盲目の少年は異世界をみる
牛田 創
第1話 さようなら、色のない世界
偶然というのはないのかもしれない。
ビビビビビビ
けたたましい音が耳の骨を振動させる。
今、ヒロの身に危険が迫っていることを知らせている。
「右方向から自動運転車が向かってきます。衝突まで3秒」
自動生成された女性の声が早口で現状を伝える。
3秒あれば普通なら避けられただろう。
実際彼の身体は反射的に後ろに下がろうとした。
しかし、ヒロは自身の本能に一瞬抗ってしまった。
向かってくるものがただの危険なものではなく、自分をこの世界から自由にしてくれるものだと思ってしまった。
キュルルギュルル
タイヤの擦れる音が近くで聞こえる。
ハッと我に返り、理性を取り戻す。
脳が再度「避けろ!」と全速で身体に命令を下した。
悲しくもそれは無駄に終わった。
既に体のすぐ右側に巨大な塊があることが直感で分かった。
身体との距離が1mを切る中、これまでずっと心の底に押し込めてきた願いが、叶うわけがないと諦めていた生きることに対しての希望が、ふと口からこぼれた。
「もっと世界を見たかった」
偶然というのはないのかもしれない。
心のどこかで死を待ち望んだ少年が、交通事故にあったのも。
叶わない願いを持った少年が、異世界に転移させられたのも。
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ジジジジジジ
アラームの音がする。
頭の右上に手を伸ばし時計を探す。しかし、いつもの場所になく手のひらは空を切った。
おかしいと一瞬思ったが、すぐ時計の場所を昨日の夜移動させたことを思いだした。
動かしたことを少し後悔しながらベッドの下に手を伸ばし、時計の頂点にあるボタンを軽く沈ませた。
おかげで二度寝はしなかった。
静寂が訪れる。
幸い、世界に一人取り残されたようなこの感覚にはもう慣れた。
静寂を自分の足音と寝間着のこすれる音でかき消しながら、壁に取り付けた手すりを頼りに寝室から出る。
平日の朝はルーティン化されている。
まず初めにトイレ、次に洗面所へ向かい、洗顔と歯磨きを済ます。
ねむけを取った後、キッチンへ向かい冷蔵庫を開く。
タッパーに詰められている朝食と夕食が、順番に規則正しく並べられている。
障害のある学生への支援の一環としてヘルパーさんが定期的に部屋に来る。
その際、家事の手伝いに加え、次までの間のご飯を作り置きしてくれているのだ。
今日の朝食分を手に取り、リビングに移動する。
食器はテーブルに種類ごとに円柱の入れ物に入っており、その中から箸を選び食べ始める。
白米にシャケ、ポテトサラダ、あとよく分からない果物が入っていた。
シャケの骨は全部取り除かれており、食べやすくなっている。
ラジオをつけ、今朝の東京のニュースを聞く。また誰かの赤ちゃんが生まれたそうだ。
平凡なニュースを聞きながら、タッパーをキッチンに運び軽く水ですすいだ後、水切り台に置く。
もう一度寝室へ戻り、高校の制服に着替える。
そして玄関に移動し靴をはいた後、カメラ付き骨伝導イヤホンを装着する。
目的地までのナビサポートと、危険な事象に対する警告を使用者に行う。
「行ってきます。」
今日、北総広世がこの世界に対し最初に放った言葉だった。
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ヒロは小さい頃から目に違和感があった。
昼間は至って普通に生活することができていた。
周りの友達とよく走り回る元気な少年だった。
しかし、夜暗くなるとモノが見えづらくなった。
ビタミン不足や睡眠不足という後天性の原因があるのだが、彼のは先天性のものだった。
モノが見えないというのはやはり怖く、何もない所から突然モノがブワっと現れる感覚に常に怯えていた。
小さい頃はよく驚いたし、よくけがもした。
そうはいっても最初に言った通り、光があればこの世界を自由に動き、視野が許す限り見渡すことができた。
ただ残念なことに年を重ねるごとに、日常の生活にも支障をきたすようになった。
視野が狭くなり、日中でも人やモノにぶつかりやすくなった。
外の世界が怖くなり、屋内で過ごすことが多くなった。
さらにモノの色がわかりづらくなっていった。
