第15話 あの日のこと

 アンナが死んだ翌日、俺はただタワーマンションの自室にあるベッドの上で呆然とそれまでのアンナとの日々を思い出していた。


 ゲームの中のキャラクターにすぎない彼女だったが、俺の中ではあの最初に人を斬った時のやり取りが忘れられなかった。

 俺の手を自分の額に当てて真摯に感謝してくるその態度に、人を斬ったわだかまりよりも、人を助けられた安堵感の方が大きくなり心が少し軽くなったのを覚えている。


 ウインディアに戻って来てからも、彼女は何かと俺を気にかけた。

 こっちも女子と話せる機会が今まで少なかったから、舞い上がってアンナと過ごす時間に浮かれていた。


 彼女はよくジュライという名の響きが、良いと言ってくれた。

 樹木未来という本名から名字の頭と名前の終わりの一文字を、音読みでつなげただけの安直な名前だったが妙に嬉しかった。


 この頃になると彼女がゲームのNPCということは、すっかり頭から抜け落ちていた。

 彼女も男と関わるのは初めての様で、やりとりは初々しく互いに恋愛と呼ぶにもおこがましい関わりだったが、互いに意識して大切に思い始めていたのは間違いないと思っている。


 その矢先に、あの出来事が起きた。


 目の前で動かなくなったアンナを見た後の記憶は、実のところをいうと曖昧だった。


 彼女を手にかけた相手を殺すことはできたが、いまいち実感がなかった。


 それは、首謀者のゼソが生き残っているからに違いない。


 復讐なんて小難しいことじゃなく奪われたものは取り返すし、それがかなわないなら相応の対価を支払わせるべきで、俺からアンナを奪ったゼソは死に値するにはずだった。


 ラグのことも考えた。


 フォレストドックに襲われているところを助けられ、刀の扱いを教わり師匠と呼ぶには恥ずかしいが、よく馬鹿を言い合い笑っていた。


 俺は一人っ子だったが、歳の近い兄弟がいたらこんな感じだったのかもと思う。

 多分、あいつもそれ位には俺のことを思っていたから、アカウント剥奪のリスクがあるゼソの殺害を止めたのは頭では分かる。


 でも、胸の内に巣食うこのモヤは納得できていないことの証に違いなかった。


 もし、あの野郎が極刑にならなかったら、いやいっそのこと下手な刑が決まる前にこの手で、というような考えが堂々巡りをしていたところに、オーディナリーライフの外部アプリのARがタキトスからのメッセージを表示した。


 “ゼソの量刑が決まった。ほぼお咎めなしの状態だ。今から中で会えないか?”




 時刻は日付が変わろうとしていたが、なんの躊躇いもなくオーディナリーライフを起動させる。

 胸の内のモヤが爆発して体が粉々になるような感覚の中、ジュライの体になっていく。


 タキトスしか居ないクランハウスのなか、運営だのラグがどうのだと言っていた気がするが頭に入って来なかった。

 得物を掴み、ゼソの居場所だけを聞き駆け出していた。


 ゼソの屋敷に着いたあとは、ひたすらに胸の内にあったモヤを吐き出しヤツを探して暴れまわった。


 案の定、地下の部屋で性懲りもなく女を連れ込んでいたゼソを見つけ、その口から聞きたくもない戯言たわごとを吐かせないように真っ先に顎を落とし、その後どう斬ったかは覚えていない。


