第17話 しののめ金平糖
「わたしのお話は、以上でございます」
天狗の娘は、暗闇の先に座する大男に言った。うにゃもんは無言のまま、ばりばりと頭をかいた。
ややあって、うにゃもんは口を開いた。
「娘、」
女が闇のなか、こちらを向く気配がした。
「おぬしがさっき話して聞かせた、この飯屋が廃れておる理由じゃがな。あれは嘘じゃ」
その言葉に天狗のまぶたがわずかに震えた。
「どういうことでしょう」
「おぬしはこれまで、暇を見つけてはその翁の想いのこもった刀とやらを探し続けてきたのじゃろう。そのせいでこの店にまともに暖簾をかけていられなかった。そうではないか」
女は少しの沈黙を挟み、やがてこう陳謝した。
「へぇ、まったくおっしゃる通りでございます。おっ母の面倒を見ているとき以外は、方々の山寺をめぐっておりました。もちろん、母と自分の食いぶちも作らなきゃなりませんので、たまに店を開けることもありましたが、そんな不定期にやってるんじゃ、お客さんだって寄りついちゃくれません」
こうべを垂れる女を見て、うにゃもんは短くせき払いをした。
「あやまる必要などない。それよりも、あらためて聞こう。これはこの奇天烈な夜話ののっけにおぬしが言ったことじゃ」
大男がこう切り出したので、天狗は居ずまいを正した。うにゃもんは続けた。
「おぬしはこの話がすべて終わったら、わしにお願いしたいことがある、と申した。さて、それはいったいなんじゃ」
娘ははっきりとこう答えた。
「へぇ。お尻さんの持つその脇差し、秘刀、黄大仙をどうかわたしにお貸しくださいまし。わたしの母や、まいごさんのお爺さんや、他にもいまだ北角の悪しき呪いに苦しんでいる、たくさんの人たちを救うために」
うにゃもんは大仰に腕組みをしてみせた。
「ふん、もはや論ずるまでもないことじゃな。天狗に、猫に、人間。皆、等しくこの地に生けるもの。そのために資することがあるのなら、この刀、喜んで差し出そう」
うにゃもんは黄大仙を手に取り、飯台のうえに静かに置いた。女は目がしらに袖をあて、感謝します、と震える声で言った。
「さぁて、善は急げじゃ。早速、おぬしの持つまいごの懐刀を持ってくるがいい」
うにゃもんは言った。
「へぇ。あ、でもその前に、明かりをつけましょうね。こう暗くっちゃなにもできやしません」
「その必要はない」
「え」
女は暗闇の先にいるうにゃもんの方を見た。
「もう、夜明けじゃ。雨もすっかりあがっておる。なんなら板戸を開けてみるがよい」
女は立ちあがり、ぺたぺたと玄関に向かった。そして板戸を開けた。
外はすっかり白んでいた。薄明かりが差しこみ、玄関口に薄っすらと女天狗の影が浮かんだ。
「全然、気がつきませんでした」
「よほど話に集中していたようじゃな」
うにゃもんは白い歯をのぞかせ、さて、と黄大仙を手におもむろに腰を持ちあげた。天狗の娘は、刀を取りに行ってきます、と小走りで表に出て行った。
うにゃもんは熊のような大口であくびをしながら外に出て、冷んやりと澄んだ初冬の空気を存分に味わった。夜通し降り続いた雨で、地面はえらくぬかっていた。一度、両腕をあげて大きく伸びをすると、一晩中、同じ格好で座していたせいか、身体の至るところがびきびきと音を立てた。
薄銀色に染まりはじめた東の空のした、天狗娘が地面の泥をつっかけ草履で跳ね散らしながら、駆けてくるのが目に入った。胸には短い刀をひん抱いている。
女はうにゃもんの目の前まで駆け来ると、緊張した面持ちで刀を差し出した。
「こ、これでございます」
うにゃもんは、その変哲のない古びた刀を受け取った。そして手慣れた様子で鞘からぬくと、じっと見つめた。刀刃こそ美しく研がれてはいるが、別段、なにか特別な力がこめられた刀には見えなかった。
