♥32神髄『呑転』
僕は大きく深呼吸をする。『天然』の天才である大吉に、どう対抗するか、どう屈服させるか。全身が痛みや不快感を訴えてきているが、それらを意識から切り離して大吉を見る。
「いくで」
先ほどと同じように大吉が自分の両頬を叩くのと同時、僕は目を閉じた。
◇
僕の周りに、一定の円があることが感じられる。
今、その円に大吉が侵入した。ぐっと押し入ってくる気配がすぐ近くまで寄ってきて、何か太い棒が、いやこれは脚か、それが僕の腰のあたりに迫っているのがわかる。僕がそれを半身にして避けたら、大吉の本体がさらに接近してきたので、僕はしゃがんでそれをやり過ごす。
ザザザと地面をする音がして、円の際くらいまで、大吉が転がる雰囲気が伝わってくる。続いて、大輔が地面をごろごろと転がってくる。何してんだよそれ、って思いながらジャンプしてかわすと、着地したところに大吉の細いほうの棒、これは腕だな、がバッテンを描くように飛んできたので、僕は正面からそれを受け止めて、後ろに流していく。
視界がないということは不安に思わなかった。むしろ新鮮な楽しさみたいなものすら感じていた。目を閉じた僕には、僕が感じた動きを大吉が本当にしているのかどうかもわからない。目を開けてみたら、全然違う動きをしているのかもしれない。でも不思議と合っている気がしていた。
「な…なんであんなん避けれんだよ…目を閉じてんのに」
円の外にいる風間君のつぶやきを僕の耳が拾う。確かに僕もそう思うし、僕自身が不思議でならない。風間君達にもちょっと修行に手を貸してもらったけど、あの時は誰も動いていない中で、時間をかけて探っていた。こんな慌ただしい攻防ができるなんて僕自身も思っていなかった。
この目を閉じた状態の中で発見もあった。円の範囲にいる相手はある程度強く感じるけど、円の外にいる人の感情というかそういったものも伝わってくること。
つぶやきと同時に起きた風間君の呆然とした感覚もうっすら伝わってきた。大吉の見届け人の不良達3人の戸惑うような感覚もわかる。でももっと近くにいる大吉からは、なんの感情も感覚も伝わってこなかった。すごいな、天然の状態ってこうなんだ。感情も意志もないのに、よく動くなーって呆れに近い感想を持つ。
あ、でもそろそろ大吉の天然がきれそうな予感がする。そう思った瞬間、正面に意思の戻った大吉の濃密な気配がした。
後ろ脚をドスンと踏みこんで、生じた波紋が大吉の体の輪郭をあらわにしていく。すごいな、僕は今ほど『勁』をはっきりと感じたことはない。地面から上がってきた大吉の『勁』は回転して腰を通り、輝く人魂みたいな塊のまま上半身から腕をきれいに通って、僕の肩に…
「はぁっっ!!!!」
大吉の声が響いた。
◇
僕は目を開いた。眩しさに目を細め、視線を下にやると大吉が倒れていた。気絶しているみたいだ。体がわずかに上下しているから呼吸はしているようで、少し安心した。
僕は最後の攻防を思い返す。左肩に撃ち込まれた大吉の『発勁』。荒れ狂う力をむりやり凝縮させた不定形の『勁』を、僕ははっきりと知覚できた。僕は体に入ってきたその『勁』を、体の中で爆発しないように、さすり、まわし、なだめ、落ち着かせながら、球体上にして左肩から胸、そして右肩へ移していき右手まで導いた。たぶん1秒にも満たない時間だったけど、僕にはその時間はとても長く感じた。
「大吉の。返すよ」
「ぐ…」
そして、それを大吉に返した。大吉は、うめき声を上げて、ずるりとその場で崩れ落ちた。
そう、僕は自分に撃たれた『勁』を、自分の体を通してそのまま返すことができた。それに思い至った時、昔師匠に言われたことを思い出した。
『敬真、万流軟拳の本当の真髄は『落絡』でも『逆刺』でもない。究極は自分に撃ち込まれた勁をも返すことにある。それができたとき、万流軟拳は完成する。神という漢字のほうだ』
