♥10万琉軟拳



 貴田先輩が去った後、サポエイラ使いの風間君が話しかけてきた。


「花村、あの人はヤバい。謝って許してもらえ」


「風間君、あの人のこと詳しいの?」


「むしろ格闘技やってて知らない方がおかしいくらいだ」


 風間君によると、貴田先輩は柔道、レスリング、ヴィクター流柔術などを高いレベルでマスターしている。ヴィクター流柔術は中南米で有名な、超実戦派の寝技主体の格闘技だ。貴田先輩は、強すぎるが故に相手に怪我を負わせてしまうことが多く、高校の競技格闘技では満足に遊べないと、試合等には一切出ずに部活も遊び程度でやっているらしい。不良や、強いといわれる人間を見つけては部活体験と称して、いたぶることも多いそうだ。


「そんなんで、顧問の先生とかは何も言わないの?」


「なんか顧問が貴田先輩の才能に惚れこんでいるらしくて、高校はそれでもいいって方針だってよ。卒業してから顧問の知合いのジムに行って、1年内にデビューするって話らしいぜ」


「ふーん、そうなんだ」


「だから花村。お前も強いとは思うが、あの人だけはやめておけ」


「風間君さ、僕がそんな人相手でも平気だったら…どう?」


「花村…お前…」


「貴田先輩は、あくまで部活体験会だから見学したい人は来てもOKって言ってたし。よかったら見にくる?風間君に見せたのは万琉軟拳の一部だから」





「敬真くん!待って!」


 体育館に向かう途中で、莉香さんに呼び止められた。


「敬真くん、危ないよ!なんで敬真くんが闘うことになってるの!?」


「莉香さん…」


 莉香さんの後ろにいた友達2人も前に出てきて、僕に話しかけてきた。


「拳法君、莉香のこと思うなら頭下げて謝ってすましておこうよ」


「拳法君ってぼくのこと?」


「そうだよ。で、あの貴田先輩って本当にやばいから!前にも不良の腕折ったらしいし」


「お願いだから、敬真くん、本当に!」


「莉香さん、ごめん。師匠は僕を、何が起きても平気なように鍛えてくれてるけど、それはこういう時のためなんだ。僕も…今回、ちょっと納得がいかないことができちゃって…大丈夫だから。本当に」


「拳法君、それって月浦瑠々からんでるかな?」


「え?」


「あーやっぱりかー…。月浦瑠々が、3日くらい前から貴田先輩と付き合い始めたって噂があってさ」


「そんな、敬真くん!」


「莉香さん、大丈夫だから。僕を信じて」


 そう言われても莉香さんは、眉間にしわを寄せて泣きそうな顔をしたまま僕を見ていた。


「そうだ、そしたら莉香さんも見に来て。見学はいてもいいって言っていたし。大丈夫だっていうところ、ちゃんと見てもらいたいんだ」


「わかった…。でも、もし敬真くんが危なくなったら…あたしが止める…」





 放課後の体育館には、30人ほどの人が集まっていた。体育館の一画に柔道用の畳が敷かれており、その中央で貴田先輩が仁王立ちして僕を待っていた。


 見物している人の中には、風間君とその友達、僕の親友でもある雅臣、莉香さんと友達も含まれている。その他は知らない人達。2階の通路状になったキャットウォークの隅に月浦さんがいるのも見えた。


「おぉ、逃げなかったのか。偉いね花村君は」


「部活体験会、よろしくお願いします。怪我しても文句は言いません」


「ふふ…あははははは!根性はあるようだね。花村君、受け身は?」


「大丈夫です」


「よし。あとは寝技が決まって負けを宣言する場合は、どちらかの手を2回叩いてタップしてくれ」


「わかりました」


「じゃあ試合と同じ4分で行こう。君も修めた技を好きに使っていいぞ」


 誰かの仕掛けたタイマーがビーッと鳴って、試合が始まる。


 万琉軟拳に構えはない。Tシャツとズボン姿で自然体で立つ僕に対して、柔道着を着て、両手を前に出している状態の貴田先輩。


 闘いが始まった。





『万流軟拳』は、大きく2つの要素から成る。


1つ目は、視線、呼吸、発汗やリズム、筋肉の反応などの物理的要因と、力の流れ、気配や精神を同時に感じ取る『意感(いかん)』。


中国拳法において、相手の力や動きを聴くことを『聴勁(ちょうけい)』と言う。『聴勁』は練習を重ねてレベルが上がれば、気配や相手の精神をも読み取ることができるようになり目を閉じていたり、背後から襲撃されてもわかるようになる。この『聴勁』を万流軟拳として、先読み要素を加えて再構築したものが『意感』になる。


