あの子が不織布マスクを外したら

竹神チエ

第1話 BLじゃないよ、違うったら!

 中学三年生の冬。もうすぐ受験って頃だ。


 ぼくはこの日初めてクラスメイトの大口酒輝おおぐちさけてるを部屋に招いていた。放課後、一緒に勉強をしようと誘って。でも数学のプリントを一枚片付けた後は、ゲームや漫画で時間を消費してしまっていたんだ。


 酒輝は、ぼくの携帯ゲーム機で遊んでいる。ぼくは漫画を読みふける。何度でも読めるほどお気に入りのバトルファンタジー漫画だ。と酒輝がふいに顔をあげた。


「その漫画ってさ、もうすぐ完結するんだってね」


 ぼくは待ってましたと嬉しくなった。この漫画の話題にならないかなって、実は意識して彼の前で読んでいたんだ。


『最強中学生伝説☆バトル・ザ・ファイトギャラクシー』略して『チュー☆ファイ』は、異能を身につけた中学生の少年が、突如、現世に開いたゲートから飛び出してきた魔物と戦い世界を救う物語だ。ぼくが小さいころからずっと連載している大人気作。登場キャラが全部強くてカッコいいからアニメや映画がだけじゃなく、ゲームや舞台化までしてて、関連グッズもたくさんある。


 ぼくの部屋の本棚にも、奥に置いた漫画の手前に、登場キャラのフィギュアがずらっと並んでいる。もちろん技巧を凝らした高価なフィギュアじゃなくて、お菓子のオマケについてきた安っぽいやつだけれど、全種類そろえるのは結構大変だった。父さんに頼んでフリマアプリで持っていないキャラのやつを買ってもらおうかと本気で考えるほどコレクションしたくてしたくてウズウズした。


 でも両手を振り上げた陳腐なポーズをとったあまり好きじゃない敵キャラ・モモンガ三世が数体あるけれど、なんとか自力でコンプリートしたんだ。丁寧に陳列して、時々並び替えたりして。ぼくは大いに満足している。


 だから、いつも感情の変化に乏しい酒輝だって、このフィギュアコレクションには感動していると思っていた。だって部屋に入ってすぐ、彼はベッドわきのローテーブルの向こうに座りながら、ちらっと本棚の見たのに気づいていたから。


 でもぼくの期待を踏みにじる発言を酒輝はしたんだ。


「おれ、それ読んだことないんだよね。面白い?」


 たまげたね。後頭部がぱりっと破れるかと思った。それくらいの衝撃さ。


 ちっとも面白くもない漫画を何巻も買いそろえるわけないし(なんせ長期連載だから結構な巻数がある、もうすぐ百巻だ!)、勉強そっちのけで読むわけない。それにさ、おこづかいのすべてをフィギュア購入にあてて散財するわけないじゃないか。


 ぼくはセレブの坊ちゃんじゃないんだぞ。この家を見たらわかるだろ。母さんがいないぼくんちは父さんがひとり栄養ドリンクを飲みまくってジャンジャカ稼いでいるのに、とある事情から維持費がかかり裕福とは程遠い暮らしぶり。でも酒輝みたいな子には、そんな泣ける苦労がわかんないんだろうなあ。


 ぼくは急激に酒輝の評価を下げたね。これまでにものすごく熱い友情をきずいてきた大親友って関係じゃないから、そんなにショックでない変化だけれど。それでも彼には失望したんだ。


 酒輝は中学からこっちに越してきたらしく、三年生に進級して初めて同じクラスになったんだけれど、彼のことは以前からよく知っていた。周りより少し大人びた雰囲気がある酒輝は何でもそつなくこなすし、見た目も悪くないので、女子のあいだでも人気がある。


 といっても昨今の感染症対策で、入学してこのかた下半分はマスクで隠れているから、大方の奴はなんか見た目が良さそうに見えるけれど。今だって玄関でマスクを外したぼくと違い、酒輝の顔は目の下まですっぽり白い不織布マスクで覆われている。


 それでも長いまつ毛のぱっちり二重は美男子のそれだし、男子のなかで密かに繰り広げられているモテ男ランキングの上位に酒輝がいることはよーく存じ上げております。ぼくは当然のようにランク外なわけだけど、ぼくの青春はそういったこととは別のところで進んでいくものだから全く気にしていない、本当に、嘘じゃなく、ちっとも欠片も微塵も気にしてない。


 ともかく、教室の後ろで控えめに生きているぼくとは縁がなさそうだった酒輝なのだけれど、先生にねちっこく絡まれているところを助けてもらってから、ちょっとだけ親しくなっていったのだ。


