♥31天然の天才



 大吉の構えは独特だった。右腕右足を前に、左腕左足を後ろになるように半身になっている。その状態でトントンと軽く跳ねている。


「ジオクンドー?」


「そうや、ようわかったな。さすがやな」


 ジオクンドーは、俳優であり拳法家のエルビス・リーが創始した武術だ。礼春拳をベースに、エルビス・リー自身の数々の試合や喧嘩の体験もとに組み上げられた超実戦流派だ。


「シッ!!」


 鋭い呼気と共に僕の顎に向かって、下から最短軌道を通って素早い蹴りが飛んでくる。ジオクンドーとは実は一度闘ったことがある。中学のころ、師匠に連れていかれた先で一度手合わせしたのだけど、半身の構えと素早いステップワークで翻弄されて、ボコボコにされた記憶がある。


 僕はその蹴りを後ろに下がって避けた。避けられた大吉は、気にすることなく1ステップ入れて体勢を調整すると左足で地面を蹴った。脚から上がってきた蹴りによる動力は大吉の腰を回転させ、その勢いで肩が前に入り、肘が伸びて、縦になった右拳が前に伸びてくる。ストレートリードパンチと呼ばれる、素早く伸びる最短距離を走ってくる突きだ。


 そのパンチが僕の顔を狙ってくるのが『意感』でわかる。けれど、大吉の突きは高いレベルではあると思うのだけど、一流と呼ぶにはお粗末な出来だった。『意感』により事前察知している僕は、その突きを左手を柔らかく回して、円の動きで外側に逃す。


 ここで右拳で突きでも打てば、いい攻撃になると思うのだけど、万流軟拳は自分から仕掛ける技はない。上半身の力みを抜いて自分の体を落とし、その重力の力を接触したままの左腕に伝えて、大吉を大きくぐらつかせる。すかさず僕の腰を押し当てて大吉を地面に転がした。


「うぉおおっぁ!!?」


 地面をぐるんと1回転して大吉は顔を上げる。土をはたいて立ち上がると目を輝かせた。


「敬真!おまえ、すごいなぁ!!!」


 賞賛の目を向けられる僕だけど、僕は今の攻防で違和感を覚えていた。上手く言えないけど、ジオクンドーの動きは大吉に会っていない様に感じた。僕の感じる大吉のポテンシャルなら、ジオクンドーでももっとすごい技になるはずだと思った。


「うーん…」


「なんやどないした?」


「大吉は、ジオクンドーしかやってないの?うまく言えないけど、会ってないように感じるんだ」


「ッフ…ウハ、ウハハハハハ!!!敬真おまえ、最高やな!!」


 なぜ笑われたのか分からずに、首を捻ると大吉は嬉しくてたまらないという感じで教えてくれた。


「確かにな、わしはジオクンドーを習ろうとった。それがな、ある日師匠に言われたんや。『大吉、お前はもうジオクンドー、いや武術はやらんでええ』ってな。わしがなんでやって聞いたら、師匠の答えは『お前はこれ以上やったらジオクンドーのはまった動きしかできんくなって、つまらんくなる。いや、一定以上は強くなれへんやろう』ってな」


 どの分野でもある程度は同じだとは思うのだけど、拳法では先人達が積み上げてきた論理や練習方法があって、後進はそれを学んで強くなっていく。長い時をかけた先人の教えは合理的で、強くなることに間違いはない。でも、その合理性が逆に足かせになるということだろうか。おもしろいと思った。どんな闘い方をするんだろう。


「ジオクンドー…まぁわしの腕前でもな、今まではそれで闘ってこれよったから問題なかってん。実際そこの3人も、のしてきたしな。でもあれや、敬真には通じないやろな」


「僕は、大吉の闘い方を見てみたい」


「いや、ほんま…これ終わったらダチになろうや。……ほな、遠慮のう行くで」


 大吉は、両手で自分の頬をバシンバシンと2度、勢いで叩いた。眼がらんらんと輝いており、明らかに体の中の何かのスイッチが変わったのがわかる。





「フッ!」


 軽く握った拳を前に構えたボクシングのような構えから、大吉が踏み込んで僕に右のジャブを放ってくる。何でもないジャブ。『意感』でそれを読んでいる僕は、体を斜めにして肩でそのパンチを手前で受け流そうとした。


「らぅぁっ!!」


「ぐっ!?」


 気が付いたら大吉の左フックを喰らっていた。一瞬の間に行われた大吉の行動を思い出す。大吉は右のジャブを、無理やり途中で止めて、自分の体勢を大きく崩しながらも、左のフックを放ってきた。


 体重も乗っていなかったため、威力はそれほどでもなかったけど、左のフックの当たった一番下のあばらの辺りに少し鈍い痛みを感じる。


「花村が攻撃をくらってる!?」


 風間君の驚く声が聞こえるが、僕も同感だ。何かがおかしい。僕の『意感』は大吉の右ジャブの軌道を読んだ、というか感じた。筋肉の動き、目線、言葉では説明できないけど大吉の意思や雰囲気、全てが右ジャブだった。なぜ変えた?なぜ変えれた?


