第12話 不倶戴天の敵

 酒呑童子は、命からがらやって来た竹やぶのなかで、激しい痛みにうめきながらこう呟いた。なぜだ。なぜこんなことに。

 そうこうしている間にも、黄大仙の斬撃で裂かれた腹の傷口から、止め処なく血が溢れてくる。すでに止血は不可能な状態だった。

 もはや寸刻の命。死期を悟った酒呑童子の頭に今、はっきりと浮かんだのは、なぜかあの憎き天海和尚の顔だった。

 酒呑童子は、先ほどの尻商人うにゃもんとのやり取りを思い出した。

 うにゃもんは光り輝く秘刀、黄大仙を鞘に戻すと、地べたに這いつくばる自分に視線を移し、こう言った。

 「おぬしのかつての師から、言づけを預かっておる。冥土の土産に受け取るがいい」

 「な、なんだと」

 「わしは昨晩、天海和尚に会った。そのとき、おぬしに伝言を届けるよう強く嘆願された。わしはそれを引き受けた。だから今、ここで伝えよう。

 天海はこう言った。『おまえが来世で罪過を悔いあらため、清く真っ当に生きることを望むのならば、幽魂となったのち、天海もとを訪れなさい』と」

 酒呑童子は、燃えるような憎悪をこめた眼球で、目の前にたたずむ大男をにらみあげた。

 「きさま、ふざけるなよ。天海は我が人生唯一の不倶戴天(ふぐたいてん / どうしても許せない)の敵。誰が亡魂になってまで、あやつのところになど行くものか」

 うにゃもんはそんな酒呑童子を冷めた目で見ていた。

 酒呑童子は呻吟しながらようやっと身を起こすと、その場に安座した。

 「さぁ、うにゃもん。我が首を落とせ」

 酒呑童子はそう言って口をつぐみ、目を閉じた。

 だが、うにゃもんに動く気配はなかった。酒呑童子は激痛に耐えながら、ただ我が首に刀の刃が振りおろされるのを待ったが、一向にそのときは訪れなかった。

 「どうした、うにゃもん。早くやれ」

 酒呑童子はたまらず、それまでとは打って変わった高調子で、絶望的に叫んだ。

 しばらくして、うにゃもんは呟いた。「わしは、」それはこれまでとは違う、迷いのある濁った声だった。「おぬしの首は落とせぬ」

 あまりに不可解なことを口にしたうにゃもんに対し、酒呑童子は目を閉じたまま、顔に微苦笑をたたえた。

 「はっ、なにを世迷いごとを。もはや勝負はついたのだ。さっさととどめを刺すがよかろう」

 それでも、うにゃもんは動かない。

 「おぬしの仇は、天海にあらず」

 やがて発したうにゃもんのこの台詞に、酒呑童子はいらだたしげに舌を打った。

 「うにゃもんよ、わしらの間に駄弁は不要。きさまはただ黙って、この酒呑童子の首を斬り落とせばよい。それですべてが終わるのだ」

 うにゃもんは首を横に振る。

 「いな。確かにおぬしは醜い鬼と化して以来、言語に絶する罪過を重ね続けた。ここで首を落とされるのが道理かもしれん。

 じゃが、このままあっさり阿鼻地獄に行ってしまう前にひとつ、今世でやり残したことがあるのではないか。今この場で、それをやってから死にたいと申すのなら、その機会をくれてやらんこともない」

 酒呑童子のみけんには、太い癇癪すじが浮かび、ぴくぴくと脈を打った。

 「くどい。わしがやり残したことは、天海の首をかっ斬ること、それのみじゃ」

 「違う。おぬしが本当に憎んでいるのは、天海ではない。北角なる悪の権化であろう。その者とけりをつけることこそ、おぬしがこの世で最後になすべきことじゃ」

 「笑止な。今さら北角を見つけ出し、復讐を果たしたとしてなんになるか」酒呑童子はさらに声を荒げた。

 うにゃもんは泰然として答えた。

 「天海和尚はこう言っておった。人であったころのおぬしは、強い正義感と道心を持ち、果断に富んだきわめて素行のよい快男児であったと。もしもそのころの真心が、今わずかにでも残っているのなら、せめて贖罪(しょくざい / 善行を積み、犯した罪をつぐなうこと)をしてから死ぬ、というのも悪くはなかろう」

 酒呑童子はとっくに気づいていた。うにゃもんが先ほどの自分との戦いで、致死となるような斬撃を一度たりともしかけてこなかったことを。うにゃもんは最初から、自分を殺す気などなかったのだ。

 酒呑童子は、ほとんどせせら笑った。

 「うにゃもん、きさまはどうやら『今の情けは後の仇』という言葉を知らぬと見えるな。わしを逃せば、きっと後悔するぞ」

 「かまわぬ」うにゃもんは即答した。「それが天海の本当の望みじゃからな。あの男は見ず知らずのわしに深く頭をさげ、『おぬしを殺してくれ』と申した。じゃが、あれが本心ではないことは、見え見えじゃった。こんな大悪党になりさがったできそこないのおぬしに、なおも情愛の念を注ぐとは、お人好しにもほどがある。まったくをもって間のぬけた和尚じゃ」

 酒呑童子はその言葉にうつむき、再び閉口した。そして長い長い沈黙の末に、こう呟いた。

 「復讐は、果たす」

 次の刹那、酒呑童子は勢いよく首をもたげると、目をかっと見開き、怪我人とは思えない身のこなしで、うにゃもんの腰からするりと黄大仙をぬき取った。

 「いかん」うにゃもんは慌てて刀を取り返そうとするが、鬼の方が素早かった。酒呑童子によって鞘からぬかれた秘刀の刃から、雷のような閃光が四方八方に飛び散った。

 光り輝く刀をかかげた酒呑童子はなまじりを決し、うにゃもんに向かってこう叫んだ。「よいか、うにゃもん。わしは必ず北角を討ち果たす」

 そして黄大仙の切っ先を自分の方に向けると「ただし、生まれ変わったあとでな」と続け、そのまま真一文字に自らの腹を斬り裂いた。酒呑童子の土手っ腹からは、おびただしい量の血が溢れた。

 酒呑童子は握っていた刀をうにゃもんの方に放ると、さらばだ、と叫び、走り去った。そしてようやく、今いるこの竹やぶまでやって来たのだ。

 酒呑童子は腹の傷をおさえてうずくまり、息も絶え絶え痛みにもだえながら、なおも不敵に笑った。

 「くくく、天海よ、きさまの望みどおり、これから幽魂となって会いに行ってやる。きさまにどんな目的があってわしを呼び出そうとしているのかは知らぬが、わしはわし自身のために、きさまのところに行くのだ。せいぜい首を長くして待っているがいい」

 それが世に極悪鬼として名を馳せた酒呑童子の、最後の言葉であった。

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