♥7勉強会



「じゃあまた、学校でね♪」


「うん、明日」


 僕は莉香さんとの電話をきった。ゴールデンウィークにデート、デートでいいんだよね?をして以来、2日1回くらい電話で話すようになったのだ。莉香さん的には、メッセージアプリと違って電話だと少し緊張するらしくて、気を許した女友達としか電話で話したりはしないらしい。その気持ちはよくわかる気がする。僕と話してくれたのは、気を許してくれたから…だと思いたい。


 最近は莉香さんのことばかり考えている。もともと子どものころから冷めたところがあって、ゲームにしても遊びにしても何かに熱中することなんて、ほとんどなかった。師匠は、それは戦いや万流軟拳を学ぶにあたっていい素養だと言った。心の中に常に冷静な部分があって、自分のことを俯瞰で見て、良くしようと続けることが大事なんだと口を酸っぱくして言われている。


 師匠と練習をしているときは集中しているけど、家に帰って1人になったりすると、莉香さんはどうしてるんだろうかーなんて考えたりする。師匠は、「恋してるなー。いいぞー、そのままはげめー」なんて言っていたけど、恋をというのも過去にしたことがないから、いまいち分からない。


 莉香さんの笑顔を思い浮かべて、頬を緩めながら僕は眠りについた。





「敬真くんは、成績ってどうなの?」


 お弁当タイムが終わって、お茶を飲みながら話している時に、莉香さんにふいに聞かれた。僕の学校は1学年で200名近くいて、上位80名のテスト結果は廊下に貼り出される。莉香さんは、ほぼいつも5位以内に入っている。はっきり言ってめちゃめちゃ頭が良い。


「うーん、貼り出されたことはないかな。あ、でも赤点はさすがにとったことはないよ」


「赤点とらないのは当たり前だよ!」


「莉香さんは、なんでそんなに頭がいいの?いつも上位でしょ?」


「がんばってるからだよ。あたしさ、こういうかわいい恰好が好き。でもね、先生とかでもそうだし、うるさく言ってくる大人もけっこういるの。『そんな格好してるから成績が~』なんて。だけど、いい成績とっていれば、それだけで黙るし、あたしも気分いいから」


「すごいね、莉香さんは」


「にしし、もっと褒めたっていいんだよー」


 そう言って莉香さんが頭を差し出してきたので、僕は思わず頭をなでる。


「あー、やばい。これすきかも♪もうちょっと、このまま♪」


昼休みの恒例行事、僕たちの周囲で起こる歯ぎしりの音が一段と高く響き渡った。





 放課後、莉香さんが僕の家にいた。


 理由は、僕に勉強を教えてくれるためだ。1年の3学期末の期末試験の各教科の点数を聞かれたので答えたところ、莉香さんは顔を思い切りしかめながら、「それはどうにかしないといけない」と言い出した。


 僕は勉強があまり得意じゃない。師匠は、何があっても平気なように僕を鍛えてくれるけど、それは暴力で何かをされるときや、あとはサバイバルに少し寄ったものだ。師匠の教えの一環として、鶏を絞めて食べたこともあるし、罠にかかったイノシシにとどめをさして解体する、なんてことまで経験させられている。なまじ、そういった知識と経験の大事さを教えられるものだから、僕の中では勉強の優先度がどうしても低い。なので、そういった辺りのことも正直に莉香さんに話してみた。


「すごいね。ってか敬真くんの師匠ってやばい系の人?でも、ちょっと敬真くんが頼りになる理由がわかった気がする」


「僕って頼りになるの?」


「うん♪あたしはずっとそう思ってる」


 灰色がかった瞳をきらめかせながら莉香さんは、正面から僕を見てくる。僕は莉香さんに見つめられるとドキドキして、つい目をそらしてしまう。


「敬真くんは、勉強しなくても生きていけると思う。でも、あたしは勉強して成績をあげることも、やっぱり大事だって思う」


「それはどうして?」


「選択肢が増やせることが一番大事かなって。お父さんの受け売りだけど」


「選択肢が増える?」


「うん、将来やりたいことがわからなくても、ある程度勉強をしておけば、どの方向にも進みやすくなるからって」


「あまり実感がわかないんだよね。高校卒業したら就職しようかなって思っていたし。何やるかはわからないけど」


 僕の家は母さんが1人で僕を育ててくれているので、早めに負担を減らしてあげられればいいなと思っている。


「そうなんだ…。でもさ、た、例えばね…もし、敬真くんが大学に行くとして、その時にあたしと同じキャンパスを歩く……とかあったらいいなって、あたしは思ったりしちゃうんだ」


