第9話 ヤウリ村決戦1
六日前、アンナは久しぶりの里帰りに浮かれていたところに、いきなり冷や水を浴びせられたように襲撃を受け捕まってしまった。
それ以来、村長の家にある集会所で軟禁生活を強いられている。
女性は集会所に、十歳ぐらいまでの子どもは村長夫妻と村長宅に分けられて収容されており母親たちに迂闊な行動をとれなくしていた。
大切な商品だからと酷いことはされていなかったが、いつ気が変わるかも分からない。
帰らないアンナを心配してヨーコが助けを寄越してくれるのを期待していたが、アンナより前からこの生活が続く村の人たちの精神が擦り減っているのも目に見えて分かった。
アンナは意を決して目立たぬよう、小声で母親のノンナと姉のハンナに考えを打ち明けた。
「私が何とか抜け出して、隣の村に助けを呼びに行くよ」
「でも、同僚の方が助けを出してくれているかもしれないんでしょう?」
「この村の現状は知らないはずだから、そこまで当てにはできないよ」
「助けを呼びに行くにも、この見張られた状態でどうやって抜け出す気だい?」
姉妹のやり取りを聞いていた母親が口をはさむ。
アンナの家族は、父親が十年以上前に事故で亡くなっており、母と姉妹の三人家族だった。
普通は再婚するところだが、ノンナは女手一つで姉妹を育て上げた快活な母親だった。
「私の作った魔輪がまだみつかっていないから、これで見張りを眠らせてその隙に助けを呼びに行く」
襲撃を受けて劣勢になったとき、咄嗟に後ろを向き指輪型の魔輪を胸の谷間に隠していた。
武装解除はされたが、そこまでは確認されずに監禁されたのだった。
「隣の村までは、半日以上かかるのよ? モンスターも出るかもしれないのにたどり着けないわ」
妹の案に、心底心配している。
「大丈夫よ、魔具の試射用に魔術も幾つか契約しているの、この辺りのモンスターなら対処できるよ」
実際アンナは、属性魔術も契約はしていた。だが、実際に使った事はない。
アンナは魔具店で見習いとしてヨーコと働いている。
いま彼女が持っている魔輪は、ついこの間ヨーコ共に手習いで作ったものだった。
実際には生活魔術の【イグニス】を使っただけで、属性魔術や支援魔術に耐えられる物かは未知数だった。
そんな娘の自信あり気な様子を、じっと見つめていたノンナだったが小さな溜息をつく。
「今はやめておきな。そのヨーコさんの助けがないことがはっきりしてからにしておくれ。危なかしくってしようがない」
娘が何か隠していることを悟ったような物言いに、アンナは言い返すことができなかった。
だが、その日の夜、見張りの男の一言で事態は一転する。
「お前らは明日モナードに立ってもらう。長旅になるからしっかり休んでおくんだな」
「そんな……」「ついに奴隷に……」「あぁ……」
捕らえられた女たちから絶望が漏れるなか、ノンナが真剣な顔をして小声で言う。
「アンナ、お前は今夜立ちな」
いきなりの母親の言葉に、アンナは憤慨する。
「そんな! それじゃあ私だけ逃げだすみたいじゃない。嫌よ!」
思わず声が大きくなってしまい見張りの男に睨まれるが、アンナたちの位置が集団の中央辺りだったので内容までは聞き取れなかったようだった。
「今夜立って救援を呼べばウィンディア国内で見つけもらえるかもしれないだろ? 明日になってお前も一緒にモナード行きになっちまったら、誰が助けてくれるんだい」
「でも……」
「それに同僚のヨーコさんが寄越した助けも近くまで来ているかもしれない。合流できればぐっと助かる確率があがるんじゃないかい?」
そこには娘一人でも逃がしたいという親心も混じっていた。
アンナは考える、確かに母親の言う通りウィンディアを出てしまったら、国の衛兵
が動いても探すのは難しくなってしまうと思い意思を固めた。
「分かったわ。必ず助け呼んでくるから待っていて」
それからアンナは母親と姉とで、見張りに悟られないよう周りの村の人たちに事情を説明して、一人で村を脱出することに理解を求めた。戸惑った人もいたが、明日に迫ったモナード行きの事実に一同了承したのだった。
偶然にもラグたちの作戦と時を同じくして日をまたいでから、室内の広場方面角にいる見張りの一人を【スリープ】で眠らす。
魔術射程がアンナのいる位置から届く範囲だったので、人質の女たちの陰で詠唱することができた。もともと、椅子に座り壁にもたれかかり眠気で船を漕いでいる状態だったので問題なく睡眠状態になった。
