第2話

 ──ちょうど十年前、僕がまだ七歳のころ。


 任務にあたっていた父は、強力な怪異と激闘の末に深手を負い、怪異狩りの拠点でもある狩村本家のお屋敷に運び込まれた。


 妖気と瘴気に浸された傷を癒やすため霊的治療を施されながら、父は何日間も生死の境をさ迷った。

 狩村の血筋でない母に代わり、ひとり立ち会いを許された僕だったけど、できるのは傍らで祈ることぐらいだった。


 一週間ほど経った日の夜のこと。胸騒ぎをおぼえた僕は、父が床に伏した部屋をふすまの隙間からそっと覗き込んだ。


 そこで僕の目に映ったのは、真っ白に染まった部屋の中で父の体を抱きしめる、白い小袖の着物をまとった、白い髪の女の後ろ姿……そこから先の記憶は、靄がかかったように曖昧だ。


 翌朝、なぜか自分の泊まっていた部屋の布団の中で僕は目覚める。

 夢だったのか? そう思う間もなく部屋に駆け込んできたのは、三歳だけ年上の叔母だった。

 目を真っ赤にした彼女に手を引かれ対面した父は──びっしりと霜の落ちた部屋のなか、白く「凍死」していた。


 それから数日後。父の葬儀を終えてひとり帰宅したアパートの部屋に、母と妹の姿はなかった。それもあの女の仕業なのか、それとも僕は捨てられたのか。

 結局、その答えさえ何ひとつわからなかったし、誰も教えてくれなかった。


 僕にできるのは、父を継いで怪異を狩る者となること。いつの日にか父の仇に辿りつけること、そして母と妹に再会できることを信じて。


 ──そして、つい先日。


 学業と怪異狩りを両立する長い激闘の日々をくぐり抜け、百匹目の怪異を仕留めた僕はついに、ここ百年空席だった「百鬼狩り」の称号を得る。


 一族の歴史でも最速、そして最年少での達成で、百年に一人の天才だとか持てはやされたけど、そんなのはどうでも良いことだった。


 僕にとって重要なのは、称号に伴って与えられる特別権限。特権それを行使して一族の秘匿情報を開示させ、父の最後の任務地がこの山であることを、突き止めたのである。


「さあ、どうかしらね」

「答える気がないなら、確かめさせてもらうまで」


 木刀を片手青眼──切っ先を真っすぐ彼女に向けて、構えた。父から受け継いだこの剣こそ、樹齢千五百年の霊木より削り出されし御神刀ゴシントウ


「できるのかしら、そんな棒っきれで」


 からかうような彼女の言葉と同時に、強い風が吹いて雪は舞い上がり、一瞬で視界を真っ白に染める。


 目深にかぶっていたファー付きのフードが外れ、しばらく切っていない髪があらわになった。

 山に入る前、邪魔にならないよう後ろでひとつに縛ったのだけれど、気持ちが早っていたせいか、まとめ切れずあぶれた前髪がひとふさ目の前で揺れている。


 そのひとふさには、白い髪がまじっていた。

 前髪にメッシュのように混じった白いそれらと、女子のようだと言われる白い肌、線の細い顔立ちが、ずっと僕のコンプレックスだった。──まるで、父の仇の雪女みたいだから。


 完全に白で塗りつぶされた視界のなか、僕は背後に感じた気配に向けて吹雪を裂き木刀を振りぬく。手応えはあった、しかし──。


 風が収まる。木刀は、白い女の胸を半ばまで刺し貫いて、そこで止まっている。そして彼女の体は、さらさらと白く崩れ落ちた。


「やるじゃない」


 崩れ落ちた雪人形の背後で、彼女は笑っている。


「──わかった。あれは、きみじゃあない」


 しかし対峙する僕は、剣先をゆらりと下げた。


「きみの妖気はまだ子供だ。あの夜の雪女がまとっていたものとは、違う」


 いま肌で感じた彼女のそれは、あの夜の濃密な妖気とは程遠いものだった。


「──わたしが、子供?」


 しかし、僕の言葉はどうやら彼女の癪にさわってしまったようだ。兎の面の下から、これまでの静かなそれとは明らかに異なる強い語調で、問いを返してきた。


「もっと、よく確かめなさい」


 妖気が膨れ上がる。彼女の上半身を囲むように、空気中にきらきらとダイヤモンドダストがきらめいて、それらが凝結していくつもの氷柱が生まれる。

 鋭く尖った先端はすべて、僕の喉元をまっすぐ狙っていた。

 

「いくら確かめても、同じだと思うぜ」


 対する僕も再び剣先を彼女に向ける。彼女は右手を天に掲げると、白く細い人差し指をまっすぐに立て、僕に向け振り下ろしていた。

 その指先に追従して、次々と高速で飛来する氷柱たち。それらを僕は木刀で払い落とす。


 彼女が人に害を成す妖怪かは定かじゃない。けれども、降りかかる火の粉は払わねばならない。


「……オン、ソンバニソンバ、ウン……バザラウン、パッタ……」


 氷柱を避け、払い、叩き割りつつ、囁くように真言を詠唱する。同時に構えた剣の刀身へと、もう一方の指先で素早く退魔の梵字を描く。


「天魔、調伏!」


 降三世明王コウザンゼミョウオウの法力を宿した剣を、大きく踏み込み突きはなつ。正面から飛来する氷柱を粉々に砕きながら、その切っ先はまっすぐ兎面に迫る。


 ──瞬間、これまでとは比べものにならない強さの風が巻き起こった。


 視界がどうこう以前に、目を開けていられないほどの猛吹雪。風に絡めとられかけた剣を、僕は両手で必死に手元に引き戻した。


「やめなさい、ふたりとも」


 風はその一瞬で止み、対峙していた彼女とは別の女声が響いた。落ち着いた大人の女性のそれだ。


 その声には、聞き覚えがあった。

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