♥22悪



 3人が同時に組みついてきたので僕は両手を高く上に上げる。もちろん降参するためじゃない。正面の男の組みついてきた勢いにあわせて、上げていた右手の力を完全に抜いて肘を落とす。肘の先にあるのは男の鎖骨。自分自身の力に僕の落下した肘の力が加わって、男の鎖骨は簡単に折れる。


「ぐぅっ!」


 全身の力みを抜いているので男達と一緒に倒れこむが、その際に空いた左手の指で、僕の胴体を同じように掴んでいた男の眼球に触れる。痛みと反射で首を振ったので、その振りにあわせて、顎先を手のひらで押す。振った首の動きをむりやり延長させて男の首にダメージを与える。


「あぐ!」


 右の太腿に組みついていた男は、倒れこみながら僕の胴体にさらに手を伸ばしてきた。男の伸ばした腕の肘のポイントを絞って、親指で反対側から突き上げる。曲がらない方向に力が加わったうえに、狙ったのは腱の付け根なので、当分肘は使えなくなるだろう。


「ううぁ…」


 首や肘に手をあてながら呻いて起き上がれない3人と、起き上がって服の埃をはたく僕。やりすぎたとは思っていない。むしろまだ手ぬるいくらいで、僕はK-BOSS含め、この場にいる全員を同じ目にあわせるつもりだった。


 正面のソファに座るK-BOSSを見ると呆気にとられた顔から一転、表情を変えて獰猛な笑みを浮かべた。


「不思議な技を使うなぁ…おもしれぇなぁ。おい、お前ら!ピックも解禁だぁ」


「時間がもったいないので、あなたが来たらどうですか?」


「いやー、別に俺が出なくてもお前は終わるからなぁ」


 僕を取り囲む人間が、アイスピックのような鋭い刃物を手慣れた様子で抜く。刃物をもったこの人間を相手にするのは初めてで、おまけに同時にかかられて、さっきまでのような闘い方をしていたら、不味いかもしれない。僕はここで初めて、自分が危機にいることを自覚した。


 緊迫していく空気を破ったのは、聞きなれた女性の声だった。


「離してよっ!離せっつってんの!!」





「K-BOSS、表でそいつの女がうろうろしてたんで捕まえてきましたっす」


 男2人に腕を捕られて入ってきたのは莉香だった。


「莉香…どうして!?」


「敬真!!」


「おぉっと、動くなよぉ」


 いつの間にかK-BOSSが立ち上がっていて莉香の前にいた。巨体からは想像もつかないほどの俊敏な動きだった。縦にも横にも膨らんだ威圧感のあるK-BOSSを莉香が見上げる。足は震えているが、その目には怒りが燃えていた。


「あんたが!敬真をっ」


 パンと音がして莉香が頬を殴られる。殴られたことに一瞬呆然とした莉香だったが、顔を向けてK-BOSSを再び睨みつける。


「莉香っっ!!!」


「ヒャ、ヒャ。いい女だなぁ。……あーダメだ。こいつは俺の女にするわ」


 急な展開に頭が追い付かない。莉香が、僕の可愛い、僕の1番大事な莉香が殴られた。どうして、なぜ、僕は何かを間違っ…いや、今はそんなことより、莉香をどうにか…くそっ頭が回らない……!


「ま、待て!待って!頼むから!莉香には何もしないでくれ!僕は抵抗しないから!」


「いやーお前がどうとかじゃないんだわ。もう俺が決めたんだわ。こんないい女、早々いないわ」


「頼むから…、いやお願いしますから」


「っち、うるせえなぁ。じゃあ、そこを動くな。俺の一撃を耐えたら考えてやってもいい」


「わかりました……」


「敬真!」


「……大丈夫だから。莉香、ごめん巻き込んで…」


 K-BOSSが僕の前に立つ。改めてみると本当に大きい。どうか、どうかこれで終わってくれますように、そう僕は祈るしかなかった。K-BOSSは、腰を落として片手を前にして床に手をつく。相撲の立ち合いの動作だ。もう片方の手がついた瞬間、爆発するような勢いでK-BOSSが突進してきた。点ではなく完全な面の強大なぶちかまし。トラックに引かれたことはないけれど、勢いと威力は変わらないだろう。


 『意感』をどれだけ発揮していても、面でこられては避けようがない。そもそも僕に動く選択肢はなかったけれど。120キロを優にあるだろうK-BOSSの猛烈な突進は、60キロもない僕の体を軽く吹き飛ばし、僕は向かい側の壁に強く撃ちつけられた。


「がはっ!!!」


 肺から一気に空気が抜けて、全身に痛みが走る。激痛に意識が飛びそうになるが、気を失うわけにはいかない。地面に前のめりに倒れた状態だけど、顔だけは-BOSSに向ける。


「敬真ぁ!敬真ぁっ!!!!」


「……こ…これで……莉香は…見逃し…て…くれま…すかっ…」


 口の中も切ったのだろう。喋るたびに口の端から血の泡が同時に吐き出される。


「うーん、考えてみた結果ぁ…やっぱダメだわ」


 こいつを、なんとか…しないと…僕は血を吐きながら立ち上がろうとするが、手が足が体は痺れたまま、僕の意志を無視して動かない。





「ま、待ってくれっ!!!」


 その時、奥のプレハブ小屋の中から慌てて出てきたのは、莉香と同じクラスの佐々木だった。プールサイドで、200万円で莉香を振るように言ってきた、最低のやつだ。なぜここにいるのか分からず、ただでさえ回転の鈍くなった頭がさらに混乱する。


「佐々木君が…なぜ、ここに…」


「K-BOSS、お、女には手を出さないという約束だったはずだ!」


「いやぁ、確かにそう言ったけど、これはダメだ。お前との約束を反故にしても、おしくねえ。そのくらい俺は欲しくなっちまった」


「か、金なら、もう100万、いや200万渡す。だから、その女は俺に」


「あぁ!!!!うるせえなぁ!!!どいつもこいつも、ピーピー騒ぎやがって!!」


 K-BOSSがダンダンと床を踏み鳴らす。


「おい、スポンサー!金はよこせ。ただしそれは、お前がここから無事に帰れるための代金だ。言うまでもなく女は俺のもんだ。これ以上何回言ったら、てめぇもぶちかますぞっ!」


「ひぃっ……」


 僕はこのやりとりの間も、床に這いつくばった姿勢のまま自分の体を再び動かそうとがんばっていた。全身の痺れはだいぶ薄まり、少しずつ動かせるようになってきた。あばらと右腕が折れてしまったようで、ジンジンと奥のほうから激しい痛みが押し寄せてくる。息を吐きながらゆっくりと立ち上がる。


 よろけながら、K-BOSSを睨む。刺し違えてでも倒して、莉香だけでも逃がす。殺しちゃうかもしれないけど、そして僕も死んじゃうかもしれないけどしょうがない。だから来い。僕を見ろ。


 僕は血の泡を口もとに浮かべながら、思いきり笑顔で言ってやった。


「こいよ、くそデカブツ。僕は…まだ死んでいないぞ」





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