【スリープ】は下級支援魔法で対象一体を睡眠状態にする魔術である。
対象が詠唱者に気付いていると格段に成功率は下がるが、不意打ちの場合は確実に睡眠状態にできる魔術。対象が眠らない存在の場合は効果が無い。
次に、広場側と反対の壁には二つの扉があった。村長宅の玄関と外に通じる勝手口がある。
玄関の方は監視しやすいよう開けっ放しになっていて、勝手口の外にも見張りが一人立っていた。
ここはハンナがトイレを理由に外にでて見張りに話しかけて気を引いている内に、後ろの扉の隙間から【スリープ】を不意打ちで放ち眠らせることに成功した。
「行ってくる」
「気を付けてね」
ハンナと短い言葉だけを交わし、アンナは夜に紛れていった。
ただ、アンナは気付いていなかった。
二度の魔術行使により、手習いで作った魔輪では魔力変換に耐えきれず、かすかなひび割れ発生していることを。
こうして、周りの村民の理解と姉の力も借りて村長の家を一人脱出することができたアンナだったが、暗闇のなか裏道を探している時に運悪く見張りの一人に見つかり追われることになってしまった。
「せっかく、みんなと姉さんが逃がしてくれたのに!」
このままでは追いつかれてしまう。アンナは焦っていると、ふとある考えが頭をよぎる。
(【スリープ】が成功したなら初級火属性魔法【ファイアボール】も使えるはず。当たらなくても警戒して足止めにはなるかも知れない)
勇気を奮い立たせて、立ち止まり振り返って詠唱をする。
「【アクセプト】!」
起動詠唱をして、空中に展開された魔輪がはめられた右人差し指で刻印を描く。
手習いで作った魔輪の性能では、指で描いた黒線の軌跡に沿って描かれていく光の線の追従が遅い。早く描きすぎて光の先端と距離が開き過ぎても失敗となるので、光の追従を待たねばならず刻印の完成に時間がかかる。
(早く、早くして、追いつかれちゃう)
アンナの必死な願いをよそに、先頭の男との距離は縮まっていき松明の光により互いの顔が見えるところまできて、ようやく刻印が完成する。
「【ファイアボール】!」
右腕を男にかざして発動詠唱を唱えたその時、アンナの魔輪に閃光が走り砕け、発光していた刻印が爆発する。
「「!?」」
本来、火球が対象へ向けて飛来する魔術がその場で爆発し、衝撃波で悲鳴を上げる間もなくアンナは後ろに吹っ飛ばされる。
アンナとの距離を詰めていた男は、爆発との距離がまだあったため吹き飛ばされずに済んだが、自分に向かって魔術を使ったことに激昂していた。
「女ぁ! 殺してやる!」
全身の痛みと朦朧とする意識のなかで、怒り狂った男が右腕に持つ剣を振りかざして迫ってくるのを見て(私、死ぬんだ)とどこか他人事のようにも感じながらアンナは動けずにいた。
男がアンナに追いつき振り上げられた剣が降ろされるその時、横からの一閃により右腕が飛び、男が頭を殴られたように吹っ飛んでいった。
アンナの視界に男が退場したあとに映っていたのは、落ちた松明の灯りに照らし出されている肩で息をした赤毛の青年だった。
追われている女を見て飛び出していたジュライは、暗闇のなか男の持つ松明の灯りを目指して走っている。
かなり近くまで接近したとき突然前方で爆発が発生し右側に仰向けに倒れている女と、左側に激昂して剣を振り上げた男がいるのを見つける。
タイミング的に必殺でなければ助けることができないと判断したジュライは一瞬躊躇するが、『もしその躊躇で守るべき人が死ぬくらいなら、殺す』というラグの言葉を思い出した次の瞬間には一閃を放っていた。
繰り出された刃は、相手の右腕を飛ばしこめかみに深く切り込んだが頭蓋骨を切り飛ばすまでには至らず、その勢いのまま男を引き倒す形になった。
こうして凶刃からアンナを守ったジュライだったが、次の追手が迫りつつあった。
「ジュライどうしたの……アンナ?」
いきなり飛び出していったジュライを、ヨーコは心細さもあり追って来ていた。
見つけたジュライを見ると、視界に倒れた男と仰向の女が動けないでいる。落ちている松明の灯りのなか、よく見てみるとその女がアンナだということに気付く。
「ヨーコ、そいつを連れて逃げろ! 追手が来てる!」
男を切り殺した感慨にふける間もなく、村の方から近寄ってくる松明の光を確認し、ついてきてしまったヨーコに指示をだす。
ヨーコは言わるまままだ意識が朦朧としているアンナの手を取り、支えながら後ろに下がっていく。
そうしている間にも追手は迫り、次の男がジュライと対峙した。
「てめえ、何もんだ!?」