当時読んでいた図鑑の色彩豊かな写真たちが日焼けした紙のような黄ばんだ色に見えた時は、特に悲しかった。
症状は容赦なく悪化していった。
ついに、ヒロが中学校を卒業するころには、彼の目には何も映らなくなった。
色鮮やかなこの世界から切り離され、代わりに無のみが存在する世界をただひたすらに生きてきた。
幾度となく彼の頭の中で想像した図鑑で見た風景も、時間が経つにつれ、まるで書いたばかりの絵に水をかけたように、色が混ざりあった不明瞭で不快な落書きに変わりつつある。
中学生のころ医者が言った、あと数年したら治療法が必ず見つかる、という言葉だけが、唯一自分をこの世界にとどめてくれていた。
ただ、それはこの弱弱しい意思が握っており、いつでも離してしまう、もしくはわざと離す可能性を孕んでいた。
だから、今日死んでいなくとも、いつか死んでいたかもしれない。
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ヒロが住んでいるのは学生寮の1階。
障がいを持っているという事で、エントランスに近い部屋を優先的に提供された。
高校までの距離は歩いて10分程だが、彼はいつも一時間前には寮を出る。
ホームルームが始まる時刻の30分前からエントランスは学生で溢れ返り、大変騒々しい。加えて人口密度の高い場所は、目の見えない彼にとっては猛獣のいるジャングルのようなものだ。
突拍子もない高校生の動きは、予想外な出来事を起こす。
なので、彼は誰よりも早く起きて、ゆっくりと登校をする。
ただ、静かな街を一人で歩くのはかなり気分が良いことに気付いたのは思わぬ産物であった。
右手に持った白杖を慣れた手つきで使いこなし、障害物がないかどうかを確認しながら通学路を進んでいく。
時折点字ブロックが途切れる箇所があるが、これまでの経験と勘で危なげもなく歩くことができる。
朝聞いたニュースの内容や今日の授業科目を思い出しながら、その日も難なく高校の正門へ到着した。
彼はいつも通りのモーニングルーティンをこなし、いつも通り静かな通学路を一人で歩いていた。
そんな朝を壊したのは、イヤホンから聞こえる不快な警告音だった。
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この時間帯はまだ自動運転車を使う人もほとんどおらず、車両はスリープ状態になっている。
利用する際は車両に乗る、もしくは端末で近くの車両を現在地まで呼ぶことができる。
その朝、高校のおよそ200メートル先に一台の自動運転車が停車していた。
付近には人はおらず、また居住地からも離れた場所に位置していた。
しかし、人知れずスリープ状態が解除されたかと思うと、高校の正門めがけて急激に速度を上げた。
後の調査によると、何者かによって外部から車両のメインシステムにハッキングをした形跡が残っていた。
自動運転車のハッキングはこの学園都市が建設されて以降初めての事件だった。
車両は正門を抜けると、校庭を駆け抜け、校舎の出入り口前の階段に衝突し停止した。
そんな前代見問の出来事ではあったが、この事故でけがをした人の報告は一切なかった。
その時間帯に登校していなくてよかった、と学生は冗談交じりに話し、いつの間にか気にも留めなくなった。
ただ、この事故に犠牲者がいた可能性があるのは知られていた。
それは、現場に目に障がいがある生徒用の白杖が落ちていたからだ。
しかし、調べても一向に身元が分からず、けがをした人が現れていないという現状から、偶然落ちていたものだと結論づけざるを得なかった。
しかし、一部の人はこの事故に本当は犠牲者がいたことを知っている。
それが判明したのは、車両に搭載されていたレコーダーの映像を確認した時だった。
レコーダーを確認した若い刑事も何もないだろうと、日頃の残業に疲れあくびをしながら映像を見た。
レコーダーは車両のスリープ状態が解除されると同時に録画を開始していた。
車両はみるみる速度を上げ、側の建物が後ろへと遠ざかっていく。
警察官はその時、高校の正門の近くに何かがあるのに気が付いた。
車両がどんどん高校に近づくにつれて、それが人影だと分かった。
100メートルを切った時、その男子高校生はこちらを向いた。
異常事態に気が付いたようで、必死で避けようとしていた。
しかしもう遅い。ぶつかる!
