第13話 第三部室棟
――帰省しちゃうから僕いないけど、部長に話はしてあるから!
昨日の雄也とのチャットを眺め、いちかはため息をついた。
しばらく交流して分かってきたが、彼は傍若無人で陰キャに理解のない男だった。
全人類に彼のようなコミュニケーション能力があるわけではない。それを分かっていないのだ。
いちかは、炎天下に首筋を焼きながら、正門前の地図を読んだ。
改めて、東央大キャンパスの広さを思う。
各種研究棟や、学生の認知率が低そうな裏門、竹藪の中の茶室など、一度も訪れたことなく、今後も訪れないだろう場所が沢山目につく。
大学って小さな街だな、といちかは地図を眺めながら思った。
人数は多いし、勉強することも生活拠点も人それぞれ。高校とは違って共通点がほとんどないから、同窓生さえほぼ他人と変わらない。その繋がりの薄さを埋めるのがサークルなのだろう。
部室棟は全部で三つあると聞いていた。
ひとつは運動系のサークルが入る第一部室棟。ひとつは文化系の第二部室棟。どちらもリフォームされたばかりで非常に綺麗な建物だ。
しかし、いちかの目的地はそのどちらでもなく、第三部室棟と呼ばれるものだった。
いちかはその文字を探す。
が。
「……なくない?」
雄也に教えられた順路を指で辿ると、そこはキャンパスの端の端の、まるで追放されたかのような辺境の地に向かっていた。
そして、第三部室棟に続くはずの道は、山の途中で途切れている……
いちかはふと、学科長が新入生オリエンテーションで警告していたセリフを思い出した。
――第三部室棟には近づかない方がいいです。
いちかは頭を振ると、とにかくその道を目指してみることにした。
中央棟へ繋がる勾配のあるメイン通りを上ってから、大ホールの脇道に移り、噴水のある池の横の小道を更に降る。
進むごとに、人通りがみるみる少なくなる。
竹の生い茂る道の先に、それはあった。
いちかは目を疑った。
ひと目見ただけで、それが学内一古い建物であることは、明らかだった。
完成当時は真っ白に塗られていたであろう壁は、今は黄味がかって薄汚く、裂け目や染みが歴史を証明するかのように刻まれている。
入り口の廂に取り付けられた『第三部室棟』の文字プレートは、フォントから昭和が薫っているし、『三』は右に六十度ほど傾いているし、『室』に至っては紛失しており、ただ壁の日焼け具合の違いによって『室』の字がくっきりわかる、という体たらくだった。
この建物に偶然出くわしたのであれば、廃墟だと疑わなかっただろう。
地震があったら一発で崩れそうだし……
しかし、友人はここで音楽をしていると言い張るのだ。
いちかは唾を飲み込むと、棟内へ恐る恐る入っていった。
◇
第三部室棟の中は、真夏の陽気に対抗できるほど、陰気で寒々しかった。
ガラスが割れて段ボールが貼り付けられている窓がそこかしこで目につく。
ヤンキー高校でもあるまいし、こんなに窓が割れるものだろうか……
いちかは周囲を警戒しながら、部室があると聞いた三階へ、急な階段を登って向かった。
夏休み中だからか、途中で人ひとり見かけることはなく、自分の足音だけが鉄筋コンクリートの壁や天井に響いている。
目的の三階フロアで待ち構えていたのは、見上げるほど大きな木製の下駄箱三つだった。
靴が二十足弱と、スリッパが――いくつあるのだろう、三桁はくだらない数が収まっている。
その殆どは厚い埃を被っているため、ずっと昔の先輩たちの置き土産のようだ。雄也とのチャットを今一度確認する。
「三階上がって、すぐ右の部屋ね……」
スニーカーを下駄箱の埃の少ない部分に突っ込み、靴下だけになってフロアを覗いてみる。
すると、目の前には、痛々しいほど古めかしく傷だらけな、黄金色の防音扉が立ち塞がっていた。
扉には、『Cerulean Jazz Orchestra』と書かれた特大ステッカーや、余ったマグネット、とっくに終わったコンサートのポスター、手に磁石がついているサルの人形などが、無秩序に貼ってあった。
いちかはその混沌の飾りつけに恐れを抱きつつ、少し感動を覚えもした。
こんな漫画みたいな部室、本当にあるんだ……
ただ、感動したからといって、気軽に扉を引けるかというと、それは別問題。
幸いなことに扉には小窓がついていたので、いちかはそこから中をそろっと覗き込んだ。
部屋は、思いのほか広々としていた。
煤っぽい黄土色の壁と、古い洋館に敷いてありそうなレトロな赤いカーペット。
ホワイトボードに仕切りにして右半分は、傷だらけの机と椅子、ブラウン管テレビとVHSの入るビデオデッキ、アップライトピアノと広げられた譜面など、雑多だった。
恐らく、休憩や事務作業をする場所兼荷物置き場だ。
左半分には、ビッグバンドの形態に並んだ箱型譜面台――ネットで調べたところ、ハコメンと略すらしい――と、楽器ケース、ドラムやウッドベース、CD棚とコンポなどが見える。こちらは練習スペースに違いない。
そして、その先に、ヤマノのステージ上で見たヒーローたちが揃っていた。
それぞれが椅子や地べたなどに座り込んで、前で話す女性を見上げている。
いちかはその視線を辿って、女性の容姿の美しさにハッと息を呑んだ。
例えるなら、宝塚の男役のような人だった。
スラっと細いシルエットで、脚も長いモデル体型。
中性的な顔はミステリアスな雰囲気を醸し、平凡さなど微塵も感じさせない。
美雪とはジャンルの違う美女だ……
いちかが窓越しに目を奪われていると、彼女はおもむろに傍らの机から束になった封筒を取り上げ、部員一人ひとりに渡し始めた。
すると、受け取った面々は、中身を取り出し、すぐに財布に入れたり扇状に開いて扇いだりする。
いちかは目を丸くした。
現金じゃん……!
なぜ部室でお金を配っている? なぜ女性は慇懃にお辞儀している?
何もわからないが、裏でコソコソしている感がすごい。
頭には、ヤマノのパンフレットにあった一言コメントが、自然に浮かんできた。
――不良が更生しました♪
あれって滑ってたんじゃなくて、マジ話……?
恐れ慄いていると、部屋の一番後ろからこちらを指差している男に気づいた。
ソロを吹いていた、厳つすぎるトランペッターだ。
ステージ上ではいちかを感動させても、地上ではガチガチに固めた髪や威圧的な格好が恐怖を与える。
普段からサングラスをかける奴なんて、不良しかいない……!
いちかは慌てて逃げ出そうとしたが、その前に防音扉のレバーがガッチャンと音を立てて下がった。
前の景色が開けていく……
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