うにゃもんは刀の鞘を女に手渡すと、次に黄大仙に手をかけ、さっきと同じように刀をぬき、鞘を女にあずけた。女は二本の鞘を大事そうに胸に抱えた。
うにゃもんは一度、天狗の顔を見据えた。女の頬ははっきりと紅潮していた。女は潤んだ目で大男の巨眼をじっと見つめ返し、今まさにはっきりとうなずいた。
やがてうにゃもんは白白明けの虚空を見あげ、二本の刀を十文字を描くようにして天高くかざした。
「強き想いを宿す両の刀よ。その秘する力を今ここに解放したまへ」
すると突如、刀がきぃぃぃという怪鳥の鳴き声のような巨大な金属音を響かせた。その途端、それまで薄銀色をしていた空が、にわかに眩い黄金色に変わっていく。その明るさは、真夏の陽光なんてものではない。それこそ目もまともに開けていられないほどの強烈さだった。
だが次には空にどこからともなく灰色の雲が垂れこめはじめた。雲はまたたく間に広がっていき、金色の空一面をたちまちにおおっていく。
そのほの暗い雲は、地上に一片の陽の光も差しこまれないほどに空を隠すと、今度はごろごろと鈍い雷音を呼んだ。
そのころには雲はいっそう厚みを増し、墨のような色となって空全体を包みこんでいた。そしてついに、ぽつりぽつりと雨が降りはじめた。それは程なくして雷光混じりの本降りとなった。
その雨粒は、なんと七色だった。それはさながら戦国の時代、南蛮菓子としてばてれんによってこの国に持ちこまれ、今では数々の菓子職人の手でとりどりに色づけられ、人々に愛されるあの金平糖のようだった。
うにゃもんと天狗の娘は、びしょ濡れになるもいとわず、ただ黙ってこの奇跡の彩色雨を見あげていた。いつまでも、見あげていた。
「娘、怖いか」
不意に大男が尋ねた。
「へぇ。うにゃもんさんも」
女も同じ質問をした。
「あぁ、そうじゃな。たまらなく怖い。両の足ががくがくして、すぐにでもなにかにもたれかかりたい気分じゃ。そのくらいこの光景は、あまりにも神々しい。
でも、わからん。確かになにかにもたれたい気持ちではある。じゃがその一方で今、ここに立つ我が足の力をしかと感じていたい、あるいはそんな気持ちもにもなっておる。実に奇妙な感じじゃな」
うにゃもんはそう言って自嘲気味に笑った。
「その気持ち、わかる気がします」
天狗もくすくす笑った。
やがて雨があがった。雨があがるのと同時に雷も鳴り止み、空をおおっていたぶ厚い雲は、まばたきをする間に消えてなくなった。そして再び顔を出した空の色は、もはやあの眩い黄金色ではなかった。
東の空は今、しののめ色に染まっていた。
「あけぼの、じゃな」
頭からずっくり濡れたうにゃもんが、ぽつりと言った。
「そうですね」
女はそのつややかな長い髪から、七色の雫を滴らせながらうなずいた。
「母親のところへ行ってみるといい」
うにゃもんは言った。女は、あ、そうですね、と言い、二本の刀の鞘をうにゃもんに返すと、大変に慌てた調子でばしゃばしゃと水たまりのうえを駆けていった。
女が弾いた水たまりに、空のしののめ色が映っていた。水面で揺れるその色は、身震いするほどに美しく、うにゃもんはそのあかねの波紋にうっとりと見とれた。
遠くのひときわ高い山のうえを、一羽のはやぶさが飛んでいた。しののめ色の空の真んなかを、我が物顔で優雅に滑空していたその鳥は、やがて不意に羽をすぼめると急降下をはじめ、紅葉に染まった山のなかに姿を消した。
うにゃもんは二本の刀をそれぞれの鞘に戻すと腰に差し、またひとつ、大きな大きなあくびをした。
しののめ色はそのとき、もういつもの淡い空色に戻りはじめていた。
完
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