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 突進する影は、今まさに落ちようとしているアルバ様にぶつかり、そしてアルバ様の体と共にアザミ地獄から抜け出した。すると素早く動く影は師匠のそばで止まり、ようやくその姿を目でとらえることができた。


 それは、ふさふさとした毛と愛らしい目と鼻と口、それは紛れもなくウサギという生き物だった。しかし、その体は大きく、私が知るウサギという生物の常識を覆すものだった。


 巨大ウサギは口に咥えたアルバ様と乱暴にペッと吐き出すと、アルバ様は力なく地面に落ちた。

 信じられない光景が続く中、師匠が巨大ウサギとアルバ様の方へと歩み寄っており、師匠は私にも近くに来るように声を上げながら手を振っていた。

 

 私は好奇心と恐怖心を交互に入れ替えながら巨大ウサギのもとへと向かうと、師匠は慣れた様子でウサギを撫で、懐から取り出したニンジンを巨大ウサギに食べさせていた。

 

 まるで飼育員の様な様子に見とれつつも、私は地面に座り込むアルバ様を気にかけた。


「アルバ様、大丈夫ですか?」

「・・・・・・」


 私の問いかけに応じることなく、アルバ様はどこか落胆した様子でうつむいていた。そんな悲壮感あふれる彼の姿に、何とかできないものかと師匠とウサギを見つめていると、師匠がウサギを撫でる手を止めた。


「アルバ、今どんな気分だ?」


 師匠の言葉はどこか冷たいように思えた。その言葉に対してアルバ様は沈黙を貫いた。


「随分とでかい口をたたいていたみたいだが、その結果はこの有様だ。まぁ、入学したばかりの魔女見習いだって事を考慮すれば、何らおかしなことじゃあないが、お前の野心はそんな事を許さないよな」


 アルバ様の野心、その言葉に興味をそそられつつも、どこか雰囲気が悪い空気に、私はいてもたってもいられなくなってしまった。


「あ、あのリードさん、アルバ様は見たこともない様な魔法でとても挑戦的で勇敢だったと思います、それはとても素晴らしい事であり、その勇気はほめたたえられるべきだと思います」


 師匠は私の言葉に対して深くうなづいていた。


「そうだな、アルバの勇気は素晴らしいものだ。しかし、挑戦するのであれば積み上げるべきものがたくさんあるという事を知らなければならない。そして、それを知らなかった」


 仲介を試みてみたのだったが、それを軽くあしらってさらに火に油を注ごうとする師匠の様子はどこか変に思えた。


「ちなみに、ここにいる大角さんは難なくこの試練をクリアしてみせた」


 ここでアルバ様はようやく反応を見せた。そして、私という存在までもが火に油を注ぐ要因となってしまっているかのようであり、心臓がキュッと締め上げられるような気がした。


「り、リードさん、私はただ言われたとおりにしただけです」


 私の釈明に対してリードさんは「わかってる」と小さくささやいてきた。その様子はどこか無邪気であり、この状況が師匠によるいたずら心によって生まれているかのようであった。


「そう言う訳で悪いなアルバ、これじゃお前に俺の秘密を教えてやることはできない」

「わかりました」


 ようやく口を開いたアルバ様は立ち上がり、自らについた汚れを手ではたいて落とした。そして、師匠に向かって深く頭を下げた。


「今日は大変お世話になりました、今後も精進することをここに誓います」

「あぁ、ゆっくり座って待ってるよ」


 二人の最後のやり取りは私には理解することのできない内容だった。けれど、二人はどこか深い所でつながっている様な、そんな不思議な会話をしていた。

 アルバ様は下げていた頭を上げると、そこにはいつものキリっとした精悍な顔つきのアルバ様がいた。そして、彼は私たちに背中を見せてこの場を去って行ってしまった。


 アルバ様が去った後、私は巨大ウサギに興味を惹かれつつも、何よりも気になるアルバ様の事について尋ねてみることにした。


「あのぉ、アルバ様とのことを聞いてみてもよかったりするのでしょうか?」

「あぁ、別に隠すようなことではない」


「では、どうしてこのようなことをなさったのですか?」

「簡単な話だ、あいつはただ高みを目指している。そして、俺はその高みに上るための踏み台にされているという事だ」


「それはつまり師匠を踏み台にしようとしていたという事ですか」

「そうだ、悪気はないだろうがあいつは人を人として見ない所があるからな、生意気な奴だろう?」


「それは、そうかもしれません」

「だから、俺は俺なりにあいつの踏み台になってやった。もちろん、踏み台と言っても、天まで届く程に高い踏み台にしてやったけどな」


 師匠はけらけらと嬉しそうに笑っていた。おそらく師匠は最初からアルバ様をからかっていたのだろう。そう思うと、ほんの少しだけアルバ様に同情してしまった私は、この状況に少し不満を感じた。


