第2話 波がピアノを奏でる

ささやく波の音と優しい香りの夕日が二人を待っていた。

それは、水江の工場での出来事だった。

どうやら、上司である班長と渡辺とのやりとりであった。


「渡辺君、昨日の仕事は終わったかな。」

「はい、班長、報告書の方は書いておきました。」

「どれどれ、見せてくれ、おお、ちゃんと出来ているじゃないか。これは外国語じゃないか?。」

「はい。貿易会社への報告書で班長が取引先の社長がドイツの方だとお聞きしましたので。」

「まあ、確かにそうだけど日本語も出来る方だぞ。」

「ええ、でもドイツ語の方が伝わりやすいかと思いまして。」

「どこで、ドイツ語を勉強したのかね。」

「以前、ドイツに留学していたこともあり、ドイツ語を学びました。」

「ほお、そうだったのか。それは、お世話になっている貿易会社との仕事がスムーズにいくかもな。」

「それは良かったです。お褒めの言葉をいただきありがとうございます。」


また。班長と水江のやりとりもあった。どうやら、水江は仕事が苦手らしい。


「水江さん。また、頼んだ書類が間違っているじゃないか。大体、漢字が間違って書かれているぞ。今日中に作り直しなさい。」

「はい、申し訳ありません。」

「困るよ、こんなことじゃ。」


班長が帰るとそこには渡辺が現れたのだ。そして優しく声をかけた。


「水江さん、大丈夫だよ。僕が書いておくから。」

「いいのですか、渡辺さん。」


水江は申し訳なさそうであった。


「ああ、心配しなくていいよ。」

「渡辺さんは頭がいいのですね。でも、申し訳ないです」

「そんな事はないよ。それよりさ、すぐ書き終えるから。終わったら、近くの海に行かないかな?水江さんは海が好きだって言っていたからね」


「はい、是非行きたいです。」


優しく声をかけられた水江は嬉しくてたまらなかった。


「じゃあ、そうしよう。」


海に着くとそこには優しい輝きを放つ夕日が二人を待ちかねていた。


「渡辺さん、海の音がきれいですね。」

「ああ、そうだね。まるで、僕達を歓迎しているみたいだね。」

「まだ聞いていませんでしたが、渡辺さんの下のお名前を教えてください。」

「僕は渡辺雄二」

「水江さん、これからも、よろしくね。」

「はい。」

「浜辺に座ろうか。」

「はい。」

「ちょうど、あの時みたいに夕日がきれいだ。ほら、海に沈んでいくよ。水江さんの瞳が紅色に輝いているかな。まるで、宝石みたいだよ。」


「私は浜辺で貝殻を拾ってきます……」


「どうしたの急に浜辺に貝殻が落ちているかな。」

「はい。」

「待っているからね。」

「取って来ました。ピンク色できれいです。」

「本当だね。」

「渡辺さんは夢がありますか?」

「僕は好きな人と結婚して幸せな家庭をつくりたいかな・・・」

「今はそういう人がいるのですか?」

「ああ、いるよ……」

「どうされましたか?急に元気がなくなられて。」

「水江さんこそ、好きな人はいるのかな?」

「それは秘密です。」

「そうか、教えてくれないのか……」

「はい……」

「波の音がさびしく聞こえるかな。」

「どうしてですか?」

「それは秘密かな?」

「お互いに秘密だらけですね。」

「そうだね。でも、さびしいけど、波の音は僕を優しくしてくれるかな。」

「どっちなのですか?」

「どっちもだよ。水江さんは?」

「秘密です……」

「また秘密なんだね。」

「はい。」

「夕日が沈んで月明かりが降りてきたよ。」

「渡辺さんは詩人みたいですね、」

「そうかな?今度は月明かりが水江さんの瞳を輝かせているかな。」


「浜辺で今度は違う貝を取ってきます……」


「また、どうしたの急に?今度も貝を取ってくるんだね。」

「はい。」

「よほど、貝殻が好きなのかな?」

「はい。」

「波の音が恋しがっているから、そろそろ帰ろうか。」

「もう、帰るのですか?」

「ああ。」

「渡辺さん、お願いがあるのですが……」

「何かな?」

「手をつないでいいですか?」

「ごめんね、それは出来ないんだ。」

「そうですよね……」

「会ったばかりなのに、ごめんなさい。」

「いや、気にしなくていいよ。僕の方こそ、ごめんね。」

「いえ……」