 貴田先輩が、僕のシャツを掴もうと1歩前に進んで手を伸ばしてくる。それが『意感』でわかる。


 僕は腰を落としながら肩をななめ前に突き出すように半歩前に出る。そのまま貴田先輩の伸びてきた手を、下からそっと押し上げる。


 これが2つ目。相手の力を逸らしたり、こちらの思うように操るための、柔らかい体とその体の使い方である『軟躁(なんそう)』。中国拳法で、相手の力を吸い取ったり、コントロールすることを『化勁(かけい)』という。万流軟拳では、この『化勁』で相手の攻撃を避け、いなすのが1段階目、さらにそこから相手の力を利用して自滅させるのが2段階目になる。


「!?」


 シャツを掴もうと伸ばした手が空を掴み、その手よりも内側…、自分の腕の中にいる僕を見て、貴田先輩は目を見開いた。けれども、瞬時に腕を広げて下がってしまった。思った以上に切り替えが早い。


「あれ?今、花村何かした!?」


「貴田先輩が羽交い絞めにしようとしたのを止めた?」


 僕達を見ているギャラリーからも戸惑いの声がポツポツと上がる。『意感』と『軟躁』を使うと、攻撃した本人も、そして周囲も何をしたか理解できないことが多い。明らかな攻撃をしている相手と比べて、こちらは最小限の動きしかしていないから。


 「……花村君。君を舐めすぎていたようだ」


 貴田先輩は、ふぅと息を吐いて構えを変えた。半開きにした手を前に出して浅く構え、足幅を広めに、重心を低めにステップを踏んで体を左右に揺らしている。総合格闘技なんかでよくみる構えだ。


「シッ!」


 けん制のジャブを打ってくる貴田先輩。僕に当てるのが目的でないのはわかっている。僕は自然体のまま、左右に上半身を揺らして丁寧に避けていく。貴田先輩のステップは一定のようでいて、ほんの少しだけずれているリズムを刻んでいて、どうも隙を計られているように感じる。なので、貴田先輩の動きとリズムを観察しながらも、シャブは逸らしたりせず避けるだけにとどめておく。


 10回近くジャブを避けた後、ふいに貴田先輩がぶれたように見えたと思ったら、先輩の体が僕の腰よりも低い位置にあった。


「くっ!」


 ここで、逃れるような動きをすれば、僕は床に叩きつけられてマウントを取られるか、関節を極められて終わる。僕は軽くジャンプをするように、前のめりにそのまま倒れた。そのまま眼下の貴田先輩の背中に向かって落ちていく。


「ぬぅっ!!?」


 手が空ぶった上に、突然背中から重さを感じた先輩は、自分が寝技をかけられると思ったのだろう。タックルの姿勢から3回ほど床を転がってから立ち上がった。僕は最初に先輩が転がった時点で振り落とされて、既に立ちあがっている。


 今のは正直危なかった。心拍数が上がり、バクバクと体の中が騒がしい。


「何をした?」


「……説明がうまくできません」


「てめぇのことを認めてやるよ。だから加減ができねえ。怪我をしても恨むんじゃねえぞ」


 先輩の口調が変わった。剣吞な気配が立ち上ってくる。でも、僕は負けない。僕は何があっても大丈夫だから。深く息を吸って、ゆっくりと吐く。激しかった鼓動はおさまって、僕の心が凪いでいく。


「僕も手加減はできません。怪我させたらすみません」


「花村ぁ……」


 ぐにゃりと周囲の空気がゆがんだ。



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