♥14師匠の教え



 今日も勉強会が終わって、帰り道を一緒に歩いて、莉香さんがマンションの中に入っていくのを見届けた。もんもんとした気持ちで家までの道を戻る。莉香さん相手に、熱くて激しいキスだけで終わらせるのは、本当に精神衛生上よくない。先に進みたいのだけど、なし崩しで始めちゃうと、勉強とかもぐだぐだになってしまう気が、どうしてもしていた。中間テストで順位も上がって、勉強することも楽しく感じ始めていたので、期末テストでもがんばりたいと思っていた。


「ふぅ~」


 僕は長めのため息をついて、藍色と茜色の混ざった西の空を見る。こういう時は、師匠の教えを思い出したりするといい。





 師匠は小学校2年の時に会って以来。週に2~3回会っては、万流軟拳を主として本当にいろいろな、そして多くのことを教えてくれている。


 師事して翌日、最初にやらされたのは、師匠の顔を思いきりパンチすることだった。それも何度も何度も、右で、左で。小学生の、しかも小柄で弱い僕の力でも、何度も殴れば鼻血も出るし、腫れもする。それでも師匠は、何度も「殴れー。これはすごい大事なことなんだぞー」と言って殴らせた。


「人間はなー、他人の顔面を殴るなんてことは、そうそうできないんだー。一生やらない人間の方が多いぞー。だから余計に怖がるんだー。するのもされるのもなー。ほら経験しとけー」


 その次は僕も顔面を師匠に殴られた。とても痛かった。いじめられっ子達に殴られたよりもよっぽどきつかった。顔に跡は残らなかったけど、鼻血は止まらず、口の中も切れて数日は食べるもの全てが鉄の味がした。


「敬真ーどうだー?殴られていたいかー?」


「い…いたいです…」


「いじめられっ子達に蹴られた時と比べてどうだー?」


「師匠の方が痛いです」


「よし、じゃあこの痛み覚えとけー。より痛いのがあるのを知ってるかどうかは大事だぞー」


 ちなみにその晩、師匠は母さんに僕を傷つけたことを、言い訳一つせずに頭を下げて謝った。でも僕が師匠を変えないでほしいし、まだ習いたいと言って母さんにも許してもらった。





 万流軟拳の練習で、毎日徹底的にやらされたのは、体力作りと柔軟だ。力はなくていいので筋トレは一切していない。


 最初の4年くらいは、それと合わせて『意感』を磨くための訓練も毎日みっちりやらされた。瞑想に始まり、中国武術の練習方法として有名な推手という組み手を延々と続けたり、ボールを頭や腕に乗せたまま落とさずに動けるようにしていったり。


 不思議なもので、体力がつき拙いながらも感覚が鋭くなっていくと、余計なトラブルもある程度回避できるようになっていった。気が付いたら僕をいじめていた連中は、絡んでくることがなくなっていた。


 毎日の瞑想は今でもやっている。その日の自分の思い返しと反省をしたり、心を沈めたり、とても効果が高い。莉香さんと会って溜まったもやもやは、男子ならではの解消方法もまぁするけど、それだけだと心によくないので、瞑想で溶かしていったりもしている。


 中学くらいから『意感』と合わせて『軟躁』の練習もするようになった。師匠との組み手も、驚くほどに多種多彩なものになった。そして、その組み手をするたびに僕は痛い目を見せられた。うまく捌けないと相手の攻撃の力を全て自分で受けないといけないからだ。必死だったけど、「必死になってる時点で『意感』が死ぬぞー」と怒られることも多かった。


 師匠は知り合いが多くて、一時期は毎週のように知り合いたちの所に連れていかれ、時に師匠の行う組み手を見たり、時に自分が相手させられたりを繰り返した。「俺1人では、いろんなパターンを体験させるにも限界があるからなー」と言っていた。


 組み手を繰り返すことで、これまで磨いてきた『意感』と、作ってきた体による『軟躁』がどんどん僕の体の中で嚙み合っていき、毎日何かしらの発見があった。それがまた楽しくて、さらに深くのめりこんだ。




「坊主、何があっても平気なようにしてやろうかー?」


 師匠が最初に言ってくれた言葉だ。その言葉の通り、中学に入ってから万流軟拳に直接関係のないことも、教えの中に入ってきた。


 山奥に連れていかれて一晩放置されたり。鶏を捕まえる訓練かのように言われて、捕まえてみたら、それを自分で絞めて調理させられたり。猟師の知り合いがとらえたイノシシに、槍で止めを刺して解体なんてこともやらされた。ちなみに解体は師匠と猟師さんと一緒だったが、止めは絶対に手伝ってくれず、死にきるまで僕1人でやらされた。あれは本当にきつかった。ちなみに、そうやって解体した肉は全くおいしくなかった。


 中学2年の時に、「敬真、そろそろ女を経験しておけー」と唐突に言われた。経験しておけと言われても僕には好きな人も、そんな知り合いも伝手もない。もちろんそういう欲はしっかりとあったけど。


「どんなに強い人間でもなー、下半身に自分を引っ張られるようなやつになると、おしまいだぞー。確かに気持ちいいけどなー。溺れると、金、時間、交流関係、信用、これまで鍛錬してきたもの、そういいうのを失うぞー」


 僕は、その時、師匠の言っていることが今一つ良くわからなかった。


「逆になー、いい女に惚れて惚れられると、失うんじゃなくて得られるようになるぞー。そしてこれまでの鍛錬もより円熟していくんだぞー」


 僕は何も答えずにいると、師匠はにやっと笑って、「じゃあ行くぞ」と歩き始めた。





 師匠は、個人で整体師をしている。店舗は持っておらずに、依頼の合った人の家に行って施術をする。だけど師匠のお客さんは、ほとんどがお金持ちの奥さん達だ。この時点で師匠はいろんな意味でやばい人だと思うんだけど、それも今さらだ。僕が師匠に連れられていったのは、そんな師匠のお客さんの1人だった。


「敬真ー、こちらは仁美さんだー。話は全部してある。勉強させてもらえー」


「あら。あたし、こんな若いこといいのかしら。敬真君?は私でいいの?」


「は、はい!」


「じゃあ、お部屋に行きましょう。うふふ」


 仁美さんは28歳の医療関係者で、胸の大きなとても美人な人だった。旦那さんもいるはずだけど、その辺は聞いていないし、聞けなかった。こうして僕は仁美さんからいろいろと教わった。本当に素敵な体験をさせてもらえた。……ここまでなら、まぁよかった。


 若さに任せて数回ほど致した後、普通に師匠が部屋に入ってきた。僕はすごく慌てたけど、仁美さんから僕のいいところとダメなところが伝えられ、師匠はそれに対して、アドバイスや心構えをしてくれた。


 こんな感じのことが、人を変え場所を変え何回か行なわれた結果、僕は『セックスは気持ちいいけど、その気持ちよさは決して人生をかけるものではない』という解を得て、妙に達観した中学生となってしまった。毎回終わるたびに入ってくる師匠にうんざりしたのもあるけど。




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