 そういって、ちょっとうるうるした瞳で僕を見るのは反則だと思う。実際、成績が下位クラスの僕と、トップクラスの莉香さんが一緒の大学に行く可能性なんて薄いだろう。でも、僕はなぜだかそういう光景も悪くないと思った。


「そっか、そういう意味での選択肢も広がるってことか」


 高校出たら就職としか考えたことのなかった頭の中に、違う未来を描いていいんだと許可が下りたような気がした。大学…バイトで学費を稼ぐとか、奨学金とかもあるだろうし、母さんにはちょっと悪いけど少し考えてみようと素直に僕は思った。


「莉香さんは、やっぱりすごいね」


「どういうこと?」


「勉強…してみるよ。あの、教えてもらっていいかな?」


「もちろん♪そのために来てるんだから」


 こうして僕と莉香さんの勉強会は定期的に行われることになった。





 莉香さんの教え方はとても上手かった。効率的な勉強の仕方を、司法書士をしている父親から教わっているそうで、最初なじむまでは少し苦労したけど、ペースを掴んでからは、するすると頭に入るようになってきた。


「はい♪15分、終了~」


「ふぅ…」


「じゃあ採点するよー」


「お願いします」


「ん~……80点!いいね敬真くん!どんどん伸びてきてる!」


 小テストを15分くらい集中して解いて、間違ったところを見直す。どこを間違えたのか、自分がどういう思考をして間違えたのかを徹底的に解析する。納得出来たら類似問題をいくつか解いて、大丈夫だと思えたら次のステップに進む。莉香さんに最初出されたのは中学の問題からだったので、さすがに戻りすぎじゃないかと思ったけど、意外にいい復習になったのと問題を解く喜びが味わえたため、どんどんと次につながっていった。


 ゴールデンウィーク以降、莉香さんは学校帰りに僕の家に来て2時間ほど勉強会をしてから帰る。莉香さんの家までは徒歩で10分くらいなので、僕は休憩がてら送っていく。


「あと少しで中間テストだけど、どう?」


「いや、まだ全然わからないよ」


「ふーん。じゃあ、例えばさ♪テストの順位表に敬真くんの名前が入ってたら、あたしが敬真くんをハグするね」


「え…」


「あれ、ご褒美にならない?嬉しくない?女子高生の生ハグだよ?」


「嬉しいけど、やばそう……あと生ハグって表現がやばい」


 莉香さんはスタイルがとてもいい。出るところが出ていて、ひっこんでいるところはキュッとくびれている。水族館のときは間に『サメかわ』のぬいぐるみが挟まれてて、莉香さんのハグは本来の十分の一も味わえていない。


「うん、がんばってみるよ」


 僕はその日からさらに勉強の時間を増やして、テストに備えた。





 1学期の中間テストが終わった。手ごたえは…少なくとも今までよりかは良かった。解けない問題も多かったけど、そのかわり解けた問題は自信を持ってできたって言える。これだけでも僕的には大きな変化だ。


 数日経って、中間テストの結果が貼りだされた。僕の学校は1学年に200人くらい生徒がいて、中間、期末テストの上位80名までは順位が貼りだされるようになっている。そして僕の名前は……。


「あったよ!敬真くん!78位!すごい!すごい!やった!」


 まるで自分のことのように喜んでくれる莉香さんはそのまま僕に思いきり抱き着いてきた。莉香さんのやわらかい胸が、形を変えて僕に当たって、高めの体温と少し甘い香りが僕を包む。それは莉香さんとあった最初のころにパーカーを被せられたときの比ではなかった。耳元で莉香さんが「ホントによかった!」と嬉しそうに言ってくれるが、言葉と同時にもれる吐息を耳が受けて心臓がドキドキしてくる。


 だけど、このハグだけど……、テスト順位の貼りだされているボードの前で、他にも大勢の人がいる前で行われたので、また僕の周囲からは盛大な歯ぎしりの音が響き渡っていた。




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