第3話 秘刀、黄大仙
「おい娘、それはどういう意味じゃ」
うにゃもんはついぞ見せたことのない表情で、出しぬけに奇妙なことを言い出した板場の女に尋ねた。
「黄大仙(こうたいせん)」
ひとり言のように呟いた女に向かって、うにゃもんは両の目を原型をとどめないほどに見開いた。「な、なんじゃと」
「そちらの脇差し(腰に差す短い刀)はかの秘刀、黄大仙ですよね」
うにゃもんは女の言葉がまだ信じられない。「おぬし、なぜそれを」
女は相好を崩す。
「こう見えて打ち物(武器となる刃物の総称)には詳しいんです」
その返答にうにゃもんは余計に頭がこんがらがったようだった。やがてぶるぶると水を浴びた犬のように激しく首を横に振って否んだ。
「う、嘘の皮をぬかすでないぞ。おぬしは我が刀の鍔(つば)と鞘(さや)しか見ていない。黄大仙は、刀刃の色や形こそひとくせあるが、鞘におさまった状態では、見た目はなんの変哲もない脇差しにすぎん。単に打ち物に詳しいと自負するだけの人間が、いちべつしただけでこれを言い当てるなど、まさに奇っ怪千万。さぁ、本当のことを申すがよい」
なまじりをつりあげ、蛮声で口角泡を飛ばすうにゃもんを、女は涼しい顔でいなす。
「嘘などついておりません。生前、父から教わったのです。父は刀剣の類に目がなかったもので。だから黄大仙だけでなく、雷光丸、鬼炎、波泳ぎ兼光、月詠、骨喰藤四郎、村正などの天下五剣をはじめ、世に名高い刀はしっかりと頭に刻みこまれております。
それに黄大仙の鍔や鞘がなんの変哲もない、なんてことはありません。現にほら、蚊取り線香のような独特の渦巻き模様が、鍔にも柄にもしっかりと彫られているではありませんか」
とうとうと語る不可思議な若娘に対し、うにゃもんはしばし白虎のいびきのような唸り声をあげた。なにしろこれが黄大仙だと人間に言い当てられたのははじめてのこと。上目づかいでじろりと女を見ると、声を落としてこう尋ねた。
「娘、いったいなにが目的じゃ」
女はこの質問を待っていた、とばかりに歯切れよく答えた。
「へぇ。黄大仙は異朝(中国の別称)で、厳しい修行を積んだ刀鍛冶の手からしか生まれぬ稀有なる品だと父から聞きました。そして乱世の時代は、戦で忠功をつくし、武名を馳せた者のみ腰に差すことを許された名刀中の名刀だと。
今は安寧の世になったとはいえ、一介の尻商人がそんな品を備えているのは、失礼ながらいささか奇々妙々。きっとお尻さんにはただならぬ事情があって、それをお持ちなのだとお察しします。まずはお尻さんの素性をお聞かせいただきたいのです」
「それを知ってどうする」
大男の問いに、女は膨らみかけたつぼみのように口もとを緩めた。
「お尻さんがわたしの想像する通りのお方だとしたら、話が終わったあとでひとつばかりお願いしたいことがございます」
うにゃもんはしばし渋面のまま口をつぐんだ。今もってますます得体の知れない女を怪しむ気持ちはおおいにあったが、一方でこの気骨ある若娘がこれからどんな話を繰り広げるのか、好奇心にも似た感情がにわかに湧きはじめていた。
「うぅむ、よし。いいだろう。しかと聞かせてやる。じゃがその代わり、あとでおぬしのことも話してもらうぞ。よいな」
「わたしのこと、ですか」
女はけげんそうな顔を向けた。
「そうじゃ。おぬしの素性と、それからこの飯屋について秘し隠していることを洗いざらい聞かせてもらう。次にあんな戯言を言ったら、ただじゃすまさぬからな」
「戯言とは」
「この店が繁盛していないわけじゃ。さっきの話がおぬしの出まかせだってことくらい、先刻お見通しじゃぞ」
女は表情を固結させ、膝のうえの自分の手をじっと見つめていたが、やがて眼力鋭く大男の髭面をしかと見据えると、はっきりとうなずいた。
「よござんす。お尻さんが真実を語ってくださるのなら、わたしもきっと不義理はいたしません」
「あとになって、やっぱり止めた、というのはなしじゃぞ」
「へぇ、確かめるにはおよびません」
気風のよい女の返事に、うにゃもんは口角をあげた。
