第10話 常識


 ホールの入り口前には、大学生らしき集団や学生服の高校生たち、一般客らしき男女などが、あちらこちらに点在していた。

 いちかはリュックの中を漁り、ひん曲がったチケットを引っ張り出す。


 よく考えると、何のジャンルであれコンサートに単身で乗り込むのは、初体験だった。

 少々緊張しながらホール入り口に向かおうとしたとき、いちかは視界に入った人々を見て凍りついた。


 ド派手な法被を着た、暴走族のような集団が歩いている……


 髪色もセットも様々で、法被の原色が目に眩しい。

 音楽ホール前という場所に、あまりに似つかわしくない。


 しかし、そんな彼らが向かう先は、いちかと同じホールの入り口だった。


「ヤンキーってジャズ聞くんすね」


 いちかのすぐ近くから、いちかの心の声がした。

 驚いて横目に伺うと、いちかと同い年くらいの女性が、いちかと同じようにその集団を凝視している。


 女性の隣で、年上らしき男性が笑った。


「ハハ。あの人たち、出演者だよ」

「あれが」彼女が絶句する。「だって先輩、剃り込み。見て、剃り込みが……」

「そういう衣装だね」

「衣装!」


 女性が驚愕する。

 いちかも言われてマジマジと観察し始めた。


 確かに、派手な見た目で気づかなかったが、集団の後方などは、楽器ケースや、ウッドベースを持って歩いている。


「他のバンドも色んな格好してるよ。アロハシャツとか、黒一色とか、なんかすごいのとか」

「コンクールなのに?」

「コンクールだから。だって、晴れ舞台にはキメてくでしょ」


 先輩がさも当たり前というように答える。

 いちかと女性――恐らく彼女も吹奏楽出身だろう――は、目をしばたたいた。


 それがここの常識なのか……


 いちかはヤンキーっぽい集団を念のためやり過ごした後、入り口でお揃いTシャツを着たスタッフにチケットを切ってもらうと、パンフレットや沢山の広告が入ったビニール袋を渡された。

 雰囲気はコンテストというよりは、ライブのようだ。


 大ホール内に入ると、客席はほとんど埋まっていた。雄也の言う通り、人気はあるらしい。


 いちかは唯一空いていた最後方の列に座る。

 昼休憩が終わるまで時間があるので、戯れにパンフレットをめくってみると、出場バンドの紹介箇所で思わず手が止まった。


 コンテストにあるまじき混沌さなのだ。

 そのページでは、バンドごとに一枚の写真と一言コメントを載せるスペースが与えられているのだが、学生の自由を尊重し過ぎてしまったせいか、真面目な写真やコメントを選ぶバンドは半分もおらず、他はネットスラングから、身内ネタ、もはや意味不明なものまで、魑魅魍魎としていた。


 こいつらは何をしに来たんだと聞きたくなってしまう。


 ちなみに、母校東央大学はというと、逆光で真っ暗になっている誰かの写真と、『不良が更生しました♪』というコメントが載っていた。意味不明タイプだったか……


「前すいませーん」


 顔を上げると、先ほどの先輩後輩ペアが人と椅子の間をカニ歩きでやってきていた。

 体を小さくして道を開けると、彼らはいちかの隣に座る。

 会場内でも、離席していた人が続々と戻ってきていた。


 時計に目を落とすと、時刻は十四時半ちょうど。

 まだ照明の入っていない舞台上では、既に東央大のバンドが並んでおり、目を凝らすと、雄也らしき姿も確認できた。彼はテナーサックスを吹くらしい。


 不意に客席側がライトダウンし、舞台の左隅に当たったスポットライトに、ひとりの女性が進み出た。


 手に原稿を持ち、青と白のシックな装い。

 落ち着いた声色が、マイク越しにホールに広がった。


「第四十一回ヤマノビッグバンドジャズコンテスト。二日目午後の部。二日間に渡るコンテストも残りわずかとなりました」

「はぁー、司会の人とかいるんすねー」


 隣の女性が感想を述べると、先輩が少し笑った。


「あの人、プロのピアニストだよ」

「うぇ⁉ マジっすか!」

「マジマジ」


 後輩が口をあんぐり開ける。

 いちかも心の中で同じ反応をしていた。


 コンクールとかコンテストとか名のつくものは、ひりつく空気の中、出場者が淡々と舞台に上がっては、演奏して帰っていくもの。

 審査とはそういうものだという自分の常識を、いちかは疑ったことすらなかった。


 それが、プロミュージシャンの司会付きって……

 なんて贅沢な……


「みなさん、ちゃんとお昼ご飯食べました?」


 女性が客席に尋ねると、客席の前方から、学生たちが賑やかに叫ぶ。


「食べましたー!」

「お、元気いいねぇー」


 なんてフランクな……

 再三のカルチャーショックにいちかが頭をくらくらさせている間に、更に二、三回ほど客とやり取りした司会者は、チラとステージの様子を窺って言った。


「……さて、準備はバッチリですかね。それじゃあ、午後一発目、ご紹介しましょう」


 そして、


「みんな、掛け声はキレ良くね」


 客席に向けて軽く付け足す。


 掛け声……? なんのこと……?


 いちかの困惑をよそに、司会の女性は、原稿を高らかに読み上げ始めた。


「今年で十二回目の出場です……敢闘賞一回!」

「イェア!!」


 突然上がった客席からの声に、いちかの体がギクリと跳ねた。

 前やら後ろやら隣やら、客席のありとあらゆる場所から、大声の合いの手がステージに向けて飛び交う。


 まさかこれ、コールアンドレスポンス……⁉


「審査員賞一回!」

「イェア!」

「奨励賞一回、受賞しています! それでは演奏していただきましょう。東央大学セルリアンジャズオーケストラの皆さんです」


 呆気に取られている間に、スポットライトは落ち、代わりにステージに並んだバンドが明るく照らされる。

 すると、あれだけ盛り上がっていた会場が水を打ったように静まり返った。


 会場を包む空気が、一気にコンテストの顔に変化する。


 静寂の中、赤髪にタンクトップの派手なドラマーが、


 ――カッ、カッ。


 とスティックを叩き始めると、音が反響して最深部のいちかにまで緊張感が届いてきた。


 沈黙の会場、人々の視線、眩しい舞台――


 ここまでサプライズに振り回され続けてきたいちかのテンションは、不意に冷たく落ちこんだ。


 ここからは、私も知っている……

 純粋な音楽の世界だ。


 確かに、前座は驚きばかりだったが、肝心の演奏には、きっと驚かないのだろう。

 なぜなら、本気で楽器をやってきた人たちは、もっと苦しい顔をしているはずだから。


 あんな笑顔ではいられないはずだから……


「あいワーントゥー、ワントゥ!」


 自身の出したカウントに合わせ、ドラマーがタムを乱打する。同時に、ステージ上の楽器たちも己の存在を主張し始める。


 その瞬間、いちかは息を呑み、我が耳を疑った。



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