第17話 Don't Stop Me Now
私の名は麻堂冴子まどうさえこ。科学者だ。私の勤める研究所ではある実験を行なっている。SF映画のように宇宙を思うがままに旅したいというのは人類に永遠の夢だ。だが現実として比較的近い惑星であるプロキシマ・ケンタウリに行くだけでロケットでどれくらいかかるか知ってるだろうか。答えは10万年以上だ。そう、人類はあまりに遅過ぎるのだ。
これを克服するため私の研究所で研究を続けある特殊な放射線を照射することでその物質の持つ速度を飛躍的に加速させられる事を発見した。この放射線はギリシア神話に登場する俊足の女戦士アタランテにちなんでアタランテ線と名付けられることになった。
ここは自衛隊基地の敷地内。本来であれば滑走路と呼ばれる場所だ。この研究は国家プロジェクトのためこの様なわがままも許されるというわけだ。
「赤城一郎自衛官は高校時代は野球部でピッチャーを務めチームを甲子園まで導いた経験があり今回のテストには申し分の無い逸材です」
私の後輩の研究員である瀬尾卓夫せおたくお君がこう言う。まずは通常の状態で赤城自衛官に投球してもらい球速を速度計測器で計る。球速は128キロ。
「いやあ、全盛期はもっと速く投げられたんですけどねえ」
赤城自衛官は頭をかきながら言う。
瀬尾卓夫君は金属製のケースを用意する。中を開けるとそこにあるのは一見すると何の変哲も無い野球ボールの硬球だった。
「これは見た目は普通のボールですがアタランテ線が照射されたものです。取り扱いには重々、注意してください」
赤城自衛官は瀬尾卓夫から持つ金属ケースの中から慎重にボールを取り出す。赤城自衛官の全身にはもしもの時のためにプロテクターが装着されている。
「絶対に落とさないで。とんでもない速度で地面に向かって加速していきます」
赤城自衛官はゴクリと唾を飲み込む。
「それではお願いしまーす!」
赤城自衛官は大げさにも思えるほど大きな投球フォームを取りボールを投げる。その瞬間、ボールは凄まじい勢いで飛んでいき全身プロテクター姿の赤城自衛官はその勢いで後方に弾き飛ばされた。
ボールはそのまま加速していき前方のブロック塀を積み上げて作った幅高さともに10メートルほどの的にぶつかるとともにその衝撃で四散する。ブロック塀で出来た的はその衝撃により亀裂が入りやがてガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。
「球速は、1188km!!すごい!」
瀬尾卓夫君が興奮気味に叫ぶ。後方に吹き飛ばされた赤城自衛官は他の自衛官数人に起き上がらされていたが幸いにしてケガはなさそうだ。
「お怪我はありませんか」
私はいちおう彼に声をかける。赤城自衛官は周囲の自衛官に支えられながら肩で息をしながら答える。
「何とか・・・大丈夫です」
「安心しました。体感として投球の際にどれだけの速度で投げたのかをお聞かせ願えますか?」
「そうですね。全身にプロテクターを装着していて正直申し上げて動きづらいし正直怖かったもので実際は100㎞くらいの勢いで球を投げたと思います」
「ということは通常速度のおよそ10倍くらいのスピードでボールは加速したということですね」
「すごい成果です。今後の研究によってはさらに倍速の速度を得られるかもしれない」
瀬尾卓夫君は興奮気味にまくし立てる。
ここは研究所。モニターに映る映像に白い空間が映し出されていた。機械仕掛けの装置で内部に某ガッツリ系ラーメン並みに皿に山盛りに盛られたエサが提供する。脱走されてしまうため人間がドアを開けてエサを与えるというわけにはいかない。と思っていたら早速お出ましだ。肉眼で視認するのやっとのスピードでラットが餌に駆け寄り山々と盛られたエサをあっという間に空にしてしまう。
「アタランテ線を照射されたことによりスピードが飛躍的に向上したが基礎代謝も上がったらしく超高速で移動するとすぐに空腹になってしまうらしいね」
欅けやき孝雄研究主任は言う。耳脇には白髪染めで染めきれなかったらしい白い筋が見える。私は以前から胸にしまっていた思いを今日こそ告げようと思う。
「研究主任、アタランテ線を人体に照射したらどうなるでしょう」
「麻堂君、一体何を言うんだ。人体に照射ってそんなの誰がやるんだ」
「私が被験者になります」
「そんなの人体実験じゃないか。危険過ぎる。倫理的にも安全面の上でも承認するわけにはいかない」
「やっぱり承認は得られなかったわねえ。まあ予想はしていたけど」
「研究主任は生真面目ですからねえ。致し方ありませんよ」
ここは仕事帰りの居酒屋。私の前の卓には瀬尾卓夫君が腰掛けていて私の愚痴を聞いている。いつも通りの光景だ。若い男性店員が注文を取りに来る。
「僕は生ビールでお願いします」
「私もそれでお願いします」
「あの、未成年のお客様にアルコールの提供は・・・」
「私、成人しています・・・」
私は溜息混じりに店員に運転免許証を見せる。「失礼しました・・・」と店員は去っていった。この店は何度か利用してるが見ない顔だ。新人なのだろう。
私は煙草に火を点け到着したビールに手をつける。周囲の客の中には目を丸くして見ているのもいる。無理も無い。見た目は幼女に見える女が堂々と飲酒喫煙してるのだから。私はもうすぐ三十路なのだが・・・
「瀬尾君、私はどうしても試して見たいのよね」
「また、その話ですか。危険過ぎると研究主任にも言われたじゃ無いですか。僕も同感です」
「ラットで成功したということは人間でも成功するはず。理論的にはね」
「先輩の身に何かあったらどうするんですか。研修主任が正しいですよ」
「仮に私の身に何かあっても科学の発展の為の尊い犠牲よ。父もそうやって科学に身を捧げて亡くなった」
「例の実験中に起きた大爆発で亡くなったお父様ですか。何も若くしてあとを追うことは無いじゃないですか」
「瀬尾君、好奇心は猫を殺すというけど私は一度、好奇心を持ったらどうにも止まらないの」
私は彼の手を握り締める。
「先輩・・・」
瀬尾君はビールで上気した顔をさらに赤らめる。彼が以前から私に好意を抱いていたということは薄々わかっていた。それを利用するようで少々、心苦しいが。
ここは深夜の研究所。私と瀬尾君は残業があるからと理由をつけてこの時間まで粘っていた。研究主任も帰宅し居るのは警備員だけだ。さっそく実験に取りかかるとしよう。
「先輩・・・本当に良いんでしょうか」
スピーカーから瀬尾君の不安げな声が流れる。
「構わないで。やってちょうだい」
ここはアタランテ線を照射する実験室。私の頭上には巨大なボールペンの先のような装置が天井から地面に向けて固定されている。ここからアタランテ線を対象に向けて照射する。やがて起動音と共に装置の中心部が青く光り輝いていく。ここまで来て流石の私にも一抹の不安が襲ってきた。
「父さん・・・」
やがて装置から降り注ぐまばゆい青い閃光は私の身体を完全に包んでいくのだった。
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