第2話 出会った日
10月3日
私は、どうしてもほしかったスニーカーを買うことができ、足取りも軽やかに帰路につく。歩くたびに耳でゴールドの控えめなピアスが揺れる感覚がくすぐったい。
都心の眠らない街を過ぎ、マンションが多く立ち並ぶ郊外にでると一気に静かになる。街の喧騒になれた耳に優しい。しばらく街灯の少ない道を歩くと、マンションのすぐ前にある橋にさしかかった。大正浪漫を彷彿とさせる石畳の風情ある橋は私のお気に入りだ。ロングスカートの感触を感じながら歩くと、袴を着ているみたいでテンションがあがる。
ふと目線を前にやると、橋の欄干に肘をついてもたれかかり、どこか遠くを見つめる男の人がいた。175cmはあるであろう長身な身体に骨格の整った小さな顔。七分袖からはほっそりとしながらも形の良い筋肉がついた腕がのぞいている。スウェットの位置から察するに足も長い。紛れもない美男子がいた。白地の七分丈に黒のスウェットという、なんともシンプルな服装なのに、お洒落に見えてしまうのだから不思議だ。
芸能人なのではと疑いながら少し見つめていると、様子がおかしいことに気がついた。
その美男子の足取りはフラフラと危なっかしく、今にも倒れそうである。
まさかと思い、走って駆け寄る。ピアスが耳元で暴れる。
「あの...!大丈夫ですか!?」
少し振り返った彼と目が合う。そしてそのまま歩き出そうとしたが、三歩もしないうちにうずくまってしまった。左手で左のこめかみの方をぐっと掴むようにして押さえている。呼吸も荒く、額に脂汗を浮かべる姿は本当に苦しそうだ。
「...っ!はぁ、はぁ、ううぅ...っ!」
「救急車呼びましょうか!?」
あまりにも苦しそうなのでただ事では無いと感じていた。なのに彼はスマホを持つ私の手を震える手で掴んだ。救急車は呼ぶな、ということだろう。そうなると私にできることは一つしかない。
「このすぐ近くの私の家まで頑張ってください...!」
小柄な私ではこの青年を支えて歩くことはかなり難しいだろう。マンションは目の前。しかし、私の部屋は4階だ。ただでさえ苦しそうな彼を支えて歩く自信はない。でもやるしかなかった。
目の前で命がこぼれていくのを見るのはもう嫌だ。
彼に声をかけながらなんとか部屋までたどり着いたときには、彼は一層顔を歪め、目元にうっすら涙を浮かべながら歯をきつく食いしばっていた。
***
「やっと、つい、た...」
いつもの三倍も四倍もの時間をかけてやっとの思いで部屋にたどり着いた。
家のソファーでは窮屈になってしまうので、悩んだ末に寝室に寝かせることにした。
といっても、ベッドしかない部屋なのでシーツと布団だけ変えれば大きな問題はない。
彼がベッドに寝転んだのを目の端でとらえ、手を洗い、なけなしの救急箱を取り出し看病にあたる。現在21時。徹夜覚悟だ。
彼の病状は見るからに悪化の一途をだどっている。左のこめかみを強く押さえ、苦しそうな声を上げている彼を見ると、他人なのになんだか泣きたくなった。額にはじっとりと汗をかき、すこしパーマのかかった髪が張り付いている。きっと偏頭痛ではないだろう。
「熱、はかりますね。失礼します。」
遠慮がちに額へ近づけた体温計が36.8度を示す。熱はないので少し安心する。
次は常温の水と市販の頭痛薬を盆にのせて寝室へと急ぐ。慌ただしく部屋を歩き回る私と目があった彼がほんの少し、ほんの少しだけ首を横に降った。
わかっていた。わかってはいるのだ。
きっとこの薬が彼の症状を軽くすることはない。ただの偏頭痛ではなさそうなのだから。素人目でもわかる。だけれども、少しでも効果があるのならその少しの可能性に賭けたいと思ってしまう。
名医師でも聖女でもない私にはそうすることしかできない。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
初対面の名前も知らない青年になぜこれほどのことをしようと思うのかは自分でもわからない。そんなことを頭の片隅で感じながらも、結局、薬は飲ませた。時計は22時をさそうとしている。
頭痛薬が効いてきたのか時間が経過したからか、(圧倒的に後者な気がするが)彼はまだ顔をしかめながらも先程よりも少し楽そうだ。洗面所から取ってきたフェイスタオルで彼の額に浮いた汗を拭っていると、少し疲れた顔をした彼と目があった。
「...ご迷惑をおかけしてすいません。すぐにでていきます。」
「私のことは大丈夫ですから。今夜は家で良ければ泊まっていってください。」
「でも、これ以上の迷惑は、」
「道端でくたばられたら困ります。帰る家、無いんでしょ?」
青年は一切の荷物を持っていなかった。確認できたのはズボンのポケットの中のスマホだけ。家の鍵らしきものはなかったのだ。
「理由とか体調のことは今は聞きません。なので、とりあえず体調を戻してください。」
「...すいません、何から何までありがとうございます。」
少し微笑んだ顔は僅かな儚さを含んでいた。
これが私達の出会いである。
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