第16話 職人の住む町

 火鉢の放つ柔らかな炎は、うにゃもんと女天狗の足先を温めはしてくれたが、二人の背中にうずまく冷たい隙間風を追い払ってはくれなかった。

 そのとき、この宵で一番の風が壁の穴から入りこみ、行灯の火をとらえた。炎は一瞬だけ揺れ、直後、食堂のなかは暗闇に包まれた。

 「明かり、なくても平気ですか」

 しばらくして天狗の娘は暗闇の先にいる大男に尋ねた。

 「かまわん」うにゃもんは即答し、「それよりも話を続けてくれ」とおごそかな声で言った。

 女は「へぇ」と諾し、再び口を開いた。「まいごさんは、やがて息を引き取りました。最後はわたしの腕のなかでした」

 女の声は、次第に涙ぐんだものに変わっていったが、明快な話ぶりは健在だった。

 「北角が光のなかに消えてしばらくすると、それまで健気にすっくと立っていたまいごさんの口もとから、刀がぽとりと落ちました。それが合図であったかのように、まいごさん自身も崩れるように倒れました。

 わたしは駆け寄り、その小さな身体を抱きかかえました。まいごさんはわたしを見ると、微かに笑いました。『あぁ、やっと刀をおろせるときがきた』と。その刀は、まいごさんにとって、旅のお守りであった一方で、使命という重たい枷でもあったのです。

 まいごさんはその刀をわたしに託す、と言いました」

 女天狗はそのときの模様を話して聞かせた。

 まいごは半目を開けて女を見つめると、弱々しく、さりとて芯のしっかり通った声で言った。

 「あんたに、頼みがある」

 「へぇ。なんなりと」天狗は答えた。

 「おれの刀を託したい。それを持って、おれの爺さんのところへ行ってくれないか」

 「承知しました。そこに行ってなにをしたらよいのですか」

 「爺さんの想いが宿っているものを探してほしい。包丁でも、鍬でも、物干し竿でも、なんでもいい。正直言って、おれはどんなものに爺さんの想いが宿っているのか、皆目わからない。だから面倒をかけるが、家のなかにあるもの片っ端からからあたってみてくれ」

 「お爺さまに直接、それを問うてはまずいのですか」

 まいごは苦笑する。

 「爺さんは病気だ。おそらくあんたのお袋さんと同じ呪いによるものだ。問うてもいいが多分、なにも答えてはくれない」 

 「わかりました。それで対象となるものを探し出したら、次になにをすればいいのです」

 「おれの刀と重ね合わせてくれ。そのなかのどれかと反応し、共鳴するはずだ。そして共鳴が起こったとき、ようやっと願いが叶う。あんたと俺のな」

 女はその潤んだ黒い目を大きく見開いた。「それが先ほど言っていた、呪いを解けるかもしれない方法なのですね」

 まいごは答える代わりに口角をあげ、次に老翁の居場所をゆっくりと伝えた。

 「へぇ、しかと聞き取りました」

 女天狗は言った。

 「あんたはいい人間だ。おれの爺さんのようにな。おれの名はまいごだ。余命いくばくもないちび猫の頼みを聞き届けてくれたこと、感謝する。あんたがもう一度、愛する者と達者に暮らせる日が訪れることを、せめてあの世から願っていよう」

 女は激しくかぶりを振った。

 「あの世だなんて、及び腰になってはいけません。今はしっかり休んで、元気になったらあとからわたしを追っかけてきてくださいな」

 女は努めて明るい声でそう言ったが、まいごはなにも答えなかった。ややあって、まいごがつと口を開いた。

 「あぁ、そうだ、もうひとつだけ、おれの頼みを聞いてもらいたい。なに、これは個人的なお願いだ」

 「へ、へぇ。もちろんです。わたしにできることならなんだって」

 「爺さんに会ったら、こう伝えてもらえないか」

 勇敢にして霊妙なる碧眼の猫は、ささやくようにしていまわの言葉を伝え終えると、安心したように細く長いため息を漏らした。そして目を閉じると、そのまま眠るように事切れた。