「雑魚に教える名はねぇな!」
煽ってはみたが、男の後ろから松明の灯りがもう二つ近づいてくるのが見える。
焦りからか目の前の男との斬り合いに身が入らない。いつものジュライの剣筋ならこの程度の腕前の男なら圧倒しているところだが、上手く受けられてしまっている。
そうしている間に、二人の追手に追いつかれてしまった。
「ここは二人でいい! 一人は逃げた女を探せ!」
ジュライと対峙していた男が、二人なら倒せると踏んで一人をヨーコたちの捜索に回す。
それを聞いていたジュライが、自分を弱く値踏みされたことに激昂する。
「なめやがって!! 死ねぇ!」
焦りも一人殺したことも忘れ、猛然と斬り込み始め次第に二人を圧倒し始めた。
一方、ヨーコは身長差のあるアンナを支えて逃げている。
「アンナ! しっかりして!」
「ヨーコ? どうして……」
ヨーコがアンナに声をかけるが、まだ意識が判然としないようだった。
怪我の方も右手の損傷が酷く血が止まっていなかった。
このままでは危険と判断したヨーコは、木の陰にアンナを隠し怪我の治療を始めた。
「【ヒール】」
回復魔術をかけると、たちまちアンナの怪我は回復していき何もなかったように元に戻った。
初級回復魔術の【ヒール】は、単体対象とした回復魔術で一回使えばどんな怪我でも治すことができる。ただ、当然コストはかかり一日に十回も唱えたら昏倒するのは間違いなかった。
ちなみにヨーコが今つけている魔輪は腕輪タイプで、冒険者になりたての頃に用意した品で正規品であり、手習いで作った指輪は王都に置いてきていた。
アンナは怪我も治り意識もはっきりしてきたのか、感極まった様子でヨーコを見た。
「来てくれたのね……ヨーコ。ありがとう」
「そんなの当たり前でしょ! 無事とは言い難いけど見つかって良かったわ……」
ヨーコが少し涙ぐむ。その時、そう遠くない場所から足音が聞こえてきた。
「私達を探してる……灯りは一つだけみたいだけど近づいているわ」
小声でヨーコが木陰から覗き込み、状況を確認する。
「ごめんね。ヨーコをこんなことに巻き込んでしまって」
「違うわ、元々帰省を勧めたのは私だし。村がこんなことになっているなんて誰にも
分からなかったよ。」
「村の状況を知ってるの?」
「えぇ、偵察に行った仲間が村の人と話ができたの、それで村の奪還作戦を村の男の人たちと一緒にやろうとしていたところよ」
「そんな話になってたなんて……」
アンナは、自分たちには知らされていなかった事実に困惑しているようだった。
そんな彼女を見ながらヨーコは焦って考える。
目の前には、監禁生活であきらかに憔悴している友人。
遠巻きに聞こえた追手を掛ける声、聞こえた足音、すぐに賊が現れるかもしれない。
追手一人だけ迎撃できれば、アンナは助かるかもしれない。
それでも、動けなかった。恐怖が勝った。
暴力が絡むとどうしても過去の出来事が枷になる。
ヨーコこと新庄陽光は、いわゆるトランスジェンダーで肉体は男性だが心は女性だった。
性的マイノリティも二十一世紀末には社会的に認知され、理解のある家族の元で小学生までは幸せに暮らしていたが、中学生になるころ両親の事故死により親戚の養父母に育てられるようになってからは事情が一変する。
養父母は、前世紀の偏った価値観に凝り固まった人間だった。
ヨーコの個性を認めず男でいることを強要し、少しでも意に添わなければ暴力を振るうようになった。
優しい心の持ち主だった彼女は逆らうこともできず、成人して独立するまで養父母の元で生活することになる。
独立を果たし、やっと本来の性を取り戻して数年たった最近になって、元来の明るさも戻ってきつつあったが、暴力に対する恐怖は心身共に染みついてしまい、そのせいでヨーコの体は動かなかった。
強張った顔をして、尋常でない様子のヨーコを見てアンナはそっと手を握る。
「いいの。ヨーコ、あなただけでも逃げて。あなたが暴力に対して強い恐怖を感じているのは知っているもの、それなのにこんなところまで来てくれたことに感謝してる」
アンナはヨーコが死なない『教会の冒険者』ということを知っている。
知っていながら自分のことよりも友達の心労を察して心配しているアンナを見たとき、守るべき人が死ぬくらいなら自分の手を汚すと決意をした仲間を思い出した。
(ラグもジュライも自分が巻き込んだ。なら自分がすべきことはなに? 暴力に怯え震えているだけ? 違う! 目の前の友達を守れるのは私だけだ!)
