♥2パーカーの王国



「よし、じゃあ、いこうぜ!」


「いたいっ!」


いよいよ連れ去られそうになる姫宮さんに気配を消して近づく。僕は、手首を掴んだ男と姫宮さんの間に、自分の体を入れ込んだ。


「あ?」


「うぉ!なんだ、お前いつのまに」


 姫宮さんの手首を掴んでいる男の指に、ちょっと力をかけて、その手を離させる。


「!?」


 これで、男達と姫宮さんの距離は離れて間に僕が入る状態になった。僕は、自分の背中に回した片手を振って、ハンドジェスチャーで姫宮さんにここから逃げるように伝える。


「でも……」


 面倒くさいので早く逃げてほしい。さらに激しく手を振って、早く行けと伝える。


「ご…ごめん!」


「おい、待て!くぉらっ?」


 姫宮さんが走り出すと同時に、もう一度捕まえようと動いた男の腕を、僕は優しく触れて、男の体勢を崩させる。姫宮さんは無事に抜けることができ、「け、警察よんでくるからっ!」と言って小走りに去っていった。


「おい、ガキ、てめぇ、何邪魔してくれてんだ」


「ちょっと面かせ。このくそチビが!女逃がした罰だ、完全にボコボコにしてやる」


高2になった僕は、小学生のころより大きくはなったけど、やっぱり体が小さい。身長も164センチで今のところ止まってる。力だってそこまで強くない。ある程度は体も締まっていると思うけど、細いからすごく舐められる。でも万流軟拳は、それでいい。ただ…急がないと警察が来てしまう。


「早くして」


「っらぁ!」


意気込む男達に向かって、聞こえるように言うと、赤帽子の男が殴り掛かってきた。振りかぶった右のストレート。技術もない力任せの動き。振り下ろされるように向かってくる男の手首に平手を沿えて、力の向きを変える。そのまま回転へ。同時に半歩踏み込んで膝を突き出し、男の体勢を不安定にした上で、回転中の二の腕に手をあてて、さらに加速。


 ぐるりと1回転した男の拳は、かなりの威力で完全に油断していた右隣の赤バンダナの男の首筋にあたる。


「ぐぉっ!いってぇ、お前なにすんだよ!」


「あ、俺!?いや、わりぃ!」


混乱する男達の間に、体を半分だけ入れて、赤バンダナの男の手首を下から、トンと上げる。上げた先には、体勢を回復しきっていない赤帽子の男の顎がある。


「あ……」


回転の余韻を残したまま、赤帽子の男が脳を揺らされて失神し地面に倒れこむ。


「お、おい!」


 倒れた仲間に手を伸ばしかけて、重心が少し前にいきかけた赤バンダナのくるぶしを、つま先でずらしてあげる。前に出した足が、地面を踏むことなく後ろに流れた赤バンダナは、膝から垂直に地面に落ちて倒れこんだ。


「ぐぁっ~~~、痛ぇ!うぅー!」


 人間の膝は、通常の立っているくらいの高さからでも地面に当たるとけっこうなダメージを受ける。角度や当たり所が悪ければ、後遺症が残ることもある。もちろん、そこまではやっていないが、少なくとも膝を痛めれば動けなくなる。少し引いて、様子をうかがうが、動けず戦意がないことを確認すると、僕はその場を離れた。





『万流軟拳』は、相手の力を利用して自滅させることを突き詰めた流派だ。体が小さくても、力がなくてもできる。大事なのは、対象が何をしようとしているかを察知して力の流れを感じ取る『意感(いかん)』と、相手の力を利用するための体の柔らかさと使い方である『軟躁(なんそう)』だ。師匠から教わっていることは、細かくはいろいろとあるけれど要約するとこの2つの要素に尽きる。


絡まれた結果とその上で感じたことは師匠に報告するよう言われている。今日戦ったラッパー風のチンピラなんかは、その位置取りなんかも含めて、とても勉強になった。僕は、姫宮さんのことなんか忘れて、意気揚々と帰宅した。





 数日が経って、休み時間に学校の廊下で姫宮さんとすれ違った。助けはしたものの、刃舞伎町からはすぐ帰ったし、警察よんでくるとか言ってたけど、あの後どうなったかは知らないし興味もない。フードも深く被っていたから、どこの誰かもわかっていないだろうからと、僕は安心していた。


 …のだけど、すれ違った後にこっちを見て振り返った気配がする。僕は、万流軟拳の『意感』があるので、周囲の気配なんかも少しの範囲ならわかる。姫宮さんは、なんかしきりに首を捻っているようだったが、そのまま友達と歩いていった。


 学校1の美少女、人気者とからみができたら嫉妬とか敵意とかで面倒くさいことになりそうだから、なんとか気づかれずに済んだのはよかった。師匠は、何が起きても平気になれるように僕を鍛えてくれたけど、僕は自分から渦の中に飛び込みたいわけじゃない。むしろ師匠から与えられる課題以外では、できるだけ穏やかな日々を送りたいと思っている。


 でも、そんな僕の願いは、まったく通じなかった。





数日後、朝のホームルーム前の時間。教室の騒がしさが一段増したので、友達と話しながら顔を上げると、入り口のところに姫宮さんが立っていた。姫宮さんは、中をきょろきょろと覗いていたが、僕と目が合うと、真っすぐ僕に向かって歩いてきた。クラス中の人がそれを見ている。姫宮さんは僕の横まで来ると、机の上に置かれた僕の手を少し見て、そして口を開いた。


「あの時は、ありがとう!ねぇ、名前を教えて!」


「え、なんのことですか?」


「あたしを助けてくれたの君でしょ?名前は?」


「いや、なんのことかわからないんですけど…」


「名前は?」


「いや、だから」


「名前は?」


「……花村敬真です」


「敬真…けいま…うん、いい名前だね。敬真くんでいいね!ありがとうね、敬真くん!」


「いや、だから本当に…」


「えーおっかしいなぁ……。そうだ!」


 そう言うなり、姫宮さんは着ていた薄い紫色のパーカーを脱ぎだす。姫宮さんは立っていて、僕は座っている。脱ぐのに合わせて、大きな形のいい胸がふるふると揺れている。その距離、僕の目の前、約40センチ。


「えいっ」


なんだこれ、何が起こっているんだと思っていたら、姫宮さんは、その脱いだパーカーを僕にフードごと、ふわりと被せた。


「…!???」


「「「「!!!」」」」」


 なんか甘い香りがして、パーカーがほんのりと温かい。天国だ、ヘヴンだ、桃源郷ラだ、なんという幸せの王国なんだろう。どうしよう!?そして、その王国の外側では、クラスメイト達の言葉にならない衝撃が渦まいているのがわかった。あぁ、ずっとこの中にいたい。出たくない。


そう思っている間に、姫宮さんは僕の後ろに回って、パーカーを被った後姿を見て、何度もうなずいて、僕からパーカーをとると自分に羽織った。


「うん、やっぱり間違いないよ、敬真くんだね」


まじかー…。なんでわかったんだろう…。


「勘と手だよ!廊下ですれ違ったときに、あれ?って思って、それから時々見てて、そして今、背中と手を見てわかったんだ!」


 心をよまれているのかな?


 口をへの字にして顔を上げた僕をみて、姫宮さんは、にかりと笑った。学校1の美少女の笑顔は、ものすごい破壊力だった。




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