第2話 こんにちは、美しい世界

その老人と彼に膝枕をしてもらっている小さな女の子は、崖の上にある大樹の陰ですやすやと寝ていた。


晴れた日にこの場所で昼寝をするのがここ最近の日課となっている彼らは、いつものように近くの街から決まった時間に聞こえてくる鐘の音で目を覚ました。


ゆっくりと体を起こしながら、ふあぁ、と二人おそろいであくびをした。

女の子はまだ眠そうな目で遠くの原っぱをぼんやりと眺めた。

しかし、彼女の視界の中にいつもはいないであろうものが見えた。


「じいちゃん、じいちゃん!」

好奇心で眠気が吹き飛んだ女の子は、まだ眠そうな老人の服を引っ張った。

「あそこに、ヒトがいるよ!」

老人は女の子の言葉に半信半疑だったが、遠くの方にヒトがいるのを確かに確認し驚いた。


「ほんとだ。珍しいねこんなところに」

「あたし、近くでみてくる!」

女の子は言いながら走って行った。


「行ってらっしゃい」

その老人は女の子の心配もせず、ただ遠目で彼女が走っていくのを穏やかに見ている。


しかし、少し気になったのは、あのヒトの挙動だ。

体をふらふらさせながら体の向きや姿勢を絶えず変えている。

まるで生まれてきた動物の赤子が、自分がいる世界をしっかり認識するように。


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ヒロの意識が戻った時、老人と女の子はまだ寝ていた。

はじめに風の音を聞き、次に風になびく髪の毛、草に触れる手の感覚に気づいた。


「んん、、どこだここ」

日常では得られない独特な感覚に、ここが良く知っている街の中ではないことを確信した。


ただ、そんな事を忘れるくらいの違和感を身体の一部から感じた。

目が温かい。


それは太陽の光が当たっているから、という単純な感覚ではなかった。

これまで何もない、無の色だったヒロの世界が優しい光に包まれていた。

今まで以上に血液が目の周りを循環している感覚も感じる。


閉じている瞼を開けてみよう。

それは今までは無意味な動作だった。

しかし、この違和感が彼の挑戦心を掻き立たせた。


瞼に力が入る。

怖い。これで何も変わっていなかったら。。

瞼が固く閉ざされる。


だけど、もし目が見えていたら・・

小さい頃見た美しい風景の写真を思い浮かべる。

年を重ねるごとに風化していったが、美しい、という感覚は今でも覚えている。

みたい

見たい

見たいっ!


ほんの少し、瞼を開けた。

まぶしい!

隙間から入ってくる光のあまりのまぶしさに思わず瞼を閉じた。

少しずつ瞼を開け、まぶしさに目を慣らす。

だんだんと光が弱まっていく。

すでに瞼は開いていた。


光によって霞がかった白色の世界は、長らく見てこなかった色、もう見ることができないと諦めていた風景へと変わっていった。


その視界いっぱいに青い空が広がっていた。


「ああっ、ああっ」

言葉に出来なかった。

無色であった世界が青に染められていく。


ヒロはその世界が霞まないように必死で涙を拭き払い続けた。

目元がヒリヒリと痛み出しても関係なかった。

その美しい青空を一瞬でも見落とすまいと目を見開いた。



どのくらい経っただろうか。

空の雲が絶えず流れているのをずっと見ていた。

すでに涙は引っ込み、目元の痛みだけが残っている。


「よいしょ」

ヒロはようやく身体を起き上がらせると、改めて周りを見渡してみた。

やっぱりここは天国なのでは、と思うほど美しく静かな世界が広がっていた。


そこは丘の上の草原だった。

三方向には森が広がっており、残りの一方向は崖になっている。

草原には花が咲いており、そよ風が吹くたびに良い匂いが漂う。


丘の先端には一本の大樹が凛々しく生えており、そして今その方向から何かがこちらへ向かって走ってきている。


え、なんだ!?


突然のことに思わず逃げようとしたが、目が見える状態で走るのが久しぶりだったためうまく走ることができない。

当然、足を絡めその場に転んでしまった。

痛いっ


ヒロは地面から身体を起こしながら、後ろを確認する。

それは明らかに彼の元へ走ってくる。

しかしその姿が鮮明になると、杞憂であったと感じた。


それは一人の女の子だった。


その子はうっすら緑色をしたおかっぱで、頭のてっぺんから寝癖がぴょんと出ている。

白いワンピースを着ているが、どうやら裸足のようだ。


女の子はヒロがこちらを向いていることに気づいたのか、走るのを止め、ゆっくりと歩いてきた。

そして少し先で止まると、真剣な顔をしながら目線を外すことなくヒロの周りをゆっくりと回り出した。

一周したところで女の子は立ち止まり、しばらく無言でヒロの顔をじっと見た。


声かけたほうがいいかな。

どうすれば良いかわからず、ヒロもじっとその子の顔を見ていた。

それはさながら、ガンマンが向かい合って銃を向け静かに機会を伺うウエスタン映画のようだ。


「*********」


最初に仕掛けてきたのは女の子だった。

ヒロに話しかけてきた。

ただ、言語が違うらしく何を言ってるか理解ができない。

ヒロの困惑した様子を見てか、その女の子は改めて言い直した。


「えっと、あたしのこと見えるの?」

彼女は流暢な日本語を話した。

ヒロは言葉が通じることにほっと胸を撫で下ろした。


そこで初めて、彼女が言ったことを頭の中で繰り返した。

あたしのこと見えるの、とはどういうことだ?

困惑しつつ、しかし一応反応はしようと思い、ゆっくり頷いた。

すると、女の子は一気に表情を強張らせ、後ずさりを始めた。


どうやら怖がらせてしまったようだ。

相手の警戒心を解くために、ヒロはゆっくりとした口調で女の子に話しかけた。


「えっと、こんにちは」

そう言った瞬間女の子はこちらに背を向け、ぎゃあああああ、と叫びながら大樹の方へ走って行った。


ヒロは一人ポツンと草原で立ちながら、女の子を怖がらせてしまったことにショックを感じていた。

もしかして僕は愛想が悪いのか?


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最初に老人が違和感を感じたのは、あのヒトがまるで女の子に気づいたようにこちらを向いたときだ。

そして身体の向きを変えたかと思うとすぐに転び、再びこちらを見ている。

女の子も気づいたらしく、走ることをやめ少しずつ近づき、ヒトの周りを回り出した。

驚くべきことに、そのヒトも女の子の動きに合わせて自身の身体を動かしていた。


やはり、見えているんだ。。


二人は向かい合ってお互いを見ており、しばらくすると、ぎゃあああああ、と叫びながら女の子が帰ってきた。


「じいちゃん、じいちゃん!!」

興奮した様子の女の子が言いたいことはその老人にはわかっていた。


「あぁ、あのヒト、お前のこと見えていたな。。」

「そう!そうなの!!それにあたしが言ったことも聞こえたみたい!!」


信じられない。声が聞こえるのはともかく、私たちを見ることができる者がいるとは。


「じいちゃん、どうする??」

女の子は興味がありながらも、少し怖そうだった。


これは、大変なことになりそうだ。。

老人は重い腰をあげ、女の子と一緒にそのヒトの方へと歩き始めた。

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