 ぼくは男子にしては髪が長いほうで、あの古風な気質な先生は、それが気に食わないらしく、「首浦くびうら、そんなに髪が長くて暑くないか? 短くしたらさっぱりするぞ」「首浦は散髪が嫌いなのか?」「その髪はオシャレでそうしてるのかもしれないけど、短いのも似合うと思うぞ」とうるさかった。


 一応あの先生も、「髪を切れっ」と怒鳴らないだけの常識はあるようだったけど茶髪にしてるわけでもアフロにしてるわけでもないのに、あんなにぼくのちょっとだけ長めな髪型に興味を持たなくてもいいのにさ。たぶん先生は「男子たるものスポーツ刈り」という信念なんだろうな。


 でもぼくは頭、特に後頭部のシルエットはうやむやにしたいから、髪は少し長めにしておきたいんだ。そういう主張を、ぼくだっていつもそれとなくしていた。だけど、あの先生ときたら、「さっぱりするぞ」を連呼してばかりで聞いちゃくれない。


 そんなやり取りが毎度起こるものだから、ぼくはあの先生をいつも避けていたんだけど、あの日は運悪く掃除の時間に捕まってしまったのだ。


 ぼくは二年の教室が並ぶ廊下から三年の教室にあがる階段をホウキで掃いているところで、先生は憎らしくも暇そうにぶらぶらと階段をあがって来たかと思えば、いつものようにぼくにねちこく絡んできた。


 と、そこへ現れたのが酒輝だ。彼は教室のゴミを下に捨てに行っていたようでゴミ箱を片手に通りがかった。そして踊り場の掲示板に貼られた人権ポスターに背をつけるようにして先生にネチネチと人権侵害にあっているぼくを救ったのだ。


「先生、それってセクハラじゃないかなあ」


 先生は面食らっていた。ぼくも面食らっていた。でも酒輝がいわんとしたことがすぐに理解できたぼくは、思春期の繊細さを踏みにじられた恥辱の表情を作って人権ポスターにすがるようにして打ちひしがれた。


 髪型だろうがなんだろうが、容姿についてしつこく絡んできたら、それはもうセクハラなのだ。アウトなのだ。でもこの先生ときたら、セクハラは胸や尻を触ることだと思ってるんだろうよ。少なくとも気を付ける相手は女子生徒だと思ってるんだ。でもぼくは恥辱に泣き出しそうな男性生徒を貫き、酒輝も非難すべき現場に遭遇した優秀な生徒らしく先生を軽蔑した目で見てさらにもう一度いったのだ、セクハラですよ、って。


 何をいってるんだか、って。先生は冗談めかしながらもそそくさと階段をあがっていった。それからだ。ぼくはもう髪型で絡まれることはなくなり、酒輝をただの人気がある男子じゃなくて、すごく良い人と認識するようになった。


 酒輝のことを「大口おおぐちくん」じゃなく、「酒輝さけてる♡」というようになったのもこの頃からだった。もちろん心の中だけの話だ。声に出すときは当然「大口くん」と呼んでいる。でもつい彼を目で追ってしまうし、酒輝を見ていると心がポカポカするんだ。


 そうしてぼくは彼を恋い慕う……じゃなくて、普通のクラスメイトとして慕うようになったのだけれど、断じて恋とかじゃないのだけれど、あれ以来、酒輝のほうでもぼくに話しかけてくれる回数が増えて「首浦くびうらくん」呼びだったのが、いつの間にか「首浦ぁ」って呼び捨てになった。浦のあとに小さい「ぁ」が入る、すごく親しげに呼ぶ、あの感じ。なんならぼくとしてはいっそ「明久世あくよ」って下の名前で呼んでくれても構わないんだけどなって、そう思ったり思わなかったりで。


 というわけだから、放課後に酒輝がうちに来るってなって後頭部がぱっくりしちゃいそうなほどびっくりしたわけなんだ。軽く冗談っぽく「勉強教えてくれたらいいのに」と照れてヘラヘラしているうちに自宅でお勉強会のイベントが発生だよ。


 でも酒輝がぼくが愛読してフィギュアまで集めている漫画『最強中学生伝説☆バトル・ザ・ファイトギャラクシー』を読んだことないといった瞬間に、ぼくの気持ちは急激に冷めた。それこそ千年の恋も冷めるほど、ってべつに恋なんてしてないんだけどさ、友情の熱が冷めていったのだった。

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