「ふん。よかろう。今宵はなかなか面白い夜話になりそうじゃ」
そして一度、杯の水をずずっと吸いこむとこう切り出した。
「おぬしの言うとおりじゃ。わしはただの尻商人じゃない」
そして一呼吸を置く。「桃尻じゃ」
「も、桃尻」
板場の女は黒目がちな目を大きく見張った。
「あの野山の一木一草を知りつくし、病理に合わせて植物を自在に調合して凡百の妙薬を生み出すという、かの誉れ高い」
「その通りじゃ。わしの手にかかれば、さもない流行り風邪などはたったの一晩、やっかいな長患いでも、せいぜい月が満ち欠けする間には快方に向かわせられる」
「本当に存在したのですね。てっきり口碑(こうひ / 古くからの言い伝え)のなかの人物だとばかり思っていました」
「そんなことはない。今、おぬしの目の前にいるのはまぎれもない本物。じゃがそうは言っても、しょせんわしは元、桃尻。いまは単なる凡俗な尻になりさがった」
「なぜ、お辞めになったのですか」
「あまりに世に名が知れ渡ったからじゃな。おかげでそこいらの小役人だけでなく、親藩の大名どもまでもがわしを我がものにしようと血眼になって探しはじめた。それで浪人となって、姿をくらますことにした。誰かの飼い犬になるなんてまっぴらだからな」
「それは勇断でございました。ひとたび諸侯(江戸時代の大名のこと)の従者になると、命つきるまで走狗(そうく / 手足となって働く者をいやしんで言う言葉)のように働かされると聞きます。それで追っ手はもう来なくなったのですか」
うにゃもんはうなずく。
「あぁ、どうやら尻のような根なし草な商売は、行方をくらますのには適しとるらしい。まぁ、もし出くわしたとしても寸刻で返り討ちじゃがな」
うにゃもんは髭もじゃの口を豪快に開けて笑った。女もつられるようにちらりと白い歯を見せ、こう続けた。
「よくわかりました。では、お聞かせいただけますか。どのようにして、その秘刀を手に入れたのかを」
うにゃもんはうなずいたが、その前にのどが渇いた、とお茶を頼んだ。女は刻み足で急須を取りに行き、大振りの湯呑みに温んだお茶をなみなみと注いだ。うにゃもんはそれをさもうまそうに、がぶがぶと一気に飲みほして、爆鳴のようなげっぷをした。
「あれはな、今日みたいな初秋の涼気に包まれた晩のことじゃった」うにゃもんはあごの髭をなでながら、こう説き起こした。
「齢にして二十半ばのころの話じゃ。わしは当時、少しばかりつき合いのあった香具師(やし / 薬や香具を作り、売り歩く商売人)に頼まれて、とある宿場町を訪れた。
依頼料は二足三文だったうえに、その内容も『町に巣食う鬼を追っ払って欲しい』などという面妖なものじゃったが、そのときのわしは桃尻としてはまだ緒に就いたばかりでな。どうにかして手柄を立て、世に名をあげようとやっきになっておった。だから、そんなうさんくさい仕事でさえも、ほいほい引き受けた。じゃが、その青っぽい行動がのちに危機に瀕する事態を招くとは、このときはまだ露ほども理解していなかった」
飯屋の外では秋風がいよいよ吹き遊びはじめ、板戸ががたがたと音を立てた。建てつけのゆがみで、そこかしこから潤いのない隙間風が入りこみ、行灯の火を踊らせ、壁面に浮かぶ大男と小娘の影を気忙しく揺らす。
うにゃもんは自若として話を続けた。
「目的の神社は町外れのへんぴなところにあってな。お社が阿呆みたいに大きくて、遠くからでもずいぶんと目立っていたことはよく覚えておる。
鳥居の前まで来ると、なかから不穏な空気が幾筋にもなって流れ出していた。鳥居をくぐり、境内の石畳をお社に向かって歩いていると、向こうからなんとも貧相な身なりの女の童が駆け寄ってきた。もう日はとっくに暮れていて、児女がひとりで遊んでいるような時刻ではない。童はわしのそばまで来ると、はにかみながら『ねぇ、なにか甘いお菓子をおくれ』と薄汚い手を差し出してきた。
持っていない、わしははっきりそう答えたが、そいつはまるで聞こえなかったかのように『甘いお菓子をおくれ。とびっきり甘いのを』と繰り返した。