「大丈夫、私がやるわ。ここで、じっとしていてね」
「ヨーコ……あなた……」
ヨーコの顔はまだ強張ってはいるが、目は先程までの怯えが消え何か吹っ切れたように見える。
「なら二人でやりましょう! ここは私の村よ、必ず取り戻すんだから。ワンドを貸して」
アンナとしても自分だけ逃げだす訳にはいかなかったので、努めて明るく言いそんな気遣いにヨーコも頷く。
「私がワンドで時間を稼ぐから、ヨーコは魔術をお願い」
「分かったわ」
アンナがヨーコより半歩前にでて、借り受けたワンドを構える。
そこに追手の男が近づいてきた。
「なめた真似してくれたな! そっちの女ともども痛い目みせてやる」
男の怒気にヨーコが一瞬怯むが、アンナがそっと彼女に寄り添い頷くことで気を取り直す。
ワンドは魔具店で取り扱う商品なので、アンナも扱いは心得ている。
彼女のワンドによる先制攻撃で、戦いの口火が切られる。
ワンドを指揮者のように振り、振り切った先へ衝撃波が飛んでいく、頭にでも当たれば失神させられるが動いている的に当てるのには修練が必要になってくる。
「当たるかよ!」
男はワンドとの戦いの経験があるようで、トリッキーな動きで躱していく。
「当たらない!」
攻撃を避けられ、徐々に距離を詰められて焦るアンナを見ながらヨーコは一昨日のことを思い出していた。
ヨーコは旅の最初に、もし戦うときのためのレクチャーをラグとジュライから受けていた。
ワンドでの戦いで直接相手に当てるのが難しいときはフェイントを入れ、動きを少し先読みした地面を狙うと牽制になり、有利な戦況に持っていけると教えられていたことを思い出す。
「アンナ! 足元よ! 撃つフリを混ぜながら相手の進む方の地面を狙って!」
ヨーコの指示をすぐに実行すると、地面が衝撃によって爆ぜることで舞う石や土などにより狙いが少々外れても明らかに男の動きが悪くなる。
ヨーコは魔術詠唱にはいった。
「【アクセプト】」
ヨーコは痛みを知るからこそ、傷つけることにも深い忌避があった。
属性魔術では威力が高すぎて、とても使う気になれなかった彼女が選んだのが支援魔術【バースト】だった。
【バースト】は対象を後方に吹き飛ばす非殺傷魔術であり、今のヨーコの精一杯の攻撃手段だった。
全魔術共通の仕様で刻印を描いているときは動くとこができないが、刻印に成功し発動させるまでの十秒間は、刻印を保持したまま動くことができた。
発動させずに十秒を過ぎてしまうと、失敗とみなされその魔術の消費マナも失ってしまう。
アンナの足元への牽制に苛立っていた男は、ヨーコが動くのを見逃していた。
「くそがぁ! お前はぶっ殺す!!」
怒りのあまり視野の狭くなった男は、アンナしか見ていなかった。
ヨーコは刻印を完成させるとアンナの傍を離れ右側から回り込む、アンナは足元や頭付近への攻撃を男の右手側に集中させ注意を引く、ヨーコが男の左手側に肉薄し気付いた時には遅かった。
「【バースト】!」
男の至近距離で魔術が炸裂する。【バースト】はそれ自体にダメージは無いが、人間サイズの物体なら術者から十メートル以上吹き飛ばすことができた。
今回ヨーコが狙ったのは肉薄することで吹き飛ばす距離を稼ぎ、男の背後に木がくるように位置取りをすることで木に打ち付け気絶させることだった。
「がっ!?」
炸裂した魔術は、男を五メートル程吹き飛ばし木に強かに打ち付けた。
これはこれで当たりどころが悪ければ死に至るが、今回は昏倒ですんだようだった。
「やった?」
「やったわ!」
ヨーコが信じられないといった感じで男を見ていたところに、アンナが膝を付き抱きついてくる。
「ありがとう。ヨーコ。勇気を出してくれて、あなたのおかげで私は助かったよ」
アンナは、ヨーコが自分でやったことを理解できるよう噛み砕くように言う。
「私、あなたを助けられたのね……」
「そうよ! あなたのおかげだよ」
まだ、呆然としているヨーコをきつく抱きしめ感謝を伝えていると、ジュライが飛び込んでくる。