「アルバ様は真剣そのものでした」


 ふと出た言葉、その言葉を吐いてしまった口をすぐに手でふさいだ。しかし、その声は確かに支障に届いた様子であり、彼は私をじっと見つめてきていた。


「あ、いや、そのすみません出過ぎた事を」

「いいんだ、弟子がそう思ってくれていることを俺は嬉しく思う、俺がやった事はあまりに意地悪かっただろうな」


「いえ、そんなことは」

「実のところ、俺はアルバに危機感を感じている」


「え?」

「大切な同胞であるが故に、優秀であるが故に、俺はアルバに魔女として大切なものを見つけてほしいと思っているんだ」


「大切なものですか?」

「そうだ、アルバは今、高みを目指すために知識と力を際限なく手に入れようと必死になっている。それは悪くない事だが、その道はあいつにとって破滅へとつながる危険な道だ」


 不穏な言葉が次々とあふれ出てくる。しかし、師匠の顔は真剣でありその言葉一つ一つに大切なメッセージが込められているように思えた。


「まずは道を見つける事、そしてその道を整備し歩けるようにすること、知識と力のあるものであればあるほど、それができる。

 しかし、それらを持った者たちは既存の道を行ったり来たりして、でかい顔をするだけのつまらない選択をするものだ。アルバにはそんな奴にはなってほしくないんだ」

 

 私は師匠の言葉に込められたメッセージを理解しようと試みた。たくさんの言葉が頭の中がおぼれてしまいそうになりながらも、私は一つの答えを思いついた。


「つまり、道はどこにでも作ることはできて、可能性は無限大という事でしょうか?」


 私の言葉に師匠はびっくりした後、かけている色眼鏡をスッと上げて頭にかけると私に歩み寄ってきた。


「そうだっ、可能性は無限大だっ、それこそ魔法の根源たる部分だっ」


 興奮した様子の師匠はどういう訳かその場で涙を流し始めた。


「し、師匠?」

「いやぁ、弟子と出会ってまだ間もないというのに、こんなにも深い所でつながりあえる関係性になれるとは、こんなにうれしいことはない」

 

 どうやら私の答えは師匠の心に強く響いた様子だった。しかも涙を流すほど感動してくれている事にただただ驚いた。


「俺たちは今、言葉というコミュニケーションをせずともつながりあえた、現代人が忘れてしまった最古のコミュケーションだ」

「な、なるほど」


 私は師匠の言葉たちにただ相槌を打つ事しかできなかったが、師匠がうれしそうなのは微笑ましくあり、私もどこか師匠に認めてもらえている様な感覚に喜びを感じていた。


「いやはや、思わず興奮して語ってしまったな、すまない弟子よ許してくれ」

「いえいえ」

「しかし参った、こんなにも愛らしい弟子がいるとついついおせっかいを掛けたくなってしまう。しかし、それでは弟子の純粋で無垢な好奇心と成長を妨げてしまうかもしれない、あぁ、師匠になるというのはこんなにももどかしい事なのか」


 師匠は天を仰ぎながらあたふたとしていた。その様子はどこか新鮮であり、先ほどまでの暗い雰囲気を払しょくする様子だった。そうして師匠はしばらく思い悩んだ後決意したかのように「よし」と声を上げた。


「決めた、決めたぞ大角さん、いや弟子よ」

「はい、なんでしょう?」

「いつでも頼ってくれ」


 師匠は随分と緩んだ表情をしながら笑顔でそう言った。


「え、いつでも頼ってよろしいのですか?」


 私がそう言うと師匠は険しい顔になった。


「いや、やっぱり出しゃばるのは良くないかもしれない」

「え、えーっと」

「あーだめだ、わからん、今までこんな事したことなかったからわからん」

 

 師匠は頭をかきむしりながらそう言った。つくづく感情の起伏が激しい人だ。しかし、その様子は面白く人間味があふれているように見えた。

 そう思って見ていると、師匠は突然スンッとおとなしくなった。もうこの場所は師匠の独壇場であり一人芝居でも見ている様だった。


「いや、大切なことを忘れていたよ」

「大切な事ですか?」

「風の声を聴くんだ」


 それは不思議な言葉だった。聞きなじみがなくどこかファンタジーな表現であり、私は思わず心を揺さぶられた。


「それは、どういう事でしょうか?」

「困ったときの風頼み、俺たち風属性に所属する者はみなこの教訓を心に秘めているものだ、覚えておくといい」


「風の声を聴いたらどうなるのですか?」

「それは聞いてのお楽しみだ、きっと助けてくれるだろう」


 師匠はまるで話をうやむやにしている様な言葉で締めくくった。半信半疑に思える不思議なアドバイスに困惑しながらも師匠は一息ついてこの場を去ろうとしていた。


「じゃあ俺はそろそろ・・・・・・あぁ、それから安心してくれ、俺はアルバを大切に思っているからこそ今日ここでこうした事をした。それだけなんだ」

「そうなんですね、それを聞いてなんだか安心しました」

「あぁ、じゃあまた」


 師匠の言葉に私ひとまず安心した。それから、私は師匠と別れ再び女神像の近くで鍛錬をつづけることにした。

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