうとしたら――」

「電撃を使う前でしょうね」

 それは不可能に近い――クフノセが電撃を発生するタイムラグはほとんど無い。

 しかし――打撃を与えて電撃を止めることができれば、チャンスはある。

 クフノセがタイセイを見ながら細い目をさらに細めていた。手で切っ先のない剣をもて玩んでいる。

「諦めてないんですね」

「いけませんか。生きているものは全て命が限られているんです。命を大事にしているんです。だから最後まで足掻くんです。――諦めたりしません」

「よろしい――良い眼をしています。そうでなければ、あなたを選んだ意味がありません」

「選んだ――?」

 言葉の先にクフノセがいなかった。ただ先のない剣が地へと落ちただけであった。

「クフノセの崇高なる被験者にね――」

 声はすぐ後ろから聞こえた。

 ぞわ――と産毛が浮き立つような悪寒に耐え、タイセイは振り向きざまに剣を振り上げた。

 衝撃が全身を走った。目の前が真っ白になる。自分の身体が宙に浮いている。何時間――ともつかない激痛であった。

 全身の力が喪失したように、地に落ちた。

 視力も聴力も途絶え、全てが――無――に溶けたようであった。

 タイセイは、意識までが無に混じらないように必死で堪えた。

 声がする――実際の声ではない。耳はまだ何も捉えていない。

 意識に見える映像だが、エイミが幼い――昔の記憶だろうか。泣きながらタイセイの名を呼んでいる。

 そういえばそんなことあったな――。

 タイセイが今のタイヨウより小さかった頃のことだ。

 他愛のないことでケンカをして、エイミが村を飛び出した。すぐに追ったタイセイは〈あやかし〉に襲われているエイミを見つけた。

 今からすれば浮遊霊ほどの貧弱な〈あやかし〉であったが、当時のタイセイには強敵であった。

 なんとか追い返し、エイミを救ったが、緊張の解放から気を失ってしまった。意識が戻るに従い、はっきりしてきたのは、自分の名を呼ぶエイミの声と泣き顔であった。

 その時からだ。タイセイは己を鍛え始めた。独学であったが体術を身につけた。自警団のエリートにも負けない実力があると自負している。

 もう泣かさない――って決めたんだ。

 タイセイは立ち上がっていた。ふらふらであった。まだ感覚は戻っていない。何かできるとも思えなかった。

 だが心配はかけたくなかった。タイガにも、タイヨウにも、村のみんなにも――そしてエイミにも――。

 しん――とした静けさは、聴力の低下によるものではない。

「まだ動けますか」

 かなり近くからクフノセの声がした。これはリアルだ。

 ぼんやり戻ってきた視界で、滲む影がクフノセだ――。

 短刀を持っているかどうかも分からなかったが、その影に向かって右手を突き出した。

 自分ではいつもの突きを出したつもりだったが、実際はやっと腕が上がったくらいだ。

 腕が止まった――否、止められた。

 もちろんクフノセである。

「百の言葉を並べるより、見てもらうのが一番でしょう」

 タイセイの名を呼ぶ声がする。エイミか、父か、弟か、仲間たちか――。

 ぐ――と右腕に圧迫感が伴う。

 タイセイは悲鳴ともつかない声で吼えて、左手を振り回した。

 弱弱しくも左手は影に当たった。

 影はよろめき、抑えていた右手を外され、タイセイも大地に倒れこんだ。

 遅れて五センチほどの玉が落ちてきて土へ埋まった。一つではない。

「あらあら、大変。――あなたに使うはずの玉が分からなくなってしまいましたよ」

「ボクに使う玉――?」

 玉をひとつずつ拾う影はもうクフノセの姿をしている。

「村の方々には今説明したのですがね。クフノセはある実験をしています。意図的に、かつ他者の意思で〈あやかし〉を人に宿すこと――です」

「そんなことをして――」

「何になるか――それは後から分かるものです。発明品とはそんなものです。常に発明者が意図するような使われ方をするわけではありません。逆に目指している途中の副産物が大発明――ということもあります」

 クフノセは全部で五つの玉を拾い上げた。

「呪印と同じ効果を持つ玉を作り出すことはできました。これは一度死んだ〈あやかし〉なら閉じ込めることができます。次の段階はこの玉を人間に使うこと――これが中々うまくいかないのです」