 溢れくる涙を拭いもあえず、女天狗は叫んだ。

 「まいごさん、あなたの頼み、きっと、きっと叶えますから」

 それから女は、いまだ意識の戻らない母を近くの宿場に運び預け、まいごの亡骸と懐刀を抱いて、老翁のあるところに向かった。

 老翁の家がある町に着くまでにほとんど二日を要した。空を飛んでいけばもっと早く着けたかもしれない。だが人や他の天狗に見つかって、余計な厄介ごとを招くのは避けたかった。

 そこは、あまりにもうらぶれた町だった。もとは職人の集い町であったのか、入り口から伸びる大通りには、屋根職、植木屋、傘はり、炭団屋(たどんや / 火鉢やこたつ、煮物料理などに使う長時間、燃焼する炭をつくる職人)といった、いろいろな居職たちの看板を掲げた家が軒を連ねている。かつてはえらく賑わっていたのだろうが、今ではそのいずれも、おんぼろみすぼらしいあばら家のようだった。

 大通りを歩いていくと、やがて奥まったところに、なおいっそう古びた家があった。軒したには、もはや色あせてほとんど読み取れないが、「刀鍛冶、研師、鞘師」と書かれた軒看板がつるされている。家の裏には鍛冶場と思しき、これまた粗末な小屋があった。どうやらここが目的の家で間違いなさそうだった。

 戸をたたいたが、案の定、何度やっても反応はなかった。しかたなく戸に手をかけ、そっと引いてみた。それはあっさり開いた。

 家のなかはようやく雨露をしのげるだけの、狭くてほの暗いわび住まいだった。玄関のある土間は、多雨多湿に長いことさらされじめじめしており、かびと濁り水のまじったような臭気が天狗の鼻をつく。

 女は履き物を脱ぎ、そっと床にあがった。土間の脇にはかまどと水がめがあったので、横目でちらりとのぞいてみたが、ここ最近で飯が炊かれたような形跡は見られなかった。

 なかはすぐ居間に通じていた。狭い部屋の真んなかに布団が敷かれている以外、他にものはなにひとつ見当たらない。そして布団といっても稲を編んだだけの敷物のうえに、綿のほとんどつまっていないせんべい布団がかぶさっているだけだ。

 女がしばしその場にたたずんでいると、不意にわきの方から声がした。

 「誰だ」

 しわがれた男の声だった。顔を向けると、そこには腰の曲がった老人が立っていた。居間の先の納屋から出てきたところのようだった。

 藍で染められた麻の衣に、職人らしく縞模様の入ったどてらを羽織っている。その顔に生気は感じられず、なんとも亡霊のような顔をしていた。

 女は慌てて表情を取りつくろった。

 「あ、あの、わたし、まいごさんの遣いの者です。ちょいと用件があって、あなたさまのもとを訪れました」

 「まいご」

 老翁はその名にまったく覚えがないような、呆けた顔を浮かべていたが、やがて緩慢な足取りでよたよたと娘のいる居間まで来ると、糸が切れたようにすとんと腰をおろした。「話、聞かせてくれ」

 「へ、へぇ」女天狗はわたわたと翁の向かいに座するとひとつ深呼吸をし、その間に頭のなかを整理した。そして一部始終を余さずに伝えた。話し終えると、手に持っていたふろしき包みをそっと開いた。そこには魂のぬけたかつての飼い猫と、その猫に与えた古刀が並んでいた。