「ヨーコ!」
慌てて周囲を確認すると、落ちている松明に照らされ二人が抱き合っているのを見つける。
「無事か……追手は?」
「大丈夫よ、追手はそこで伸びているわ」
「そうかぁ、よかった……」
木の根元で気絶している男を確認しながら、よほど焦っていたのか本心から漏れた言葉だった。
ヨーコも心から心配されていたことを感じとり、ジュライが無事なことに安堵する。
「そっちの追手はどうしたの?」
単純に気になって聞いたヨーコだったが、ジュライの反応は予想以上のものだった。
聞かれた瞬間、叱られる子供のように体を委縮させ唇固く結ぶ。
「殺した……」
絞り出すように言うジュライの手の辺りが、返り血を浴びたのか赤く染まっている。
ジュライの様子に困惑するアンナだったが、ヨーコが居た堪れない表情になっているのを見て彼も人を傷つけたのが初めてだったのではと察した。
アンナは立ち上がり、ゆっくりとジュライに近づきそっと気遣いながら血で染まった手に自分の手を添える。
触れられたときは一瞬強張ったジュライだったが、アンナの優しく包み込むような手付きに安心したのか手を振りほどくことはしなかった。
「私はアンナ。あなたのおかげで命を助けられたよ。本当にありがとう」
アンナはそう言いながら、ジュライの手を持ち上げ自分の額につけるように感謝した。
「あんたが、アンナだったのか……」
そこで初めて自分が助けた相手がアンナだったことを知るジュライは、目の前で自分の手を額につけて感謝の意を示している女性を改めて見た。
チュニックワンピースを着たヒューラで十代後半に見え、胸は大きいが標準体型で栗毛を肩まで伸ばしている。特徴的なのは、少し垂れ目なブラウンの瞳に右目尻には泣きぼくろがあることだった。
そのアンナの真摯な態度に、ジュライは腹の内にあった仄暗い澱のようなものが薄まるように感じた。
「私からもありがとう。アンナを助けられたのはあなたのおかげよ」
「いや、一人は逃しちまったんだ。それを倒したあんたたち二人も大したもんだぜ」
いい加減照れ臭くなってきたのか、アンナの握られた手から逃げ出すように手を引く、それを見た二人は小さく笑った。
「追手は巻いたようだけど、村のほうでことが動き出したみたいだな」
ジュライの指摘どおり、村の方角から喧噪が聞こえ始めていた。
「ヨーコの言っていた作戦?」
「……時間的にまだ早い気もするけど、私たちの騒ぎもあったから早まったかも知れないわね」
「私が、村まで案内するわ。集会所にいる人たちを逃がせば、戦いやすくなるんじゃない?」
「いや、あんたたちはここで待機して逃げてきた人たちを保護してくれ」
「そんな訳にはいかないよ! ここは私の村だもの!」
ヨーコに言ったようにジュライにも訴える。
「正直あんたたちを守りながら戦うことはできない。それにそのワンドは後何発撃てるんだ?」
追手の男との戦いですでに、ワンドのエーテル残量は十発ほどだった。
「分かったわ、ジュライも気を付けてよ」
「ヨーコ!」
アンナは諦めきれず、ヨーコに縋る。
「私たちが行くことで、ジュライを死に戻りさせてしまうかもしれない。ジュライが居なくなったら村奪還の確率がぐっと下がってしまうわ」
「それは……」
ここまで言われてしまうと、アンナも反論できなかった。
「じゃあ、村長の家に近い場所までは案内してくれ、そこに村の連中を逃がすようにする」
アンナの気持ちも分かったので、ジュライはできるだけ希望に沿うような提案をする。
その提案に泣きそうなアンナの顔が持ち直す。
「こっちよ」
少しの時間も無駄にできないと、アンナが先頭に立ち走り始める。
それを追ってジュライとヨーコも走り出した。
夜はまだ深く松明を持たない三人は、闇に紛れて見えなくなった。
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