第10話 嬉しさ半分・不安半分 そして抜糸
看護師さんが【すて】に渡したもの。それは退院の手続きが書かれたA4の紙で、退院日の欄には一月十六日と記されていた。そう、【すて】の退院日が決まったのだ。
これは嬉しい知らせだ。だがしかし、同時に【すて】は少し不安でもあった。手術が無事終わったものの、右目はまだほとんど……と言うか、手術前よりも見えないのだ。もちろん、今右目がほとんど見えないのは一過性の症状なのは頭では解っている。しかし不安なものは不安なのだ。
こんな状態で退院したところで普通に生活するのは難しいだろう。それならもう少し入院した方が良いのではないか? そう思った【すて】はS先生に相談した。ところがS先生によると【すて】の右目の状態が安定するには三ヶ月はかかるそうだ。さすがに三ヶ月も入院はしていられない。【すて】は家に帰れる喜びと病院から離れる不安という相反する感情を抱きながらも……やっぱり嬉しかった。
翌日、眼内レンズ縫着手術をしてからまた禁止されていたシャワーが解禁となった。もちろん首から下だけで、洗顔や洗髪の解禁は一月十九日……退院してから三日後だ。濡らしたタオルを絞って髪や頭皮を拭くだけでは頭がさっぱりしない。夏じゃなくて良かったと心から思った。
そして更に次の日には目の中に溜まっていた血漿や白血球の残骸が排出されたのだろう、黄色一色だった視界は白っぽくぼんやりしたものとなった。しかし暗いところではほとんど見えない……日中の明るさを10として、明るさが2ぐらいになると左目だとなんとか見えるのに対し右目だと真っ暗に感じてしまい、ほとんど何も見えないのだ。
この日、退院を翌日に控えた【すて】は手術で出来た目の傷を縫った糸を抜くいわゆる『抜糸』をすることになっていた。だが、お昼を過ぎ、夕方になってもS先生からお呼びがかからない。そこで【すて】は考えた。
――たしかS先生は十四日の朝の検診の時、十三日の夜に手術の執刀をして、そのまま泊まりの勤務だと言っていた。となると十五日は遅番なのだろう――
これは正解だった様で、夕方の五時を回った頃、ようやくS先生からお呼びがかかった。
抜糸前の検診の時、【すて】はS先生に暗いところだと見えない事について聞いてみた。実はこの症状は手術前から少し感じていて、手術した後(と言うか、緑内障発作が起こった後)にそれが酷くなった気がしていたのだ。
それについてS先生の答えは『この症状が急性緑内障発作によって視神経が傷付いた為に出たものならば、傷付いた視神経は修復出来無いので回復の見込みは無い』という悲しいものだった。
ショックを受けた【すて】だったが、今、一番の願いは『まだぼやけてしか見えない右目がちゃんと見える様になる事』だ。実は【すて】は『硝子体手術と眼内レンズの縫着は終わっても、視神経の損傷具合によって視力がどれぐらい戻るかわからない』なんて恐ろしいことを言われているのだ。少しでも視神経の損傷が少ない様に、視力がしっかり戻る様にと祈るばかりの【すて】だった。
そしてS先生は【すて】に抜糸を行うにあたっての意思確認をもう一度した。と言うのも、目の傷を縫っている糸は『溶ける糸』らしく、そのうち溶けてなくなるから抜糸をしなくても良いらしいのだ。だが、アトピー持ちの【すて】はこの『溶ける糸』にアレルギー反応を起こしてしまい、『目やに』が大量に出て、寝起きの時など生まれたての子猫の様に目が開かない事がある上に目の中がゴロゴロして不快な事この上なかったり痛かったりするので抜糸をしてもらうという意思は揺るがなかった。
「じゃあ、麻酔の目薬しますね」
S先生は【すて】の目に目薬を一滴点し、一度部屋に戻る様に言った。点眼タイプの麻酔は時間を開けて何回か点眼しないといけないらしいのだ。結局5分おきに三回の点眼の後、【すて】はS先生と共に診察室へと向かい、いつも検診台(って言うのか?)に顎を乗せ、頭が動かない様に額をぴったりと器具(って言うのか?)にくっつけた。この時、【すて】の右目はまだぼんやりと見えていた。
【すて】は思った
――抜糸ってハサミで糸を切ってピンセットで抜くって聞いてるけど、見えてたらめっちゃ怖いやん……――
手術の時はほぼ何も見えなかったのだが、今はぼんやりしているものの、少しは見える様になっているのだ、目にハサミやピンセットが入ってくるのが見えるのは恐怖以外の何物でも無いだろう……と心配していたのだが、それは杞憂に終わった。S先生が強力なライトで目の中を照らした為、眩しくて何も見えなくなったのだ。
とは言うものの、目に尖ったモノが触れる感覚や糸が切られ、抜かれる感触はチクチクした痛みと共に容赦なく伝わってきて、【すて】は思わず声を出してしまった。だがS先生は手を止めること無く淡々と処置を進め、一分も経たずして(多分)抜糸は終わり、チクチクした痛みは少し残るものの、ゴロゴロしたイヤな感じはなくなった。
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