僕の口が、記憶の中の師匠の言葉と重なる。
「万流軟拳…神髄『呑転(どんてん)』
◇
僕はその場で崩れるように尻もちをついた。
「おい、花村っ!」
「風間君、ごめん、大吉を見てあげて」
「お、おぅ」
風間君が、大吉を仰向けにしたり、シャツのボタンを開けてあげたりしているのを見ながら、僕は大きく息を吐いた。途端に意識の外に追いやっていた各所の痛みや不快感が押し寄せてくる。
「すみません、見届け人の不良の皆さん」
「不良の皆さんって、おい。……まぁ、いいや。なんだ?」
「大吉を連れて帰ってあげてください。後で僕の師匠に連絡して、大吉の様子を見てもらいますので、起きたらそれを伝えてあげてください」
「っつうか、こいつは大丈夫なのかよ」
「うーん、たぶんとしか。僕も以前に似たようなの受けて、めちゃめちゃ苦しみましたけど、大丈夫でした」
「それは大丈夫と言えるのかよ…。っていうか、見てて思ったけどよ、お前らいかれてんな」
「こいつもだけど、不良じゃねえしワルじゃねえ。なんつーの?武闘家とかそういうやつなんだな。俺らとは違う生きもんだ。すごかったぜ……」
「まぁいいや、連れて帰るぜ」
見届け人の不良3人に大吉を任せて僕も帰ろうと風間君に声をかけたけど、僕は気が抜けて立ち上がれなかった。
「風間君、ごめん、立ち上がれない」
「あぁ、肩貸してやるよ」
◇
「師匠どうでした?」
「おう、伊勢大吉って言ったか、あいつ頑丈だなー。軟膏塗って、漢方幾つか飲ませておいたし、もう大丈夫だぞー」
「良かったです」
「敬真ー、お前『呑転』使ったなー」
「はい、わかりますか?」
「あぁ、伊勢大吉の様子というよりも、お前から感じるものが変わったからなー」
「不思議な感覚でした。あぁこういうこともできるんだっていう……」
「自転車に乗るようなもんでなー、万流軟拳のベースができている上で、あの感覚通しておけば忘れることはないぞー」
「師匠、万流軟拳ってすごいですね」
「今更かよー敬真ー」
「はい、すみません」
「まぁいい、お前にも軟膏渡しとくぞー」
「ありがとうございます」
「敬真、これまでよく励み、がんばってきたな。俺の想定以上にお前はどんどん吸収していった。闘いにも恵まれた。それでもまだ数年はかかると思っていた」
師匠は、真面目な話をする時は語尾が伸びない。
「師匠?」
「敬真、神髄『呑転』を得たなら、お前は万流軟拳の免許皆伝だ。俺が教えれることは全てお前に渡った」
「どういうことですか?」
「万流軟拳は卒業だ。おめでとう。」
「し、師匠!そ、そんな僕なんて、まだ教わってないことも多くて、まだまだ足りなくて!!」
ぐぅっと心の奥から、悲しい気持ちがせりあがってきて止まらない。これまで師匠に受けたいろいろな教えや練習の記憶の断片が千々に頭の中で再生されていく。知らぬうちに僕の目からは涙がこぼれていた。
「泣くな。バカ野郎」
「師匠。だって…だって!こんなんでお別れなんてしたくないですよ!」
「ん?なんでお別れになってんだ?」
「え、だって卒業したら…」
「はー…敬真はガキだなー」
「ぐす…な、なんで…ですか!」
「免許皆伝とは言ったが、別にお別れとは言ってないだろー?」
「え?」
「俺は敬真に、何があっても平気にしてやると言っただろうー?万流軟拳は教え終えたが、他に教えることはまだまだあるぞー」
「師匠…」
「敬真ー、お前はこれから師匠である俺を楽にさせるために、いろいろがんばるんだぞー」
「台無しですね……、でも…ありがとうございます……」
「おうー」
こうして僕は万流軟拳の免許皆伝となったのだった。
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