「そのかわり、明日から仕事を手伝うよ。」

「はい、ありがとうございます。」


水江は自宅に帰り着き琴音と話した。


「お姉さん、今日は元気がないよ。」

「いいの、気にしないで。」


水江は渡辺が手を繋いでくれなかったことが残念で複雑な心境だった。

一方でオルガンを弾きたかった琴音には朗報があったようだ。


「そうなんだ。」

「そういえばね、近くにピアノを教えてくれる人がいるみたいなの。明日、お願いに行ってくる。」

「よかったね。琴音。」

「うん。」


琴音は不安であったが、心を躍らせながらピアノの教室たどり着いた。


ピアノを教えてくれる人の家はここかな?ここかな?すごい、大きな家。きっと、お金持ちなのね。もしかして、このボタンを押すのかな?


ピンポーン


わあ、音が鳴った。


当時は玄関にインターフォンはなく、珍しかったのだ。


「どちら様ですか。」


そして、家から男性が現れたのだが。


「あ、あの時の方、川崎さんですね。どうして、オルガンの先生なのですか?」

「お昼は違う仕事をしていて、夕方からはピアノを教えているんだ。」

「私はオルガンを習いに来たのですけど……」

「同じようなものだよ。でも、あの時の君だったんだね。」

「はい。」


琴音は恥ずかしかったが内心嬉しかった。渡辺の問いかけに小さな声で返事をしたのだ。


「なんという名前かな?」

「琴音と言います。」

「そうか、琴音ちゃんか。」

「もう、私は16歳です。」

「そうか、ちゃんは失礼だったかな?じゃあ、美琴さんと呼ぶからね」

「はい。川崎さんでしたね。」

「ああ。」

「川崎先生、よろしくお願いします。」

「一緒に、頑張ろうね。」

「はい。」


琴音は唐突に佐藤にお願いをした。


「先生、何か弾いてみてください。」

「ああ、いいよ。じゃあ、僕が練習している曲の途中まで弾くからね。」

「わあ、綺麗な曲。でも、なんだか悲しいですね。」

「そうだね、この曲はショパンの別れの曲というんだ。でも、途中が難しくて練習中かな。」

「そうなんですね。」

「ああ。」

「私もそういう綺麗な曲が弾きたいな。」

「練習すれば、いつかきっと弾けるよ。」

「はい、頑張ります。」

「じゃあ、始めようか。」

「はい。」


そして、ピアノのレッスンが行われた。川崎は優しく丁寧に指導した。


「ここは、こうやって。そうそう、上手だよ。」

「本当ですか?」

「うん、素質があるよ。」

「ありがとうございます。」

「君は妹みたいだな。可愛いよ。」

「からかわないでください。」

「恥ずかしいですから。」

「本当だよ。」


琴音は赤面した。


「もう、帰ります。」


「まだ、練習の途中だよ

「急に用事ができました。」

「そうか、また、練習に来るようにね。」

「はい。」

「よし、元気があってよろしい。」

「頑張ります。」

「そうだね。練習しておいで。」

「はい。」


心を躍らせていた琴音は自宅に帰り着き、水江と話をした。


「琴音、今日は様子が変よ。」

「なんでもない……」

「どうしたの?お姉さんに教えて。」

「どうしようかな……」

「いいから、琴音。」

「お姉さん、私は好きな人がいるって、前に言ったでしょ。佐藤さん、ほら、野原で会った人よ。」

「うん。また、会ったの?」

「ピアノの先生でね、ショパンという外国の人の曲を弾いてくれて、とても綺麗だった。」

「そうだったの。」

「うん、とても、悲しい曲だったけど、先生の素敵で一生懸命な姿がカッコよかったな。」

「そうなんだ、でも、なんだかさびしそうだった。」

「何か事情があるのかもね。」

「私は片思いになってしまうのかな?」

「う~ん、どうかな?でもね、私も片思いの人がいるの……」

「じゃあ、お互い同じね。」

「うん。」

「今日は先生が夢にでてくるかもしれない。そうだとうれしい。」

「そうね、私も夢にでてくるといいな。海と一緒に貝殻を拾う夢をね。」

「私も先生といっしょにピアノを弾く夢をみたいな。」

「じゃあ、早く寝ようか。」

「うん。」


二人はそれぞれの恋に落ちていったのだった。

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