「よそ見すんなや、まだまだ行くで」


 そこから僕は大吉の攻撃を何度も喰らった。『意感』で読んで回避できる攻撃もあるんだけど、同じくらい避けれない攻撃があった。


 蹴りがくると読み軸足をすくおうとしたら、そのまま倒れこんできて殴られた。


 子供の喧嘩のように両手をふりまわしてきたと思ったら、ぐるりと回転してダブルの裏拳を喰らう。


 ストレートを放った勢いのまま、体を捻りながら頭突きを繰り出してくる。


 こんなに攻撃を喰らったことは、本当に久しぶりだった。一撃はそれほど重くないが、何せどこから攻撃が来て、どこに当たるかがわからない。おそらく20回ほどの攻防を終えたあたりで、僕は幾つもの打撃や蹴りを受けてボロボロになっていた。額は膨れ、まぶたは腫れて、鼻血が吹き出て、口の中も切って鉄の味がする。


 息も上がってきて、ただでさえ切れそうになる『意感』が完全に途切れたとき、僕の体に、全身にぞくりと悪寒が走る。いつの間にか密着していた大吉の手が僕の脇腹に添えられている……


「しまったッ!」


「ふんっ!!」


 大吉の声と共に、腹で爆弾でも爆発したかのようなドンッ!とした衝撃を感じると共に僕の体は吹き飛ばされていた。





 頭が揺れる。胃からせりあがってくる吐き気を受けて、僕はげぇげぇと胃液を吐く。独特のすえた臭いが、口の中の血の味と混じって気持ち悪い。吹っ飛ばされた時に顔から落ちたみたいで、目の端に涙がにじみ、頬には土と砂利が食い込んでいる。


 全身の状態を確認しながらゆっくりと立ち上がる。骨は平気、筋肉も大丈夫……。内臓は……ぐるぐる渦巻くような感覚があって腰も少し痺れているけれど…なんとか無事だ。


「っていうか、立つんかい…わし史上最高の『発勁』やったぞ…」


「…はぁ、…はぁ」


「どないする?まだやるんか?敬真、もうギリギリやろ?」


 呼吸を整えるため手のひらを前に出して、ちょっと待ってのポーズをとる。あちこち痛いけれど、意識を痛みにはあわせずに状況の整理を行う。


 大吉のことが少しわかってきた。大吉は論理性、合理性を積みあげて作り上げられた拳法などの技や技術を使わない。どこを狙おうとか、ダメージをたくさん与えようとか、これしたら危ないとか、そういう一切の思考、意識を持たないで闘う。


 僕の『意感』は、相手が無意識であっても、どこかを狙っていたりすれば察知できる。大吉の恐いところは、無意識で放った攻撃が僕を狙っているようでいて狙っていない、そして自分が出した攻撃をさらに無意識の後追いで変えてくることにある。その後追いも、こっちの方がダメージが高いからとか、そういった理由が存在しない。だから僕の『意感』では拾えない。


 こんなことができる人間がいるんだ…僕はすごく感動していた。闘ってきた中で、これほど恐い相手もいない。何するか分からない相手という恐怖しかない。大吉の師匠の言っていることが心から理解できる。


 大吉は天才だ。あてはまる言い方をするなら『天然』の天才だ。そしてさらに恐ろしいのは、その天然が解けた、もしくは解いた時に、即座に思考の世界に戻ってきて流れるように決め技を繰りだしてくるところだ。





「敬真ー、降参はせんのやな?もうちょっとだけ待とか?」


「…う、うん…お願い」


 体もだいぶ動くようになってきた。僕を手を握って開いては、調子を確かめる。


 さっき僕が喰らったのは『発勁』。『発勁』は正確には技の名前ではなく、中国拳法における力の伝達と発し方を意味する。ここでいう力とは運動エネルギーで、それを『勁』と呼ぶ。体の伸び縮みや、重心移動など、体内に起きた勁を効率よく伝え相手に送り込むことで、筋肉の力だけでは出せない爆発的な威力を生み出す技法で、流派などによって『発勁』の仕方は変わってくる。


 僕は、大吉の手が自分の腹に当てられたと察した瞬間に、力みを抜いて自分の体を落とすことで得た『勁』を腹部へと集めて大吉の『発勁』を相殺した。もっとも、相殺しきれていなくて大きなダメージを受けてはいるのだけど。


「いけるか?手加減はできひんで」


「うん、僕はまだやれる」


 僕は自然と笑顔になっていた。




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