 すべてが終わり、燃え盛る屋敷を眺めているとようやく思考がクリアになり周囲の音も認識できるようになってきた。


「旦那ぁ、わざわざ庭まで運ぶ必要あったの? コレ」


 奇妙な形をした大剣を担いだコルヌの男が、ゼソの遺体を指し訝しげにタキトスに話しかけている。


「ああ。一部の人間には良い宣言のシンボルになるだろう」


 ここきて、庭にいる人間がタキトスだけじゃないことに気付いた。


「誰だ?」


 機嫌のいいタキトスをみる。


「知り合いでな。今回の件を手伝ってもらったのだ」


「スカーだ、あんたジュライだっけ? いい暴れっぷりだったね。仲間にするのに申し分ないよ」


 大剣を事も無げに扱う男は、凶行を何でもないように笑う。


「仲間?」


 意味の分からない俺は、聞き返す。


「ジュライ。これからどうする? リベレーターに戻ることができないのは分かって

いるはずだ」


「どうする……か、確かにコレでは戻れないな、それにアンナのいな……い」


 目の前の惨状を見て、アンナのことを考えようとするが表情がうまく思い出せなかった。


「どうした?」


「いや、なんでもない。今、やれることはやったからな……」


 アンナは戻らないのだから、気が晴れることなんてない。

 それを理解したうえでゼソを殺した。

 彼女を死に追いやった奴を生かしておくことは、俺にはできなかった。


「このゲームをやめるか? 無理には引き止めないが私は今ある計画を進めている。それをお前にも手伝ってもらいたいと思っている」


「計画?」


「そうだ、今回のゼソのようなこの世界の法では裁けない輩を排除するクランを立ち上げようと思っている」 


「あんたは、そんな殊勝な考えで動くヤツじゃないだろう?」


 ラグとの対立や、この世界の人間との付き合い方を思い返してもタキトスが他人のために事を起こすのは考えづらい。


「旦那、信用ないですねぇ」


 スカーと名乗った男が、声を押し殺して笑っている。


「ジュライ、私が許せないものが何かわかるか? 私は自分のものを他人に奪われることを決して許しはしない。それが虚構の世界であってもだ。お前も今回のことで身をもって奪われる側を体験したはずだ」


 もっともな言いように、押し黙るしかない。


「お前の言うとおり、私に殊勝な考えはない。この世界は現代世界比べると未熟でいつ奪われる側になるかも分からない。私は自分が奪われないために先手を打ち脅威を排除するだけだ。それがこの世界の人間のためになるのだったら、それは副産物みたいなものだな」

 

 タキトスはゼソであったものを見ながら語っていたが、視線を俺に向けると宣言するように言い放つ。


「最高の環境を用意してやろう。ジュライ、そこで強くなれ。二度と己のものを奪われないように」


 相変わらずの仏頂面で、タキトスが何を考えているか読み取ることはできない。


「あんたが俺の脅威にならない保証でもあるのか?」


 ありえなく無い未来が口をついてでる。


「その時は、お前が私を討てばいい」


 そう言ってタキトスは不敵に笑った。


「……いいぜ、その話のった」


 急にこんなことを言いだすタキトスのことは、信用しきれていない。

 だが、もしあの時もっと俺に力があればアンナのことも救えたんじゃないか、という考えは常に頭のなかにあった。

 この世界でやり残したことといえば、その力を得られた先に何があるのかを見てみたい気持ちがあるだけだった。


 そして、何よりアイツとの決着がついていない。


「ラグたちとの対立もあるかもしれんぞ?」


 タキトスは試すかのように、意地の悪い顔をして俺を見る。


「今はまだ敵わないかもしれないが、いつかは決着をつけないとな」


「そうか……なら今日から同志だな」


 滅多に笑わないタキトスが少し笑ったと思ったが、直ぐにいつもの仏頂面になって

いた。


「しかし、三人で始めるのか?」


 周りを見回しても俺、タキトス、スカー以外に人影はない。


「いや、ここには居ないが二人は当てがある」


「ドS姉弟だけどね」


 スカーが少し苦笑いを浮かべている。


「あんたといい、まともそうなヤツは見込めそうもないな」


 予想はしていたが、まともな人間の集まりなはずもなかった。


「言うねぇ」


 俺の皮肉にもスカーは特段気にした様子もなく笑っている。沸点は低いのか?


「力量があり方針に従うなら、多少のことには目もつぶろう。どの道、我々の行いは外れた道だ」


 タキトスは、そう言いながら身を翻して屋敷の外に足を進め、大剣を担いだスカーも続く。


 俺はリベレーターの定宿である『銀の羽亭』の方角を一瞥したあと、彼らの後を追い歩き出した。




 リベレーターのことを考える。

 悪くないクランだった。

 今まで生きてきた中で、一番充実した時間を送れたのは確かだった。


 ラグに恨みという感情は湧かなかった。

 それよりも、あの時止められてしまった己の力量が歯がゆかった。


 ゼソを殺したことに後悔はない。

 たから、ここでリベレーターのみんなと袂を分かつことになっても、今度こそ守れるように誰にも阻まれない強さを手に入れると心に決める。


 心残りがあるとすれば、アンナが天に還るのを間近で見送ってやれないことだ。

 ただ、アンナの笑顔を思い返そうとしても上手く形にならなかった。

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