 タイセイは力を込めて起き上がった。四つん這いの姿勢で周りを見回す。

 森の入り口のほうには〈あやかし〉たちがまだ自警団の皆を抱えて立っている。

 かなり時間が経った気がしたが、五分も過ぎていないようだ。

 村の門にはスウや二人の長老、ヤイチとトールがいる。父の顔も見える。人垣で見えないがタイヨウもいるはずであった。

 エイミは――人垣の手前で崩れるように座っていた。涙顔であった。

 またボクはエイミを泣かせてしまった――。

「困りましたね――、あなたにちょうど合うのが分からなくなってしまいました。強いのがいたのですが――」

「いいんですか、そんな強い力をボクに与えて――」

「それも一興です。ただ、ご心配なく。この実験は成功したことがありませんから」

 クフノセはあっさりと言った。

「それに――この五個、全て使うことにしました」

 やめて――村の方で声がした。

 エイミだ。

「よすんだ、エイミ――中へ――」

 エイミは首を横に強く振った。涙が光にきらきらしながら散った。

 タイセイは立ち上がろうとした――が、バランスを崩して、四つん這いから前へと倒れこんだ。その手の先にクフノセが立っていた。

「門の中へ入っても良いですよ。村長さんは村人の武装を解除して、一箇所に集めておいて欲しいのですがね」

「どうするつもりです?」

 スウが絞り出すように訊いた。

「人手が不足しているらしいので、北へ向かってもらいます」

「約束が違う――」

「約束は守ります。クフノセ部隊は手を出しません、抵抗しない限りはね。ただ別の場所に移動してもらうだけ――約束は破ってはないでしょ」

「それじゃ、タイセイは何のために犠牲になったのよ!」

 諦めないこと――タイセイは地に倒れたまま、エイミに言った。

「諦めなければ必ずチャンスはくる。生き残ること――生きていることがそれだけで勝利を意味する。これはその一歩に過ぎない。だから自棄にならないで――ボクも最期まで諦めないから――」

「タイセイ――」

 伸ばした右腕の先にクフノセがしゃがんだ。

「良い心構えです。それほどの気負いがあれば、あなたも生き残れるかもしれませんね」

 クフノセはそう言うとタイセイの右手首にぐい――と玉を押し込んだ。

 痛みは無い――感覚が喪失しているのだ。

 徐々に熱さだけが右腕を伝わり始めた。

 次はこっちかな――とクフノセの嬉しそうな声が左側へと移った。

 左の小手先、続いて首の後ろ、そして腰へとクフノセは玉を埋め込んでいった。

 時間差で熱さが押し寄せてくる。埋め込まれた先で、引きちぎられたような痛みが目眩を起こす。

「最後の一つは――ここでいいですね」

 と左のふくらはぎに押し込まれた。

 じわじわと黒い闇が皮膚の下で蝕むように広がりつつあった。

 拳を握って耐えたくても、身体が思うように動かせない。

 自分が自分でなくなる――そんな恐怖が熱に込められていた。

「時間が進むにつれ、死んだ方がましだ――という痛みが全身に走るそうです。その痛みが止まった時、死を迎えるか――それとも我々と同じ〈あやかし〉となっているか――。それはあなた次第です」

「〈あやかし〉になるですって?」

 スウの声が遠くで聞こえる。

「発明の副産物の一つですよ。今まで試した成功結果でいうと、この玉を埋められると、目覚めた〈あやかし〉がその人間の身体を奪い、そして〈あやかし〉となるのです。これの利用方法としては、古代の〈あやかし〉を復活――なんてできますが、クフノセにしてみるといまいちですね」

「じゃあタイセイは――」

 そこで間があった。また自分の聴覚が途切れたのか――と思った。

 そうではなかった。

「それは分かりませんよ。もっと面白いものに化けるかもしれません」

 誰にも分かりません――クフノセは続けた。

「タイセイ、村の人間は、この先の荒野で野列車に乗せて北に向かわせます。明日の夕刻の出立です。間に合うようなら来なさい」

 遠くへフェイドアウトしていくエイミとタイヨウの泣き叫ぶ声に、クフノセの声が重なった。

「仲間としてでも良し――立ちはだかるもまた良し――あなた次第です」

 ――そしてタイセイは気を失った。

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