第6話 県大会


 県大会当日は、青春を賭けるに相応しい快晴だった。


 西高吹奏楽部は会場となっている県民ホールに電車で向かっている。

 騒がしくなる部員たちを諫めて回る美雪を、いちかは扉脇の隅に寄りかかりながらぼぉっと眺めていた。


 瞼の裏には、彼女の涙が焼き付いている。


 昨日から、いちかはずっと違和感を覚えていた。

 胸の奥に何かを植えつけられたような、何かを思い出しそうな、そんな居心地の悪さを感じる。


 ――パンッ!


 という突然の破裂音にいちかが我に帰ると、萌絵が『今手を叩きましたよ』というポーズで目の前にいた。

 背後には、サックスパートの後輩たちが勢揃いで顔を覗かせている。


「おいおいおい、もしや、緊張してんの?」萌絵が尋ねる。

「ごめん。ボォっとしてた」

「呆れた。大物だわ」

 萌絵は笑いながら、小さな紙袋をいちかに差し出した。


 それは雑貨屋の紙袋だった。

 中を覗くと、赤い花のような大ぶりの可愛らしいシュシュがひとつだけ入っていた。


「なにこれ?」いちかが怪訝そうに聞く。

「例のブツです」

 萌絵が言うと、全員が示し合わせたように見せつけてきた。

 各々シュシュで髪をくくったり、手首につけたりしている。


 お揃いのものを買う話があったのをいちかは思い出した。


「あぁ、すっかり忘れてた。でもこんな派手なのステージで着けられなくない?」

「はい。なので、本番ではポッケに入れてください」

「それ、ただ欲しかっただけでは」

「バレた?」

 萌絵はあっけらかんと笑うと、いちかの肩を拳でトンと軽く叩いた。


「ま、気負わず頑張ろってことよ」

「うん」

 仲間たちと同じように、真っ赤なシュシュを腕につける。

 すると、不思議と心が落ち着いた。

 

・・・


 会場は浮き足立った学生で溢れていた。


 ほとんどが吹奏楽の人間であることは、まず間違いない。

 剥き出しの闘争心をなんとか抑え、互いに牽制しあうせいで、奇妙な距離感がそこかしこに生まれていた。


 受付で出場者用のリボンをもらって腕につけ、しばらく待機する。

 音出し用の部屋でチューニングを合わせ、スタッフに呼ばれれば粛々と廊下で再び待機。


 まるでベルトコンベアーで流されるかのように、いちかたちは気づくと舞台裏で出番を待っていた。


 ステージはたくさんの照明で照らされているのに、裏の暗闇は粘っこく、重たい。

 彼女たちの抱える楽器が、モニターの光を反射して、テラテラと怪しい光を返している。


 「えんじーん……!」

 副部長が小声で全員に呼びかける。


 部員たちは円陣を組んだ。家族よりも長い時間を過ごした仲間たちの顔が並ぶ。

 美雪は全員と目を合わせると、一人一人に話しかけるかのように言った。


「まだここはゴールじゃない……私たちには次がある……」

 そして、強く囁いた。


「まずは地方大会……!絶対行くぞ……!」

「オー……!」


 舞台の先から雨のような拍手が聞こえてきた。


「プログラム七番。県立川西高等学校吹奏楽部。課題曲Ⅴに続きまして……」

 影ナレが読み上げ始めると共に、いちかたちはステージ上へ進んだ。


 明るさに目が慣れないが、満員の客の圧を感じる。

 正装のコーチの合図で立ち上がり、拍手を受け終わると、次には痛いくらいの静寂と注目が彼女らにのしかかってきた。


 一日限りの相棒である備品のアルトサックスが、黙っていちかを見上げている。

 コーチが微笑をたたえて指揮棒を構えたとき、美雪の問いかけがいちかの頭を掠めた。


 ――ねぇ、私が悪かったのかな?


 途端に、胸の奥に痛みが走った。


 この感情は、なんなんだ……?


 コーチの指揮棒が空を切る――


・・・


 美雪の最後の話が終わると、部員たちの啜り泣く音が一層激しくなった。


 川西高校の審査結果は、銀賞。

 地方大会どころか、ここ十年でも最低の成績だった。


 彼女たちにとって、銀賞の響きは重い。

 美雪の目に涙はなかったが、苦虫を何匹噛み潰しても足りないというような、悲痛な表情を浮かべていた。


「明日、反省会をしたらしばらくお休みです!」副部長はまぶたを赤く腫れさせながらも、溌剌と伝えた。「英気を養ってください。じゃあここで解散!ありがとうございました!」

「ありがとうございましたぁ……」

 部員たちは、力なく返事すると駅に散らばっていった。


 萌絵がいちかの元へ来ていた。

 自分も真っ赤な目をしているくせに、号泣する後輩を励ましている。


「帰るか、いちか」萌絵はおどけて言った。「ウチは腹が減った」

「……ごめん、ちょっと行けない」

 いちかはなんとか言葉を絞り出すと、萌絵は目を細めて言った。


「そっか。じゃ、また明日」

「うん」


 後輩たちと共に去っていく萌絵の背中を見送って、いちかは歩き出した。

 誘いを断っておきながら、行きたい場所や用事などない。

 ただ、一人になりたかっただけだ。


 あてどなくホールの周囲を歩いていると、裏手に金属製の通用口があるのを見つけた。


 ノブを回すと、キィッとドアが小さく鳴いて開く。

 その先には、設備用の大部屋と階段だけがある、人のこない廊下に続いていた。


 扉を閉めると、外の喧騒は途絶え、落ち着いた館内BGMに変わる。


「ふぅ……」

 いちかは息をついて壁を背に座り込むと、今朝貰ったシュシュを取り出した。

 それはお守りとしての役目を早くも失ってしまい、普段使いされるのを待つばかりになっている。


「終わっちゃったね」

 わざと口にしてみても、空虚な感情しか現れない。

 何か、変なんだ。何か……みんなと違う……


 ふと、館内BGMに混じって、別の妙な音がどこかから聞こえていることに気づいた。

 小動物の鳴き声にも聞こえるそれは、どうやら階段の方から聞こえているらしい。


 何かいるのだろうか……


 いちかは恐る恐る階段の入り口を覗き込み、探ったことを後悔した。


 上への踊り場にいたのは、美雪だった。

 薄暗い電灯の下で座り込み、制服の袖を噛み、嗚咽を押し殺して泣いている。


 人に見せられないほど顔を歪ませたその様は、美しい鬼のようだった。


 見てはいけないものを、目にしてしまったようで、いちかは気づかれないように廊下へと戻り、元の場所で力なく座り込んだ。


 手に握っている真っ赤なシュシュが、泣き濡れた仲間たちの姿が、美雪の押し殺していた感情が、その悉くが、いちかの欠損を責め立てていた。


「私も、頑張ったはずなんだけどな……」

 いちかは呆然と呟いた。

「なんで、みんなみたいに悔しくないんだろう……」





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