思わず、刑事は目をつぶった。
しかし、再度映像に目を戻すと、車両は何事もなかったように走り続けていた。
そして映像は、校舎入り口に衝突したところで終わった。
刑事は何が起きたのか分からなかった。
確実に人にぶつかっていた!
慌てて、目をつぶった箇所に映像を戻した。
そこに映っていたのは普通ではありえない現象であった。
男子高校生の身体は、車体とぶつかる直前、そう本当に直前でふっと消えてしまった。
その映像を1フレームごとに進めてみても、彼がいる最後のフレームから一つ後のフレームにはもう彼の姿はどこにもない。
まるでこの世界にもともといなかったかのように。
急いで彼は上司に報告をした。映像に映っていた、一人の少年のことを。
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おかしなことを体験した。
まず、一向に自動運転車はぶつかってこなかった。
むしろ何かが身体に触れた感覚さえなかった。
次に、逃げることを半ば諦めていた身体が動かなくなっていることに気付いた。
恐怖心から身体に力が入らなくなった、というわけではなく、金縛りにあったかのように手の指さえ動かせず、その場に固まってしまっている。
声を出したくても口は動かず、ましてや喉さえびくとも反応しなかった。
呼吸も出来なくなったが、なぜか息苦しくはない。
そして、三つめ。世界から音がなくなった。
アラームの音もタイヤが擦れる音も気付いたときには消えていた。
もちろん自分の声も呼吸音も聞こえない。
静かな朝は好きだが、音が全くしない世界は、これまで聴覚からほぼすべての情報を得ていた彼にとって恐怖以外のなにものでもなかった。
情報を得ることは、いわばこの世界に存在していることの証明だ。
そのつながりがなくなったいま、自分がこの世にいる証拠は何一つない。
ああ、やっぱり轢かれたのか。衝撃を感じないほど一瞬で。五感を感じなくなるほど強烈に。
「ーーーーーーーーーーー」
突然どこからか、ほんのわずかだが、何かの音が聞こえた。
「ーーー******マシタ」
うまく聞き取れなかったが、それは確かに人の声だった。男性っぽい。。。
ただ、どこから聞こえるか分からない。というか、外から聞こえているのかもはっきりしない。
まるで自分の中にいる誰かが話しかけてくるような感覚だ。
「ーーー対象の転移ポイントを指定・・・完了」
「ーーー対象の使用言語のナレッジを***語にコンバート・・・完了」
しかしその冷淡な声はまるで独り言のように、意味不明な言葉を羅列していた。
”北総広世”
?!
声にならない驚きが頭の中に響く。
どうして名前を知ってるんだ?!
突然ヒロの名を呼んだ声は女性のものになっていた。
”貴方の願いは何ですか?”
その声の主は同じく淡々と言葉を発している。
ただ違いは、その言葉がヒロに向けて投げかけられている、ということだ。
突然の出来事に困惑していたヒロだったが、ようやくこの状況を整理することができた。
これは自分の妄想だ。
死という現実を直視しないために、この頭が作り出したまやかしだ。
”北総広世、貴方の願いは何ですか?”
もう一度、その女性の声は尋ねてきた。
その声は妄想にしては鮮明だった。
だんだんと腹が立ってくる。
死ぬ間際にそんなこと考えさせられるなんて。
しかし、ヒロは無意識に考え始めていた。
願い、を。
小さい頃図鑑で見た世界の美しい景色たち。
もう一度見たかった。
いや、実際にそこへ行って自分の目で見たかった。
色鮮やかな世界を全て自分の目で見たかった。
ヒロの顔は全く変化していない。
もちろん唇は震えておらず、涙は頬に伝っていなかった。
しかしヒロの心は悲しみで満たされていく。
こんなにも生きたかったんだ。
こんなにも希望があったんだ。
もし叶うなら、叶うならば。
静かな世界で佇む彼はその声に言われるがまま1つの願いを想った。
それは心の奥底に潜めてきた生きることに対しての希望。
ああ、世界の全てを見たかったなあ。
”・・・貴方の願いを承りました”
彼女がそう言った瞬間、ヒロは意識を失った。
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