カン、カン、カン

特別集中力があった訳ではない。一日に集中出来る時間は他の人とあまり変わらなかった。他と違っていたのはその集中の向け方だった。時には勉強に、時には趣味に、時には人間関係にと、広く優しく降る雨を普通の集中の仕方だとすれば、彼のは狭く激しく流れる滝だった。一度流れ始めたら、興味が切れるまで同じ所にひたすら降り注ぐ。

これが幸いか、はたまた不幸か、彼には分からなかった。その代わり、若くして確信出来た事が一つだけあった。それは、才能というものが存在しないという事実。文なり武なり、分野問わず関心を持った物に没頭し、あっという間に上達し成果を上げる。努力せずに成功する事もなければ、努力が永遠に報われない時もなかった。天が時間を賦与し、その時間を活かせて才を築くのは人間。「天才」という言葉を卑怯に思い、それを使う人を怠け者だと見下していたが、軽蔑の奥には羨ましさもあった。

滝は岩をも砕けるが、雨と違って木は育てられない。

その感情が強すぎるせいか恋が愛になる前に燃え尽き、親しみが友情になる前に腐る。理解者を求める時間を惜しむあまり理解なんてされまいと勘違いして、ますます孤独に陥る。本来、孤独な人間には誰も居ないというわけではない。なにせ、自分が居るのだから。しかし、全身全霊を何かに捧げた後にそれに飽き、また別の何かに四六時中浸り、またしても飽き、それを繰り返して生きていけば、そのうちに「自分」とは誰なのかさえも見えなくなってしまう。独りですらなく、無だった。

無であるが故に、意志を持たず流されるだけの青春だった。掻き集めた疎らな知識は一般人のより深いが、それにして中途半端。優れていると言われるくらい登り詰めたとしても天辺には届かず。

青春が終わり、職に就かないといけなくなったとき、もちろん夢や計画ではなく、その時興味を持っていた事を生業にすることにした。偶然に導かれて彼は鍛冶屋になった。

彼の作る剣は、申し分のない物だった。それも当然で、仕事として始める前には剣を眺め、金槌を調べ、窯を学び、昼も夜も練習し続けていた。客が居ようが居まいが、建てたばかりの店には絶え間なく彼の上達の為に打たれる鉄の音が響いていた。カン、カン、カン、と。

鍛冶に興味を持った以上は必死になって、世界一の鍛冶屋にならんとする勢いで励む。それは上手に鉄を打つ事に留まらず、市場に出て上手に売り込む事をも意味していた。生まれつきの才能がなくても、上質な剣を作くる能力も買い手にそれを理解してもらう能力も身に付いていた。最初の客が出来たら、次の客を見つけるべく更に努め始める。カン、カン、カン、と。

地道な努力が実を結び、気付いたら村で一番の鍛冶屋になっていた。満足を知らない彼の虚無な向上心で見る見る作品の刃達も磨かれ、村は街へ、街は国へ、国は大陸へ、大陸は世界へと。ひたすら鉄を打ち続けた。カン、カン、カン、と。

しかしその努力も向上心も興味次第。水が切れたら滝は止まる。今まではそうだった。ところが今度はそうはいかない。仕事だから、責任だから、義務だから、求めずとも成り果てた「自分」だから。興味はもうなく、打ちたいとはもう思えないが、辞めるわけにもいけず、来る日も来る日も鉄を打つ。カン、カン、カン、と。

相手が王ともなれば、剣を一本売っただけでも一生面白おかしく暮らしたとしても使い切れないほどの金が手に入る。それに加えて、彼の暮らしは面白くもおかしくもなかった。養うのは自分のみで、贅沢には何の興味もなかった。使いもしない金が無限に無意味に貯まり続けるだけ。目的など何も無い。無闇に無心に打ち続けるだけ。カン、カン、カン、と。

もう、続けることで何の喜びも得られないのに、いつ辞めても困らないのに、辞めたいとは思えない。むしろ、一日も休まず働く。休むのは却って苦痛。長い間鍛冶に専念しすぎた結果、それ以外は何も残っていない。それ以外に何をすれば良いか分からない。起きて、打って、食べて、寝る。打って、打って、打って、打って。カン、カン、カン、と。

打っているのか、打たれているのか、それさえ分からなくなった。しかしもう遅い。やることは一つ。

今日も、カン、カン、カン、と。

明日も、カン、カン、カン、と。

ずっと、カン、カン、カン、と。

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弦・短編集 Marco Godano @MarcoG

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