第2部 ふたり

第1話 振り向くのはピアノの音色

琴音……

琴音ちゃん……


「水江さん、僕は琴音ちゃんに残酷な事をしてしまった。」

「渡辺さん、もう、会わない方が……」

「そうだね。ここでお別れしよう。琴音ちゃんは大丈夫だろうか……」

「そうですね……」


一方、琴音は海辺を泣きじゃくりながら走っていた。


先生の馬鹿、お姉さんの馬鹿、どうして、私の片思いだったの?

私に可愛いと言ったのは何だったの?先生の馬鹿、馬鹿

私の気持ちをもてあそんだの?そうだ、あの崖に登って死のうかしら。

そうよ。そうしよう。よし、着いた。

でも、高いな、怖いな、どうしよう。飛び降りたら痛いのかしら?

体がぐちゃぐちゃになるの……?やっぱり怖いな。

どうしよう、でも、川崎先生の事を考えると辛いな……

どうしよう、どうしよう。でも、お腹が空いたな……

明日、また考えよう。


そして、琴音は自宅へと仕方無く帰った。そこには水江が待っていたのだった。


「琴音……」

「もう、お姉さん、大っ嫌い。」

「ごめんね。」

「でも、川崎先生は婚約していたって言っていたのに……本当はお姉さんの事が好きだったのね。」

「琴音、私も辛いの、わかって。あの後、話をしたのだけど、明日にはギリシャに帰るみたいよ。一緒に見送りにいきましょう。」

「でも、明日は崖の上から飛び降りて死ぬの……」

「駄目よ。そんなことをしたら川崎先生が悲しむし、痛いわよ。」

「そう言われてみたら、そうね……」

「痛いわよ。琴音。」

「そうね、注射より、痛いかしら?」

「それは、もっと痛いわよ。」

「じゃあ、やめる。」

「そうよ。琴音、私も渡辺さんの事を忘れるから、琴音も忘れよう。」

「うん、そうする。」


琴音は案外、気持ちの切り替えが早かったのだった。

まだ、子供だからだったのかもしれない。


「そういえば、お姉さん、お腹がすいたの。何かないかしら?」

「お母さん、琴音がお腹が空いたって言うけど何かない?」

「今日はお魚が取れたから、琴音の好きなお刺身にしましょう。」

「やったあ。」

「よかったね、琴音。」

「うん。お姉さん。もう川崎先生のことは忘れる。」

「そうよ。私も忘れるから。一緒に忘れましょう。」

「うん。」


その夜


ポロロン


あれ、これはショパンの別れの曲、え、誰が弾いているの?

オルガンがある部屋に行ってみよう。


「お姉さん、どうして、別れの曲を弾けるの?」

「ごめんね、辛くて辛くて、琴音がいない間少しだけ練習していたのよ。でも無神経ね、琴音が寝ているのに弾いて。でも、どうしても渡辺さんの事が忘れられなかったの」

「もう、いいのよ。お姉さん。だって、私達仲良し姉妹でしょ」

「そうね」

「私も弾いてみる。そして、川崎先生のことは忘れるの」

「そうね。私もそうしたの」

「お姉さん……」

「琴音は本当に上手になったのね」

「うん、川崎先生の事が好きで好きでたまらなかったの」

「そう……私もよ」

「でも、お姉さんと川崎先生は両想いだったのね……」

「もう、忘れましょう」

「うん、そろそろ、私も眠るね」

「おやすみ、琴音」

「おやすみ、お姉さん」


琴音は床についたが、川崎への想いのため、なかなか寝付けなかった。


先生、どうして、私の事を可愛いって言ってくれたの?琴音は辛い。

やっぱり、先生の事が忘れられない。

先生の弾いたショパンの別れの曲がいつまでも私の心を邪魔するじゃない。

どうして、あんなに好きだった曲なのに……

先生との思い出の曲だったのに、心の中で悲しく響くでしょ。

先生、先生、好きです。

また、もう一度でいいですから、私にピアノを教えてください。

神様、お願いします。


そして、琴音は眠れない夜を過ごした。それは水江もそうであった。


水江も琴音も泣く泣く渡辺を見送ったのだった。そして、しばらく時は流れた。


「水江、琴音、お父さんの仕事の関係で引っ越さないといけなくなったよ」

「どうして、突然?」

「ああ、今、働いている会社から転勤を命じられたんだ。でも隣町だから、水江の仕事にも支障はないよ」

「そうなの、お父さん?」

「ああ、水江、そうだ。琴音は学校を変わらないといけないけどな」

「大丈夫よ。お父さん。でも、オルガンは持っていってね」

「ああ、わかっているよ」


新しい学校の教室で琴音は自己紹介をした。


「こんにちは、桑山琴音です。琴に音って書いて「ことね」と読むのよ。よろしくね」

「じゃあ、琴音さんは山口さんの隣に座ってください」

「はい、先生。はじめまして、琴音です。山口さん、よろしくね」

「うん。ありがとう。山口百合子よ」


こうして、琴音の新しい世界が広がったのだった。

琴音は百合子と仲良くなり、一緒に帰る日々が続いた。

琴音と百合子は気が合うのか、いつも二人で過ごしていた。

学校の帰り道だった。道端に赤と黄色の花が咲いていたのだった。


「百合子、ほら、赤い花が咲いているよ」

「うん」

「こっちには黄色い花が咲いているよ」

「うん」

「きれいね」

「うん、うん」


琴音にとって、新しい世界は川崎のことを忘れさせようとしていた。

しかし、それは短い間であった。


「百合子、今日から音楽の授業ね。私はピアノが弾けるのよ」

「うん」


音楽の授業が始まり、音楽の担任の先生は突然ピアノを弾き始めた。

それはショパンの別れの曲だった。琴音は一瞬の喜びと悲しみを覚えた。


「みなさん、この曲を知っている人?」

「はい、ショパンの別れの曲です。」

「そうよ。あなたは詳しいのね」

「はい、私はピアノを習っていました。メロディだけなら弾けます」

「じゃあ、弾いてみてください」

「はい」


琴音はたどたどしく、ショパンの別れの曲のメロディのみを弾いた。


「まあ、上手ね。この曲名である、別れの曲というのは後世の人がつけた名前で実際にショパンがつけた名前じゃないのよ」


琴音はこの事は川崎からも聞いていたので、思い出してさびしい思いになったのだった。それから、この教師は昼休みになると決まって、別れの曲を弾いたので、琴音は思い出しては涙がでるのであった。

新しい世界は琴音に新鮮さを与えると同時に辛い思いもさせることに。

琴音の辛い日々が始まったのであった。

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