第10話 まいごの願い
まいごは細き坂道を、薄っすら灯る光の道しるべにしたがって、ただひたすらに登りつづけていた。
体力の限界はとうに超えていた。意識さえも、もはや風前の灯火であった。ときおり自分は今、その場に足踏みをしているだけで、前に進んでいやしないのではないか、と錯覚することもあった。そのくらい夜霞が立ちこめる薄闇に包まれたこの世界の景色は、どれだけ歩いてもなにも変わらなかった。
まいごの頭には、もはや金平糖しかなかった。金平糖、果たしてそれは果実の類か、山虫や鳥獣の類か、はたまた樹木の類か。口碑のなかでしか語られないその姿を、今回の旅立ちを決心するまで間、あれやこれやと幾度となく思い浮かべていた。
その頭のなかで作りあげた数々の架空の形象が今、混濁した意識のなかで瓶の栓をぬいたように次々とまぶたの裏に浮かんでは消えていく。
やがて少し先の傾斜がなだらかになったところに、鳥居が立っているのが見えた。地表のほの明かりで浮かぶそのたたずまいは、塗装も装飾もない、むき出しの木が組まれているだけで、わびしく孤独だった。一見すると相当な年代物のようだが、腐ったり、白ありに食害されたりしてはしていないようだった。
鳥居の向こうにはこれまで以上に濃い霧が垂れこめていて、その先になにがあるのかまるでうかがえない。
まいごは鳥居のすぐそばで足を止め、その姿をあおいだ。鳥居の笠木(上端にかけられる横架材)には、厳つい目のやっこ凧が引っかかっていた。袖を張ったところよりも上の部分が、首がつられた死屍のようにうなだれている。風は吹いていないのに、尾の部分が絶えず小刻みに揺れていた。
まいごはその鳥居の手前で、一息入れることにした。柱を背にして、鉛のように重たくなった腰をどすんとおろす。そして、口にくわえていた刀をどさっと地面に置いた瞬間、地表をおおう柔らかな灰の粉がふわりと舞った。
まいごは我が旅が大づめを迎えつつあることを悟った。鳥居とは元来、神域と俗界をつなぐ門である。霊験あらたかな峰とされる般妖が嶽にたたずむこの鳥居の先は、まぎれもなく異世界に続いている。目的の頂までもあと少しに違いない。
ふと顔をもたげ、糸を引いたように伸びる、これまで自分が歩いてきた坂道を見おろした。だがさっきまで確かにそこにあった道は今、すっかりなくなっていた。道しるべになっていた地表に浮かぶ柚子色の光の玉も、まいごを取り囲むわずかばかりを残してほとんどが消えてしまっている。その先にはまるでおまえに帰路はない、と言わんばかりの、果てのない真っ暗闇が広がっている。
まいごは短くため息をつくと、覚えずに今一度、背後の鳥居をあおいだ。すると笠木に引っかかっているさっきのやっこ凧と目が合った。まいごはしばし、凧と向き合っていたが、やがてひらめくように呟いた。
「なぁおぬし、この先がどんな場所か知っているか」
凧はなにも答えず、さっきまでと同じように、ばさばさと尾っぽを揺らしている。その様子を見て、まいごは思わず呵呵大笑した。そして声を落としてこう続けた。
「なぁ、やっこ凧よ。このちっぽけな旅猫をあわれんでひとつ、頼みごとを聞いてくれないか。
おれには長い付き合いの爺さんがいるんだがな、得体の知れない病にかかってしまって、おそらくもう先は長くはないようだ。身寄りはないし、縁者と呼べる者はおれくらいしかいない。そのおれが、このままこのへんぴな場所でのたれ死んだりしたら、爺さんはひとりぼっちであの世に旅立つことになる。
おぬしははるか昔に漢土の国(今の中国)で生まれ、此岸と彼岸を行き来する鳳凰の魂を受け継ぐとされる者。
もしもこの先、おれの身になにかあったなら、そのときは爺さんのところへ飛んでいって、おれの代わりに極楽浄土まで連れて行ってくれないか。
あれはたいそうすばらしい人間だ。だが刀を研ぐこと以外はなんにもできないすこぶる不器用な男でな。ほっといたら、三途の川あたりで道に迷って、阿鼻地獄なんかに行っちまうかもしれない。おれはそれが心の底から心配なんだ」
そして最後に「なぁ、たのむ。おれの唯一の望みは、あの人間に幸せになってもらうこと。それだけだ。それがこの世だって、あの世だったって、どっちでも構わない。なぁ、このとおりだ」ともう一度言うと頭をさげた。
しばらくして、まいごは再び、やっこ凧の姿をあおいだ。凧は相変わらず無言だったが、尾っぽの動きは今ぴたりと止まり、その大きな両の眼でじっとまいごを見おろしていた。
間もなくすると、凧は風もないのにふわりと舞いあがり、音もなくどこかへ飛んでいった。
やがて闇空に消えたその姿をぼんやり眺めながら、まいごはわずかずつ思い出していた。自分は昔、どこかであれに会ったことがある、と。
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