♥11真髄『落絡』



 貴田先輩は相変わらずの総合格闘の構えで、ゆらゆらと揺れながら僕を中心に円を描くようにまわる。


 僕は、リズムをとるような貴田先輩の動きにつきあわないことにした。さっきは、このリズムで無意識に探られてタックルの気を合わせられた。ぼくが行った相手の観察、即ち出方をうかがうという行為で『意感』が鈍らされた。だから僕は体の向きさえも変えない。『意感』に任せる。


 ダシュッ


 床をける音と同時に、背面から掴みに来る貴田先輩を、ジャンプして避ける。人並程度にしか飛べないけど、地面すれすれのタックルは十分避けられた。僕の前で器用に前転して距離をとろうとする貴田先輩を、僕は着地と同時に前に進んで追いかける。


 貴田先輩が手をついて半身を起こして僕の姿を確認しようとするのがわかるので、床につこうとしたその手首を少しだけ足で押す。


「っ!?」


 僕が押したことで、手の側面から甲にかけてを床についた貴田先輩が小さく声を上げる。普通ならここで、腕を痛める所なのだけど貴田先輩は筋肉量も多く、そこまでのダメージは与えられなかった。





 あぁ…楽しい。


 莉香さんと一緒にいて感じる甘いドキドキとは異なる、もっとひりついた…、自分自身が削ぎ落されていくような感覚だ。


 もう少し感じていたいけど、そろそろ時間的にも終わりだと思う。


 ふぅ~~~と長く息を吐きだして、僕は手をぶらぶらさせる。貴田先輩には申し訳ないけど、もう少ししっかりとダメージを受けてくれないと止めてくれそうにない。これはそのための、僕の心の準備だ。


 雰囲気を感じ取ったのか、貴田先輩が総合格闘の構えを解いて、再び柔道の掴みの体勢をとった。貴田先輩のおそらく一番得意で早い攻撃なのだろう。手を伸ばして、僕にするすると歩み寄ってくる。僕は何もせずにそれを待つ。


 『意感』で感じるのは、片手で僕の胸を、もう片方で腕をとると同時に体を捻って、担ぎ上げるように投げる…おそらく一本背負いのような感じだ。


 貴田先輩の手がTシャツを掴んで、僕を引き寄せ、体を捻り始めたその瞬間、僕は体を極限まで緩めた。それによって僕は人間の体ではなく、およそ60キログラムの重りと化した。その重さは、僕の拳を通して体を捻った状態の貴田先輩の腰の一点を襲った。


「ぐぅぁあっ!」


 腰に挿しこまれた激痛で貴田先輩はその場で崩れ落ちる。一緒に倒れた僕は、重りから、人間の体に戻ってゆっくりと立ち上がった。



万流軟拳、真髄『落絡』。





 『意感』と『軟躁』の先にある万流軟拳の真髄『落絡(らくらく)』。


 中国拳法の幾つかの流派には『放鬆(ふぁんそん)』と呼ばれる概念がある。体の余計な力み、緊張を取り去った状態のことをいう。


 また『勁』と呼ばれるものがある。これは筋肉ではなく、重心移動や筋肉の伸び縮み等により発生する運動エネルギーのことを主に指す。


 体が『放鬆』していれば、『勁』を感じ、扱うことができる。相手の力を感じる『聴勁』、敵の攻撃を受け流したり無くしてしまう『化勁』、自分の力を相手に発する『発勁』もできるようになる。


 中国拳法の中には、地球の重力を利用して相手を攻撃するものがある。例えば、体を緩めてその場に崩れ落ちそうになる力を、『放鬆』しつつ前方向に『発勁』することで、目の前の相手を思いきり吹き飛ばしたりする。


 『落絡』は、体を緩めて自分の体が落ちる重力から生じる『勁』と、相手の攻撃エネルギーの『勁』を足して、相手に返す技だ。貴田先輩の様な、太い骨と分厚い筋肉に覆われた頑丈な相手でも立ち上がれないほどの自滅ダメージを与えることができる。


 これが万琉軟拳の真髄『落絡』だ。



「ぐぅぅう……花村、お前…何をしたぁ…!」



 うつ伏せになった状態で、脂汗を流しながら貴田先輩が僕をにらむ。周囲の人達も僕が何をしたのかは分かってない。貴田先輩が僕を投げようとしたら、突然腰をおさえて呻きだした様にしか見えないはずだ。


「万流軟拳の『落絡』と言います。貴田先輩が僕を投げようとして体を捻った瞬間に腰を狙いました」


「ぐ…くそぉ…くそぉおお!」


「貴田先輩、たぶん骨とかには影響はないと思います。でも捩じった体の奥の一点を狙いましたから痛みはひどいと思いますので、病院に行ってください」


「くそぉ…」


 僕は腰をかがめて、先輩にだけ聞こえる声で伝えた。


「あと、僕は月浦瑠々を襲ったりしていません。せめて、もう少し確認してください。それでは」


 僕は、敷かれた柔道畳から降りた。その瞬間に飛び込んできた莉香さんに抱き着かれた。


「け、敬真くんーーっ!よかったぁ…怪我しないでよかったっ!」


 莉香さんは泣きじゃくっていた。僕達は身長が同じくらいなので、莉香さんの頭は僕の肩に当たっている。必然的に、密着度は高く、莉香さんのやわらかい胸が僕の胸にぐにぐにと当たっていて、泣いている莉香さんには悪いが、ありがとう。


「ご、ごめんね、莉香さん、心配かけてごめんね」


「~~~~っ!」


 言葉にならない莉香さんが落ち着くのを少し待ってから、莉香さんの友達や風間君、雅臣達と一緒に体育館を去った。





「ということで、『落絡』を腰に入れて、なんとか無力化できたんです」


「敬真はバカだなー。都合よく決まったからいいものの、相手の様子を聞くと、それだけ骨も太そうで筋肉もしっかりついている相手だ。『落絡』が決まったのは幸運だぞー」


「そうですよね……」


「なんで、くるぶしとか股関節を狙わなかったー?それで一発だったろうー?」


「いや、将来デビューも決まってて、僕達も高校生なので、未来がなくなってしまうのはどうかと思ったんです」


「敬真は甘いなー。甘々すぎるなー」


「……自覚はしています」


「そもそもだぞー、最初に相手が掴みにきた時点で『落絡』仕掛けて、手首か肘を壊したら、それで済んだんだぞー」


「すみません…」


「まぁ、しょうがないなー。その先輩くんがまた挑んできても平気だろー?」


「それは、はい」


「じゃあ励めー。今日の練習はその反省点から行くぞー。」


 その日の練習では、師匠はニコニコしながら満面の笑顔だった。僕がこうやって勝つことが嬉しいということだった。ただ、その笑顔に反比例するかのように、練習は鬼のような厳しさだった。




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