 老翁は顔色ひとつ変えず、じっとまいごのむくろを見つめていた。ずいぶん長いことそうしていたが、やがてふぅと重たいため息をついた。

翁は力のない目で天狗の娘を見据え、か細い含み声でこう言った。

 「ありがとうよ」

 「え」

 「こいつの最期を、看取ってくれてな」

 老人の能面のような表情に、はじめてかすかに動きがあった。それはわずかだが微笑んだように見えた。

 天狗女は、と、とんでもねぇです、とぶんぶん首を横に振り、そしてこう続けた。

 「あの、もうひとつ、お伝えしなきゃならないことがあるのです」

 そして天狗女は、まいごの臨終の言葉を一言一句、噛みしめるようにして、ゆっくり話して聞かせた。

 「そうか」

 聞き終えたあと、翁はそう短く言ったきり、首を垂れたまま茫漠として口を利かなくなった。女はしばらく待ってみたが、さっきの通り口を閉ざした貝のようになって微動だにしない。天狗の娘はいたたまれず座を外し、軒先まで来るとそこに置かれていた青い苔のはえた畳石に腰をおろした。

 外はうららかな陽気に包まれていた。天高くのぼった日の光が、大通り沿いに並ぶ古びた家々の屋根のおうとつを、はっきりとした陰影で浮き出させている。翁の家の向かいにたたずむ廃屋の庭をおおう眩い銀色のすすきの穂が、気まぐれな秋の風に波立ち、さわさわと音を立てている。

 あの廃屋も、もとはきっと名のある役人の中屋敷かなにかであったのだろうが、今では見る影もない。そしてその遠く向こうにある山々は、錦のような紅葉に果てしなく染まっていた。それは美しく、なんとも言えないもの悲しい秋の一景だった。

 女がしばらくぼんやりと景色を眺めていると、すぐ後ろでそっと忍ぶ足音がした。振り返ると、翁が立っていた。

 「なんだぁ、その、あんたの探してる、おれの想いのこもったなにかってやつだがな、」翁はもごもご口を動かしてこう話を続けた。

 「そりゃあきっと、あの脇差しにちげえねぇ。まいごにやった懐刀の次に、おれがこの人生を賭けて研いだもんだ」

 「そ、その刀は、今もここにあるのですか」

 女は必死になって尋ねた。老人はうつむき、ゆっくり首を横に振った。

 「残念だが、ここにはねぇよ。どこにあるのかもわからねぇ。どっかの山寺の偉い坊さんに渡したんだが、今もそこにあんだかどうだか」

 「お寺の場所はわからないのですか。せめてそのお寺の名前だけでも」

 女の言葉に、翁はすまねぇ、と短く返した。うなだれる天狗の娘に向かって、老翁はこうつけ加えた。

 「だが、その脇差しの名前だけは、はっきりと覚えているがな」

 「ほ、本当ですか。教えてください、どうか」

 女は強く訴えた。

 「黄大仙(こうたいせん)。異国で生まれた世にも珍しい刀だ」

 天狗の娘はその言葉を、頭のなかで反復して唱えた。何度も、何度も。そしてしっかりとその名を頭のなかに刻みこむと、老翁に丁寧に礼を言い、その場を辞去した。

 軒先まで来たところでふと振り返ると、戸口のところに腰を曲げた翁が立っていた。

 翁は仏頂面のまま「いとまごいは、しねぇんだな」と、風にかき消されそうな声で問うた。女は秋空のような晴朗とした顔で、柔らかく微笑んだ。

 「へぇ、いたしません。だって、まいごさんにしかられますもの。まいごさんの言葉、忘れちゃいませんよね」

 そしてまいごのいまわの台詞をもう一度、声に出した。

 おれは今、幸せな気持ちでいっぱいだ。愛するあんたを想い、そして生まれ変わってまたあんたを探す、ってなによりの楽しみを抱きながら死ぬことができるからな。だから爺さん、あんたにさよならは言わない。

 「だから、わたしもさようならは言いません。それでは」

 老翁はなにも答えなかった。表情にも変化はなかった。天狗は翁に短く一礼をすると、再び家に背を向けた。 さわさわというすすきの音が、あたりに鳴り渡っていた。

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