17
どこか無力感があふれ出てくる、そして、本当の自分を思い出されてくる。
いくら授業の最初でほめられたとしても、ほんのわずかな自己肯定感を得られても、こうして現実的に無力感を体感させられる。そんな時、私の頭ではふと雄才様の姿が思い浮かび、彼のとある言葉を思い出した。
「心と体のバランスが大事、そして何よりもそのバランスをとってくれる天秤も大事だ」
疲弊する体ともうろうとする意識の中で、そんな言葉が走馬灯のように思い出された。
その言葉は、かつて大角家で給仕をしていた時に屋敷の主である「大角雄才様」の口から聞いたものだ。
それは私に向けられた言葉ではなかったにしろ、こんな時に思い出すほどに私の頭に刻み込まれていた。
そして今、私の天秤はグラグラとしていて心と体のバランスを失いかけている。どうすればこの不安定な天秤を安定させることができるのだろうか。
そんなことを思い悩みながら、隣で息を切らすアーモンド先生に目を向けると、彼女はその場で座り込んでいた。
「ふわぁ、もう無理ですよ、無理無理無理」
あからさまにリタイアした様子の先生は駄々をこねる子どもの様だった。
「せ、先生大丈夫ですか?」
「えぇ大丈夫です、さぁ休みましょうカイアさん、休息は必要です」
「ですが、皆さんはもう上に行ってますよ」
「何事も無茶はいけませんよ、無茶をしていいのは、英雄思想が強くて、プライドの高い人だけで十分です。大多数はこうして一休みしてゆっくり歩みを進めるものです」
「では、私は英雄にはなれないという事ですか?」
「・・・・・・え?」
自分でもらしくない言葉を言ったと思っている。しかし、口にした以上、私の心の奥底にはそう言った英雄思想があったのかもしれない。
「カイアさんは英雄になりたいのですか?」
「あ、いや、別にそうではありませんが、より良くあろうとする事や、高みを目指すことは大切かと思いまして」
「わかりますよカイアさん。ですが、それも順序です。高い壁や階段は一段飛ばしで高みを目指せますが、三つ四つと数が増えるごとに、その難易度は高くなります。ならば、どうすれば良いかは少し考えればわかりませんか?」
失礼だと思いながらも、この学校に来て初めて先生らしいことを口にするアーモンド先生の虜になった。
見慣れてしまったずれた眼鏡も、いつもより聡明に見えるような気がして、やはり失礼だと思いながらもアーモンド先生を見直していた。
「なるほど、大切なのは上る速度ではなく目標を達成するための思考力や、判断力が大切になるという事ですね」
「目的は頂上を目指すことです。そして、山登りで大切なことは」
アーモンド先生による教訓の最後の言葉が聞こえてきそうなとき、突然近くの茂みが騒ぎ出した。
ガサガサとガサツな音とともに現れたのは、杖道の授業で私に丁寧な指導をしてくれたリチャード君だった。
「黙って聞いていれば、教師とは思えない発言ですね」
リチャード君は茂みから出てきたせいで、体のあちこちに葉っぱや枝をまとわりつかせていた。
「彼女は今、日の光を欲する若葉です、いくら可愛かろうと成長の妨げるのはいかがなものかと思います」
突然現れて、アーモンド先生に向かってそんな言葉を吐いたリチャード君は
とても真剣な表情をしていた。
「え、あ、いや、別に成長の妨げなんて」
アーモンド先生はどこか慌てた様子で弁明しており、その間にリチャード君は先生との距離を詰めていた。
「では、なぜ彼女を足止めするような言葉を言ったのですか」
「私は、ただ一方的な提案を言ったまででして」
「教師ともあろう人が、天秤を傾けて指導に臨んでいるのですか?」
「いえ、その・・・・・・て、天秤?」
まるで、リチャード君が先生でアーモンド先生が生徒の様な構図に思わず笑いがこみ上げていると、リチャード君が私を見つめてきた。
「大角さん、あなたはさっき高みを目指すべきと言っていた」
「は、はい」
「ならば、やることはひとつ一歩でも高みに近づくことです」
「ですが、私の体は今にも崩れ落ちそうで」
「では、あなたの心は?」
「心は・・・・・・高みを目指したいと、言っている様な気がします」
「じゃあ上りましょう、もしもの時は俺が背負って頂上まで連れていきます」
「そ、そんな悪いです」
「成功体験、達成感はどんな状況であろうと経験すべきです、それが次の目的の原動力になります。そして、今がその時だと思いますが」
リチャード君の言葉は私の心に強く響いてきた。おそらく、私の心は彼の言葉に共鳴しているのかもしれない。
アーモンド先生との休息よりも、力の限り高みに近づく事の方が私にとって、そしてこれからの人生において大切になるかもしれない。
そう思っていると、アーモンド先生が少し焦った様子で話しかけてきた。
「だ、だめですよ、カイアさんは見るからに疲労しています、無理をすれば大変なことになってしまいます」
「あの、先生っ」
私は勇気を振り絞り自分の気持ちを伝えるために声を上げた。すると、先生は少し悲しい顔をしながら私を見つめてきた。
「あ、あの先生、私もう少し登ってみたいです」
「カイアさん・・・・・・」
「だめですか?」
私は、ここにきて自分の意思をはっきりと声に出すことができなかった。
情けないが、目の前の悲しそうな顔をするアーモンド先生の様子が気になってしまい、振り切ることができなかった。
そんなことを思いながら再び先生の顔を見てみると、先生は少し呆れた様子で私を見つめていた。
「わかりました、いいですよ」
「本当ですか」
「えぇ、ですが怪我には気を付けてください、わかりましたか」
「はい」
「絶対ですよ、約束ですからね」
先生は、どこか念を押すかのように言葉をかけてきた。そして、それはリチャード君にも向けられた。
「リチャード・ボーン君、あなたがカイアさんをたぶらかしたのですから、彼女がけがをしないように、しっかりとエスコートするようにっ」
少し口調を強めて言う先生に対し、リチャード君はピシッと姿勢を正したかと思うと「はいっ」という元気な返事と共に深々と頭を下げた。
その様子を見て、これが本来の先生と生徒のあるべき姿に見えて、私は少し安心できた。
そうして、休憩するアーモンド先生を置いて私とリチャード君は登山を再開することになった。
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