わしがさっきより語気を強めて拒むと、童は途端に押し黙り、いっときわしの顔をまるでごみ塵を見るような面差しで見つめた。『ねぇ、どうしてくれないの。持ってるの知ってるんだから。早くちょうだいよ』
生意気な子童をしかりつけてやろうと口を開きかけた刹那、わしは目を見張った。童の右の手の爪がみるみる伸びはじめたのじゃ。鮮血のように赤く染まった爪は、蔦のようにうねりながら、しゅるしゅるとわしにからみついてくる。
慌てて童の方を見るとどうだ。幼顔は般若のようにゆがみ、背丈は倍ほどに伸び、艶のある長い黒髮のてっぺんには、矢じりのような角が生えているではないか。見すぼらしいおべべも、どぶろく色の反物に変わっていた。
しまった、こいつは妖怪、青行燈(あおあんどん)か。そう気づいたときにはもう手遅れじゃった。すでにまったく白装束の女の赤き爪は、わしの胴に三重にも巻きつき、我が身を封じておった。
『この嘘つきめ。甘いお菓子をくれぬと言うなら、代わりにおまえの骨をしゃぶってくれよう』
青行燈は生ぐさい息を吐きながら、縛りあげたわしを血走った眼球でにらみつけた。そしてもう片方の手を薙刀(なぎなた)のように化すると、果たして我が身を突き刺さんと身構えた。
じゃが、やつのほうにも誤算はあった。なにせやつはわしの腕っぷしをみくびっていた。やつが見事な薙刀に形を変えた左の手を、余裕たっぷりに見せつけている間に、わしは我が胴体に巻きついたやつの赤爪にひしゃげるほど指を食いこませ、一気にぐにゃりと折り曲げた。やつが痛みで胴の固縛を緩めた隙に腰の打刀をぬき、間髪いれず刃を振りおろした。
額を真っ二つに裂かれた白き妖怪は、耳をつんざく断末魔をあげ、鮮血を散らし、その場にぬらりと沈んだ」
薄闇に包まれた片田舎の味処で、ろうそくの火が千鳥足のように揺れている。その片隅で板場の女は小さく端座し、眉間にしわを寄せ、珍妙な大男の話に真摯に耳をかたむけている。
「わしは念のため、妖女が本当に事切れているかを確かめるため、おそるおそる近寄って身を屈めた。血に染まった女の顔から生色は完全に失せていた。
わしはようやく胸をなでおろし、紅く染まった刀の刃を拭いにかけると、鞘におさめた。妖怪変幻とやりあうのはこのときがはじめてではなかったが、興奮と恐怖で心の臓はしばらくの間、高鳴りをやめなかった。
やがてお社の前までやって来た。居待月(いまちづき / 仲秋の名月が終わったあとの月)の明かりで浮かぶそのたたずまいは、京の都のそれと見まごうほど豪奢で、さして栄えてもいない下町の神社としてはいささか違和感を覚えた。
わしは入り口まで来ると、荘厳なるやり戸をたたいた。しばらくして現れたのは、漆黒の袴に身を包んだ小倅ほどの上背しかない、でっぷりとした宮司だった。この者がただのねずみではないことは、出会い拍子に見ぬいた。
宮司はあぶらぎった赤ら顔に、温和な笑みを浮かべ、『よう来てくださった。さぁさぁ、なかへ』とわしを招き入れた。
わしを連れて回廊を歩く宮司はひどい酔歩で、身体中からぷんぷん酒のにおいを放っておった。小男の蛇行にあわせて、うぐいすばりの床のいたるところが、きゅうきゅうと腹を空かしたみそさざい(よく響く高音でさえずる鳥)の鳴き声のような音を立てた。
神の司は酒を飲んじゃならん、なんてお触れはもちろんないが、初対面の来客のある夜に酩酊するまで酒をあおるこの男をいぶかる気持ちは、なおもって膨らむばかりじゃった。
やがて、だだっ広いがらんどうに通された。わしはその真んなかの客座布団もないところに座るように言われた。
明かりは宮司が手にするか細いろうそくの炎だけで、辺りの様子はほとんどわからない。しじまのなか、真向かいに胡座をかいた宮司のしわの寄った朗笑が、薄赤い丸い火に照らされ、闇のなかにぽっと浮かんだ。その直後じゃ。わしが人生ではじめて身の毛がよだつ思いをしたのは」
言いながらうにゃもんは、ぶるるっと首を震わせた。
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